第40話 ディアンvsルース

 私たちの前に立ちはだかったルース殿下は、付き合いの長い私ですら見たことがないほど真剣な顔をしていた。


 いつもは甘えた、どこか愛嬌のある雰囲気をまとっているというのに、今はそれが微塵も感じられない。この人、こんな顔も出来るのね――と感心してしまったほどだ。


「答えろ、シルヴィア。どこに行くつもりだ」


「……私がいるべき場所へ、戻るのです」


「お前の居場所はこの俺の隣だ。ハルツハイムに帰るぞ、シルヴィア」


 その言葉は自信に満ちあふれたものだったが、もちろん私の心に届くことはない。


「あなたのしていることは国際問題に発展しますわ。私はもうビュシェルツィオ帝国の第一皇子アステル殿下の婚約者なのです、ルース殿下」


 すると、ルース殿下は顔を憎々しげにくしゃっとさせた。


「そんなの認めるか!」


 雄叫びのような低い声をあげ、一層険しい表情で私を睨み付ける。


「お前のせいで俺の人生はめちゃくちゃになったんだ! 責任をとって俺と結婚しろ、シルヴィア!」


 身勝手な怒りを私にぶつける彼は、顔を紅潮させて唾を飛ばしながら身勝手なことを叫び続ける。


「父上と母上には叱られて、兄上には嘲笑され……。お前は俺が可哀想だとは思わないのか!?」


 それが私となんの関係があるというの?

 私は冷たく答えた。


「そんなの、私にいわれても知りませんわ。あなたが私との婚約を一方的に破棄なされたのでしょう?」


「すべてはお前のせいだろうが! あんな婚約破棄は無効だ。お前が素直に俺を愛さないから俺はルミナの甘言に騙されたし、あのときお前がもっと真剣に俺を止めればルミナを逃がすこともなくあの首飾りも無事だった。お前がすべての元凶だ!」


 ああ――。私は背筋が寒くなった。


 この人は本気で自分を被害者だと信じ込んでいる。そのうえで傲慢さを加速させ、すべての責任を私に押し付けてようとしているのだ。


 それでも私は彼に反論した。彼のなけなしの理性を動かそうとして。


「私に責任を取れと言う前に、まずはご自身が反省すべではありませんか? 私にばかり責任を押しつけても、あなたのためにはなりませんわよ」


「黙れ! 俺を破滅させた女の分際で俺に意見するな……!」


 拳を握りしめ、顔を歪めて、彼は悔しげに吐き捨てたのだ。


「お前には責任をとってもらうぞ、シルヴィア・ディミトゥール。ハルツハイムに戻ったらまずは再教育だ。狭い部屋に閉じ込めて一日中俺への反省文を書いてもらう! そう、何百枚もな!」


 反省の方法がなんだか妙に幼稚だが、ルース殿下にとってはこれが精一杯の仕返しなのかもしれない。そうやって、自身の破滅を癒そうというのだろう。


 だがもはや、殿下が浮気したとか、婚約破棄されたとか、元にもどるとか、そういう話ではなくなっていた。


 私はビュシェルツィオ帝国皇子アステル殿下の婚約者であり、白鷲探偵事務所の所長である。すでにビュシェルツィオで沢山の人と関わり、ここで生活している。今さらルース殿下の元に帰るわけにはいかない。私は私の人生を歩み始めたのだ。


