第41話 参戦!
ディアンが剣を左手に持ち替えた瞬間、複数の出来事が同時に巻き起こった。
まず、ルース殿下がディアン目がけて剣を振り下ろした。致命傷な一撃を与えるはずのその切っ先は、しかし重い金属音を立てて簡単に受け止められた。ディアンが即座に防いだのだ。
「なに……っ!?」
ルース殿下が焦りを隠さずに声を上げたとき、私は彼の足下に細い鎖を投げつけていた。探偵七つ道具の一つ、紫の宝石から取り出した『細鎖』だ。ルース殿下の足に絡ませ、動きを封じるつもりだった。
だが何の練習もしていない私の投げた鎖は、ただ不器用に丸まってルース殿下の足下に落ちてしまう。これは、まあ、当然といえば当然の結果である。残念だけど。
「はぁっ!」
私の失敗など意にも介さず、ディアンの鋭い声が金属音と共に響いた。ディアンがルース殿下の剣を、気合いを込めて弾き飛ばしたのだ。
宙を舞う剣が、グサッと地面に突き刺さる。
――と同時に突然現れた第三者が、勢いよくルース殿下に跳び蹴りを放った。
「っ!?」
ルース殿下は驚きの表情のまま横に吹き飛ばされる。地面に転がった彼を、すかさずディアンが押さえつけた。
「シルヴィア!」
第三者は私を呼び、さっと私を抱きしめてきた。
私の耳に、彼の早鐘を打つ彼の心臓の音が聞こえる。ドクン、ドクンという音が、私の鼓動と重なっていた。
「ごめんね、君を一人にして」
「アステル殿下……!」
私はその名を呼んだ。
そう、それはアステル殿下だった。彼の目にいつもの余裕はなく、真剣な黄金の瞳が私を見下ろしている。
「大丈夫だった? 怪我はない?」
「ええ……」
小さく頷くと、殿下はさらに強く私を抱きしめてきた。
「本当にごめん、君を一人にするだなんて僕が浅はかだったよ」
彼のぬくもりが、私をゆったりと包んでくれる――。
その瞬間、私はほうっと息を吐いた。胸の奥から緊張がほどけていく――それで、私は今まで自分がずいぶん緊張していたのだということをようやく実感できた。
「ルース君が大会場にいるといわれて慌てて会場に戻ったら、君の姿はもうなくて……そうしたらポレットがえぐえぐ泣きながら僕にしがみついてきたんだ。所長が拉致された、でも自分にはなにも出来なかった、って」
「そうですか……」
そうか、ポレットも私がルース殿下に拉致されるところを見ていたのね。それを止められなかったという事実は、彼女を深く傷つけただろう。
ポレットに心配を掛けたことを思うと胸が痛んだ。
「ビュシェルツィオにはハルツハイム王家の遠縁の貴族がいるから、ルース君はそこに協力を取り付けたんじゃないかと思ったんだ。で、その貴族の使っていない別邸が怪しいんじゃないかって急いで来てみたら、大当たりしたってわけ」
彼が説明してくれることは私が得ている情報と同じだった。頭の中で照らし合わせながら聞いていると、殿下は大きな腕で私の頭をぐっと覆った。
「とにかく、間に合ってよかった。本当にごめん、シルヴィア」
「……いえ、こちらこそ、助けていただけて嬉しいですわ」
「僕が悪いんだ。君をこんなに怖がらせて」
ぎゅっ、と彼は私を強く抱きすくめる。
「こんなに震えさせてしまって……」
「あ……」
言われて始めて気がついたのだが。
小刻みに、ふるふると。アステル殿下の温もりのなか、腹の奥深くから湧き起こった震えが、私の体を小刻みに揺れさせていた。
そんなに怖かったの? そう自分に問うてみれば、答えはそうではないらしい。
これは……。この感覚は……。
「違うんです殿下。あの、これはですね――」
説明しようとした私の言葉は、しかしルース殿下の怒声によって遮られてしまった。
「くそっ、アステル!」
ディアンに俯せに押さえ込まれたままのルース殿下が、地面から顎をあげ、怒りに燃える眼差しで私たちを睨み付けていた。
「シルヴィアから離れろ! シルヴィアは俺の婚約者だ! 馴れ馴れしくするな!」
「自分で婚約破棄しただろう?」
アステル殿下は冷ややかに答えるが、ルース殿下は首を振って叫ぶ。
「そんなの無効だ! 俺は認めない! くそっ、離せ!」
ルース殿下は拘束を解こうと海老反りになったり足をジタバタさせめた。だがしっかりと抑え付けているので起き上がることすら出来ないでいる。
はぁ、とアステル殿下は私を抱きしめたまま溜め息をついた。
「自分でしておいて認めないもなにもないだろ。もう決まったことだ。それに君はシルヴィアを傷付けようとした――そんなことしておいてよりを戻せると思うな」
「うるさい! 俺は悪くない!」
私は、ルース殿下を害虫でも見るような気分で見下ろした。
哀れな人……。自分の身勝手さに自分が振り回されている。こんな人が長らく婚約者だったなんて考えたくないわね。ほんと、婚約破棄してくれてよかった。
「……反省はしていない、か。……ディアン」
アステル殿下はディアンに目配せした。金髪の少年騎士は小さく頷き、ルース殿下の後ろ首に手刀を入れる。
ルース殿下は小さくうめき声を上げ、ガクッと頭を地面に落とした。気を失ったようである。
「ふう……」
アステル殿下は大きく息をついた。そして、私に向かって優しく微笑む。
「もう大丈夫だよ、シルヴィア」
「……ありがとうございます」
細かく震える体を止めるようにアステル殿下にギュッと抱きついて、その頼もしい胸に顔を埋めた。守られる幸福感に満たされていく。ああ、ほんと……アステル殿下、ありがとうございます。あなたがいてくれたお陰で、私は助かりました。
抱きしめ合う私たちの横で、ディアンが細鎖を拾ってルース殿下の後ろ手をきっちりと縛っているのが目に入った。
……あの鎖、役に立ったわね。
「それで? なにが違うんだい?」
「え?」
「ほら、この震えについて、君が言いかけたことだよ」
「ああ――」
彼に回した手にぎゅっと力を入れて、目を瞑って大きく息を吸い込む。
殿下の匂いが肺を満たす。――ディアンみたいな鋭い嗅覚がなくたって分かるわ、私を守ってくれる匂いよ。
薬を嗅がされて拉致されて、屋根裏部屋に閉じ込められて、飛び降りそうなディアンを止めて、万能鍵で部屋を脱出して、静かに階段を降りて、ディアンが男二人に見つかりそうになったのを煙幕玉で助けて、そしてルース殿下と対峙して……。
そう。この震えは、この震えは……!
私は目を開けて、彼の黄金色の瞳を見ながらにっこりと微笑んだのだった。
「ああ、私、やっぱりおかしいのかもしれませんわね。少なくとも普通の令嬢ではありません。だって、すごく」
体の奥からわき起こる小刻みな震えを、彼に抱きついてやり過ごそうとする。
「……楽しかったのです。頭を使ってピンチを脱するって、癖になりそうですわ」
「それでこそ僕の婚約者だ」
と、嬉しそうにアステル殿下は私の額に軽くキスをした。
「でも、もう冒険はお終いだよ。皇宮に戻ろう。みんな待ってる」
「ええ、そうですわね」
そう答えても、私はしばらくの間、彼の胸の中で震えていた。
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