第39話 七つ道具の出番
「これ、ある人に貰った探偵七つ道具なの。宝石にそれぞれ細工が施されていてね……」
私は首飾りの黄色の宝石を裏返すと、隠されたボタンを押しながらクイッと台座をひねった。
ぴょん、と飛び出してきたのは一見何の変哲もない輪になった針金である。
「これはね、その名も万能鍵。針金が鍵穴の形を覚えてピッタリ合う鍵になってくれるっていう優れものなの」
針金を細長く整えて、ドアノブのすぐ下にある鍵穴にゆっくりと押し込んでいく。
特殊な針金が鍵の内部で柔軟に曲がっていく感触が、指先に伝わってくる。そのまま少し動かすと、内部の細かな構造に完璧にフィットした。
「複雑な鍵はさすがに無理だけど、簡単な鍵ならこれでいけるはず。開くように祈ってね、ディアン」
「は、はい、所長」
ディアンが不安そうに手を組んで祈ってくれるのを見てから、私はゆっくりと手首を捻った。
カチリ。
軽い音と手応えが、私の手首に伝わってくる。
ドアノブを捻ると、なんの抵抗もなくするっと回った。
「開いた……」
ディアンが感嘆の声を漏らす中、私は苦笑しながら万能鍵を宝石に戻す。
「呆れちゃうわね、まったく」
「え?」
「……ううん、こっちの話」
この万能鍵が実用できるレベルだということは、本物のブラックスピネルも鍵の掛かった部屋に入ることくらい造作もないということだ。
――アステル殿下、これを悪用しなければいいんだけど。って、怪盗ですものね。悪用はするか……。
ふぅっと息を吐くと、私は首飾りを握りしめた。
どこに危険があるか分からない、つまりいつまた使用するか分からないから、まだ首飾りとして首に戻すわけにはいかない。
「さ、行きましょうディアン。そーっとね」
口元に指を当てて、私は微笑んだ。
ドアの向こうに広がる薄暗い廊下には、誰の姿もなかった。
廊下は屋根裏部屋の中と同じように簡素な木造である。
しんとした空気が満ち、少し湿ったような木の匂いが鼻をつく。
私たちはそっと階段を探し始めた。
周囲を警戒しながら慎重に進むと、すぐに階段を発見する。互いに頷きあいながら、私たちは足音を立てないように注意して一段ずつ降り始めた。
三階、二階と静かに降りるごとに、館内の冷たい空気が私たちを包み込む。自分の衣服の擦れる音や足元の木の床がわずかに軋む音が、大きく響くように感じられた。だがここで止まるわけにはいかない。
一階に近づくにつれて、低い話し声が断片的に耳に入ってきた。
「ルー――まだ――。――目を――分から――」
「――すぐそこ――命令――」
話の内容からするに、ルース殿下がもうすぐここにやって来るらしかった。彼らは私たちを見張りつつルース殿下の到着を待っているのだ。
ルース殿下と鉢合わせなんてことになったら厄介だわ。早くこの館から脱出しないと!
玄関ホールの扉の陰までやって来た私たちは、そこからそっと中を覗いた。
「それにしてもよ、やっぱり騎士と女は別の部屋に入れた方がよかったんじゃないか? 不用心だろうがよ」
「かまわねえさ。俺たちの役目はあの女をルース殿下に渡すことだけだ。それ以外の面倒ごとはルース殿下にとってもらおうぜ」
騎士服姿の男が二人、ソファーに座って雑談をしていた。腰には剣も下げている。
そして、彼らの向こうに玄関があった。
――引き返して別の出口を探したほうがよさそうね。
(所長、あれ)
不意に、ディアンが指差す。そこには一振りの剣が壁に立てかけられていた。男たちが背にしている壁である。
(僕の剣です。あれを取り返せば、男二人くらいならなんとかなります)
(ちょっと待ちなさい、分が悪いわ。別の出口を探しましょう)
だが、ディアンは短く首を横に振った。
(気づかれないように、僕がそーっと取りに行きます。所長はここにいてください)
私の返事も聞かず、彼は小さく息を整えるとすぐに行動を開始した。中腰で、壁に沿ってそーっと移動を始めたのだ。
もうっ、しょうがないわね。いざっていうときのフォローはするわよ。
私は首飾りの黒い宝石をいじって、中から黒い玉を取り出した。親指の爪より少し大きいくらいの大きさで、こんな時には頼りになる代物である。
ディアンは男たちをの視線を気にしながら、中腰でゆっくりと移動していく。
――どうか、見つからないで……!