 私は毅然とした態度で、ルース殿下に言い返した。


「いいえ、私は帰りません。私はビュシェルツィオで幸せになります」


 そういえば、彼へきちんと別れの言葉を伝えるのはこれが初めてだ。

 もっと早くこの言葉をいうべきだった。


「……さようなら、ルース殿下。今までありがとうございました」


 世話になった覚えはないけど、まぁ一応ね。


「シルヴィア……!」


 ルース殿下の顔が絶望に青ざめ、やがて怒りに染まっていく。顔全体が真っ赤になり、ぶるぶると震える唇が憎悪のこもった言葉を紡ぎ出した。


「ふっ、ふざけるな! 絶対に許さないからな!」


 そして、彼は腰に佩いた剣を勢いよく抜きはなった。ぎらり、と白刃の上を太陽光が滑る。


「力尽くで取り戻してやる!」


「下がってください、所長」


 剣を構えたディアンが私の前に立った。


「撃退します」


「そこの騎士、誰に向かって口を利いている。まさか俺のことを知らないのか?」


「知っています、ハルツハイム王国の第二王子殿下ですよね」


 ディアンはあくまでも冷静にルース殿下に対応している。


「そうだ。ならば分かるな、シルヴィアは俺の婚約者だ。返してもらうぞ」


「お断りします。僕は、所長を守れとアステル殿下から命を受けています」


 それにしてもさっきから婚約者婚約者って。あなたは私を大勢の眼の前で婚約破棄したでしょうが……! まったく、自分の言ったことにすら責任を取らないだなんて。こんな人が長年婚約者だったなんて……本当に婚約破棄してくれてよかったわ。


 ディアンが剣を構えて一歩前に出る。ルース殿下はそれを見て鼻で笑った。


「アステルなど知るものか! 相手が悪かったな、青二才。俺はハルツハイムで負けなしの剣士だ!」


 まあ、それは確かにね。――ディアンの背に守られて首飾りをいじりながら、私は内心苦笑した。


 だってハルツハイムでは、みんなルース殿下相手には手を抜くんだもの。試合で負けたら癇癪を起こして相手を糾弾する王子様なんて、みんな真剣に相手をしなくなって当然よ。


 ところで、煙幕玉は使ってしまった。『探偵七つ道具』で他に使えそうなのは――、紫の宝石に仕込まれた細い鎖と、青い宝石に仕込まれたナイフくらいか。どれも武器としては威力不足だ。でもこれでなんとかしないといけないわね……。


 一方、ディアンは決して怯まなかった。剣を構えたままルース殿下を睨み付けている。


「お話を伺っておりますと、シルヴィア所長は関係ないようにお見受けいたします。あなたの責任はあなたが背負うべきかと……!」


 やっぱり第三者から見てもそう思うわよねぇ。


 だがディアンのその言葉に、ルース殿下の額に青筋が立った。


「口の利き方も知らない青二才が!」


 そして、剣をゆったりとした仕草で大上段に構え、ディアンに向かって一気に振り下ろした!


「っ!」


 ディアンは咄嗟に剣で防御する。ガキン! という金属音が周囲に響いた。


 ……え? と私は思わず話が目を疑ってしまう。

 なんだか、ディアンが剣を受けてよろけたように見えたからだ。

 まさかね。だってディアンは強いのよ? ルース殿下なんかの剣を受けきれないわけがないわよね?


 だがその様子を見て、ルース殿下は剣を引いて嘲笑を浮かべたのだった。


「どうした青二才。腰が引けているぞ!」


「……っ」


 ディアンは額に汗をにじませながらも、剣を握り直して再び構える。


「力だけはあるようですね、ルース殿下」


「ふん、減らず口を。身の程を教えてやる!」


 またもや大ぶりな仕草で剣を頭上高く上げたルース殿下は、ディアンに向けて振り下ろした! それを剣で受け止めたディアンは、今度は堪えきれずに一歩、後ろにふらついてしまった。


「ディアン……っ!?」


 私は思わず息を飲む。そんな馬鹿な。あのディアンが押し負けてる……!


「ふん、ビュシェルツィオの騎士はこんなものか」


 ニヤリと笑ったルース殿下は、ディアンに向かってまたもや剣を大きく振り上げる。


「口先だけの貧弱騎士よ、死ぬがいい!!!」


「……ここまでか」


 意外なほど冷静な、小さな呟きが聞こえた。


 そんな……。ディアンが――嘘みたいに強いはずのディアンが、ルース殿下に負けるというの!?


 ――そして。

 ディアンは、剣を左手に持ち替えた。




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