第38話 閉じ込められたシルヴィアとディアン
暗闇のなか、ぼんやりした光が揺れている気がする。
その光に誘われるように、意識が急激に浮上し――体中がバネのようにビクッとなった。
目を開けると、私は簡素なベッドに寝ていた。
私は頭を手で押さえながらゆっくりと体を起こす。頭は妙にクリアで、気絶させられた場面をありありと思い返すことが出来た。
絵画が盗まれて、ディアンが騒動を起こして……その混乱のさなかにルース殿下に薬を嗅がされたのだ。
――ルース殿下の不気味な低い声が耳に蘇る。
『お前は俺のものだ、シルヴィア』
ぶるっと身震いしてから、私はあたりを見回した。
状況から考えると、私はルース殿下に捕まってしまったのだろう。
そこは、斜めに迫る天井と、ほとんど家具のない小さな部屋だった。まるで屋根裏部屋みたいだ。
だがなにより先に目に飛び込んだのは、剥き出しの床材の上に仰向けで倒れている淡い金髪の少年だった。
「ディアン!」
なんで彼がここにいるの? 壇上で指示を飛ばしていたはずなのに。
肩を軽く揺さぶるとやがて彼は目を開け、ぼんやりとした表情で私を見上げた。
「……所長、ご無事ですか? うぅ」
この子ったら、開口一番私の心配をしてくれるのね。でも、すぐに頭を押さえて顔をしかめている。
「私は大丈夫――どちらかというとあなたのほうが無事じゃなさそうね」
「ええ、まぁ……。頭を後ろから殴られたみたいで……」
「そんな。大丈夫? 見せてみて」
彼は起き上がると、手でさすりながら後頭部を見せてくれる。
血の跡はないけれど、たんこぶにでもなっているかもしれない。
だが、彼の絹糸のような繊細な金髪にそって手で撫でてみたが、とくにでっぱりはなかった。
「……なんとか大丈夫みたいね」
「はい。痛いと思ったのは木の床で寝てたからみたいです。僕、頭蓋骨が丈夫なのかもしれません」
「それは良かったわ。誰に殴られたのか覚えてる?」
やっぱりルース殿下にやられたのかしら。それとも誰か、手下でも雇った……?
「そこまでは分かりません。連れ去られる所長を見ていてもたってもいられなくなって追いかけたら、急に後頭部に衝撃が来て……」
眉をひそめるディアンに、私は思わず微笑んでしまった。
ディアンはあの絵より私を守ることを優先してくれたのだ。そう思うと、じんわりと胸が温かくなる。
「ありがとう、ディアン」
「どういたしまして。所長が無事でよかったです」
ディアンは照れくさそうに微笑むと、室内を見渡した。
「ここはどこですか?」
「私もさっき目を覚ましたばかりで、さっぱり分からないの。でも誰がここに連れてきたかは分かってる。ルース殿下よ」
「ルース殿下……、ハルツハイムの第二王子殿下ですね」
「そう。私の元婚約者でもあるわ」
「どうしてルース殿下は所長をここに連れてきたのでしょうか。しかもあんな……」
彼は睨むような表情になった。
「拉致みたいなやり方で」
「さぁ? 積もる話でもあるんじゃないかしら」
『お前は俺のものだ、シルヴィア』
気を失う前に掛けられた、ルース殿下の低い声を思い出して、私はまたぶるっと身震いした。
「碌な話じゃないでしょうけどね。とにかくここを出ましょう」
言いながらゆっくりと歩き、質素なドアの前に立つ。そしてドアノブを回すが……。
「……開かないわね」
ドアノブのすぐ下に鍵穴があるり、これがロックされているのだ。
ついでにドアに耳を付けて外の物音を聞いてみたが、なにも聞こえない。
「見張りはいないみたい。もしかしたら、たまたま籍を外しているだけかもしれないけど」
「じゃあ、今のうちに脱出したほうがいいですね」
ディアンはよろよろと立ち上がると、私の隣に来てドアノブをガチャガチャとさせた。
「……分かりました、任せてください」
それからドアから数歩離れ、肩をぐいっと前に出して構える。
「所長、離れてください。蹴破ります」
「お待ちなさい」
私は慌てて彼を止めた。
「どこに誰がいるか分からないのよ。大きな物音を立てたら剣を持った怖い人が来るかもしれないわ」
「そうですね……」
と、彼は悔しそうに唇を噛んだ。
「……そういえば、僕の剣も取られています。当然か……」
「窓を調べてみましょう。もしかしたらそこから出られるかもしれないわよ」
ということで、私たちは窓辺に移動した。
なんとか身を通せるくらいの小さい窓から、昼下がりの光が室内に差し込んでいる。
頭を出して見てみると、やはりここは屋根裏部屋だった。大きな館であることが確認できる。地面までは三階分くらいの高さがあったが、飛び移って脱出できそうなとっかかりはない。おそらく貴族の別邸かなにかだろう。
視線を遠くにやると明るい陽差しのなか穏やかな湖が広がっているのが見えたが、そこまでは大分距離があった。
「父上、母上……」
眩しそうに湖を見ていたディアンが、小さく呟いた。
そのあまりの場違いな台詞に、私は思わず聞き返す。
「え?」
「……っ、す、すみません」
パッと顔を赤くして、彼はうつむいた。
「湖の感じが懐かしくて……。僕が小さい頃に住んでいた屋敷がこんな感じだったので」
懐かしさを噛みしめるように、一言一言区切りながら彼は続ける。
「あのときも、屋根裏部屋に閉じ込められました。いたずらしたお仕置きで――兎小屋に死んだ蛇を放り込んだら兎たちが驚いて脱走してしまったんです」
「それは……怒られても無理ないわね」
「はい。でも閉じ込められた部屋の窓の近くに大きな木が生えていたから、梢に飛び移って逃げ出しました。そうしたら、以降は違う部屋に閉じ込められました。今思えば落ちて死ぬことを心配してくれたんですね」