祈りながらその姿を見守っていた私は、彼が死角であるソファーの物陰に入った時に心底ホッとした。
これでひとまず見つかる心配はなくなった。
ディアンはそのまま、中腰で剣のすぐそばまで移動する。そして慎重に、ソファーの影からそうっと剣に手を伸ばした。
だが、そのとき。
ディアンの手に当たった剣が、ぐらついて――。
バタン! という音が立ち、男たちが振り向いた!
「お前っ!」「どうしてここに!?」
ディアンは素早く剣を拾おうとするが、間に合わない。
「ディアン!」
私は声をあげた。一瞬、男たちの気が私に向く。私は咄嗟に振りかぶると、彼らの足下に向かって小さな黒い玉を全力で投げつけた。
ボン! 破裂音と共に、真っ黒い煙が足下から広がっていく。
火薬の匂いが一気に広がり、むせかえるような焦げた匂いが鼻腔を刺激する。
そう、あれは煙幕玉なのだ。――この場にピッタリなアイテムを七つ道具に入れてくれたアステル殿下に感謝しないとね。
「なんだっ!?」「くそっ、何も見えない! ――うおっ!?」
黒い煙幕のなかで男たちが騒ぎ、打撃音とうめき声、そして何かが倒れる音が続いた。
煙幕は薄れていき――。
そこには、剣を手に持つディアンが立っていた。足下には男二人が転がっている。
「殺したの?」
いまだ焦げた匂いの漂う玄関ホールで、ディアンは冷静に首を振った。
「いえ、気絶させただけです。この人たちはヘイワーズ男爵の部下なので……」
「ヘイワーズ男爵って?」
「ハルツハイム王家の遠縁の方です。たぶんハルツハイム王家に恩を売るために所長の誘拐を手助けしたのでしょう。そのヘイワーズ男爵の命令で仕事をしただけの人の命を奪うのは、さすがに可哀想です」
男二人を倒すのに手心を加えたのね。……剣を取る暇もなかったはずなのに、そんな配慮までできるなんて。しかもぜんぶ黒い煙の中で、よ……。
そういえばアステル殿下も『ディアンは僕より強いよ』と言っていたし、本当に強いらしい。さすが、騎士学校首席卒業ってところかしら。
ディアンは幼さの残る顔で、目をパチクリして私を見つめている。
「それより所長、今のはなんですか?」
「煙幕玉よ」
今日のおやつはクリームたっぷりクレープよ――そんな気軽さで私は言った。木が燃えたような匂いだから、この煙幕の材料がそんな甘いものではないことは確かだけどね。
「探偵七つ道具の一つで、しかも一回に一つしか首飾りにはセットできない貴重品よ」
「そうですか……、危ないところをありがとうございました」
ディアンは剣を持ったまま頭を下げたのだった。
そして、気絶した男たちを残し、私たちは素早く玄関ホールを抜け出した。
外に出ると、明るい陽差しが私たちを出迎えてくれた。薄暗い館内にた私の目には、ちょっと眩しすぎるる。
眼の前に広がるのはたおやかな湖だった。日の光を反射して、キラキラと輝いている。今まさに閉じ込められた館を脱出してきた私たちには不釣り合いなくらい平和そのものだった。
ほっと胸をなで下ろす間もなく、一台の豪華な馬車が近づいてきた。
もしかしてアステル殿下が助けに来てくれたのかしら、と一瞬思う。……まさかルース殿下じゃないわよね?
あ、でもルース殿下かも。さっき、男たちがそんなことを話していたし……。
逃げる暇も与えてくれず、馬車はすっと私たちの前に停まる。
意匠を施した扉がすっと開いた。
そこから出て来たのは――。
「どこに行くんだ、シルヴィア」
やっぱり、ルース殿下だった!
私を見つめる彼の青い眼差しはじっとりとしていて、どこか熱に浮かされたように熱っぽい。
思わず身震いする私の横で、ディアンがそっと剣を構えた。
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