「……そう、なんだか意外だわ。ディアンってそんなやんちゃな子には見えないから」
兎小屋に蛇の亡骸を放り込むわ、屋根裏部屋から梢に飛び移って脱出するわ……。
今の、大人しい雰囲気の彼からは想像もできないような荒事である。
「小さい頃は、けっこう腕白でした。無茶なことをして、よく父に叱られました……」
淡い水色の瞳を伏せ、ディアンは拳を握りしめた。その拳を胸に当てる。まるで、悔恨を堪えているかのように……。
静かに続けられた言葉には、彼の心の奥にある痛みと後悔が滲んでいた。
「もっと、ちゃんということを聞いておくべきでした。親孝行をしたいときには親はいないと言いますが、本当にその通りです」
「ディアン、もしかして……」
「はい。馬車の事故で……父も母も……」
辛そうに視線を落とすディアン。
その表情に、私の胸も痛んだ。
「……ごめんなさい、ディアン。辛いことを思い出させてしまったわね……」
でもおかしいわね。彼の家門であるレンクランツ公爵家はご夫妻ともにご健在のはずだけど……。
「いえ、いいんです。それよりここを脱出しましょう。木は生えてないから飛び移れないけど……」
と、ディアンは窓に手をかける。
「待って! 何をする気!?」
私は慌てて彼の手を掴んだ。すると彼は不思議そうな顔で私を見返してくる。
「ここから脱出をしようかと……」
「こんなところから飛び降りたら死んでしまうわよ」
「けど、他に出口はありませんし」
「死ぬわよ?」
「やってみないと分かりません」
もうっ、実は子供時代から成長してないわね、この子……!
「やってみて死んだら元も子もないでしょう?」
私は彼の手を引いて、窓から離れさせた。だが彼は珍しく私に言い募ってくる。
「でも早く城に戻らないと、絵が――」
ハッと口をつぐむと、ディアンは言いよどんだ。
「……その、匂いが薄れてしまいます。ブラックスピネルの匂いをたどれるのは僕だけですし……絵を取り戻すためにも、早く城に戻らないと」
彼の淡い水色の視線には、戸惑いが見える。
この人、嘘が下手なのね。根っからの悪い人じゃないってことかしら。
でも、今彼に真実を突きつけるのはやめておこう。
ここを脱出するにはディアンの協力が必要だし、機嫌を損ねる時じゃないわ。
「……それに、早くここを脱出しないと誰かが来てしまうかもしれません。誘拐の手口をみるに、話し合いが通じる相手ではない気がします」
「そうなんだけど、なんの策もなく飛び降りるのはちょっとね……」
どうしたらいいのかしら……と部屋を見回すと、ベッドが目に入った。
「そうだ、シーツを裂いてロープにしたら……うーん、長さが足りないか」
私は首筋に手をやって、コキッと鳴らした。手詰まりすぎて肩が凝ってきたわ。
「こんなときは現場百回よ。他に脱出できる方法がないか、よく探してみましょう」
「かしこまりました」
ということで、私たちは手分けして部屋中を探したのだが……。
屋根裏部屋には簡素な家具がいくつかあるだけだった。しかもその家具にはなにも入っておらず、スッカラカン状態である。
早くしないと、いつ見張りが来るか分からないのに……!
「……所長」
家具の引き出しを一つ一つ開けて確認していた私は、呼ばれて振り返った。
そこでは、ディアンが姿見を見つめていた。
まさか、こんな時にポーズでもとっているの?
するとディアンは姿見を指差しながら首を傾げた。
「この鏡を割って、破片を武器にするのはどうでしょうか? 見張りが来たときに隙を突いてこれをのど元に突きつけたら、こちらの話を聞いてくれる気になるかもしれません」
「だから、大きな音は立てないようにしないといけないって言ったでしょう?」
「……そうでした」
ディアンはシュンと項垂れる。
やっぱりこの人、成長してないわ。どうも荒事で解決しようとする
「でもディアン、鏡を使うというのはいいアイデアよ」
私は鏡の前に立ち、鏡を少し持ち上げてみた。……うん、動かせるわ。
「これを窓辺に置けば、光を反射させて助けを求めることが出来るわ」
というか、そういう話がアメトリンシリーズにあったのよね。
閉じ込められたアメトリンの助手が、コンパクトで光を反射させてアメトリンに助けを求めるの。
「きっとポレットやアステル殿下が私たちを探してくれているでしょうから……」
たぶん、おそらく探してくれているはずだ。……そうであってほしい。
「それなら僕が動かします。所長は指示をお願いします」
「――あ」
私は思わず声をあげていた。
別に、ディアンの言葉に驚いたわけではない。
姿見に映った私の姿が、気を失う前と寸分違わぬものであることに気づいたからだ。
ドレスも、髪型も、宝飾品もそのまま……。
ディアンの剣とは違い、武器にはなりそうにないので見逃してもらえたのだろう。
宝石が無事ということは、物取りの犯行でもない、ということでもある。
急に、首元に冷たい感触や重さを実感する。
手を伸ばして確かめると、七色の煌めきが指に触れた。
湧き上がるように、頭の中に知識の光が満ちていく。
「そうだ、これよこれ……!」
私は弾んできた息を整えると、ディアンに向き直った。
「大丈夫、窓から飛び降りる必要はないわ」
「え?」
「私に任せて、ディアン」
首飾りを外しながらにっこりと微笑む。
この七色の首飾はただの装飾品ではない。本物のブラックスピネルお手製の、いざという時の『切り札』なのだ。
――これを使えば、ドアから脱出できるわ!
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