第34話 ディアンの朝とアステルと

 私たちは支度を調えるとすぐに貸馬車を手配し、皇宮へと向かった。


 出迎えてくれた使用人にディアンに会いたいと伝えると、彼なら食堂で休んでいるのを見た、と教えてくれた。


 それで私たちは、昨晩よりも忙しなく動く衛兵たちの様子を横目に見ながら、使用人たちが集まる食堂へと案内してもらった。


 食堂は質素かと思いきや、さすが皇城内らしく天井が高く、沢山のテーブルが並べられた開放的な場所だった。


 そこで私たちは、すぐにディアンを見つけた。


 朝食をとる使用人たちの端のほうで、ディアンは山盛りのサンドイッチを上品に口にしていた。


 すでに昨晩用意していた大きなお弁当の包みはなかった。食べてしまったのだろう。そのうえでのこの山盛りサンドイッチである。育ち盛りって凄いわ……。


 ディアンは私達に気づくと、ぴんと背筋を伸ばして礼儀正しく立ち上がった。


「所長、ポレットさん、おはようございます」


 徹夜で疲れているはずなのに、その顔はどこか清々しささえ漂わせている。頬には僅かな疲れが見えるが、任務をやり遂げた自信が、淡い微笑みに表れていた。


「おはようディアン。いいのよ、座って。夜通しの警備、本当にお疲れ様でした」


 私が促すと、ディアンはすっと座り直した。だが手はきちんと膝の上に置かれているし、背筋もまったく崩していない。


「これくらい、騎士学校の夜間行軍演習に比べればどうってことないです」


 ディアンの瞳には、隠しきれない達成感の光が宿っていた。自分がやり遂げた任務によほど自信があるらしい。確かに、それだけのことはしている。


「それで、どうだった? 怪盗は来なかったって手紙にあったけど……」


「はい、絵は無事です。予定通り一晩中あの宝物殿で絵を守り続けましたが、その必要もないくらいで……。外の警備がよほど厳重だったんでしょうね、僕以外の人間が入ってくることは一度もありませんでした」


「やった! やっぱり頼りになる、ディアン様!」


 ポレットは嬉しそうに軽く飛び跳ねたが、「あっ」といって口元を抑えた。


 ディアンが僅かに眉をしかめる。


「ポレットさん、何度もいいましたが、僕に『様』は付けないでください。あなたは僕の先輩なんですから」


「うー……」


 むむむ、と眉根を寄せてしまうポレット。

 ――始めてディアンと会ったときに、ディアンからそういう申し出があったのだ。

 自分は白鷲探偵事務所に入った新参者であり、ポレットの後輩なので、公爵家の令息として扱うのはやめてください、と……。


「でも、私のようなものがディアン様を呼びつけって、やっぱり無理があるっていうか……」


「だらしない上下関係は軍規が乱れるもとです。締めるところはきちんと締めないと、いざという時に困ります」


「うちは軍じゃなくて探偵事務所ですよ?」


 ポレットは口を尖らせたが、ディアンは全く動じない。


「どこであろうと規律は必要です」


 ディアンは騎士学校を首席で卒業したというし、騎士学校というのはよっぽどこういった縦の規律にうるさいのでしょうね……。

 私は二人のやり取りに苦笑しながら頷いたのだった。


「分かったわ、ディアン。あなたがそこまでいうのなら、これまで通り一介の所員として扱うわ。ね、ポレット」


「シルヴィア所長がそうおっしゃるのなら、それでいいですけど……」


「ありがとうございます。そうです、僕らにはこんなところで気を緩めている隙なんてないんです。まだブラックスピネルの脅威が去ったわけではないんですから」


 ディアンの言葉に、私たちは改めて気を引き締める。

 そう……夜間に偽ブラックスピネルが粉カット言うことは、やはり譲渡の儀が本番なのだ。


「そうですね。夜を無事に越したってだけで、ブラックスピネルが指定した本来の犯行時刻は昼の譲渡の儀なわけですし」


「その通りです」


 ポレットの言葉に我が意を得たりとディアンは頷くと、視線を宝物殿の方向へとついと動かした。その淡い水色の瞳には、決意と使命感が満ちている。


「絵ですが、最後に僕が確認しましたが、ちゃんとありました。念のためにあまり他人が触れないようにとお願いしておきました。万が一の時に、匂いがぶれないようにしておきたいので」


「そう……」


 ディアンの言葉に、私はなんとなく胸がざわつくのを感じた。


 万が一の時のために、匂いがぶれないようにするために、余人があまり触れないようにしてもらった――ディアンはすでに次の事件に備えているのだ。


 譲渡の儀が、無事に済めばいいのだけれど。


「ふぁ……」


 不意に、ディアンが小さなあくびをこぼした。すぐに口元を手で押さえ、顔を赤らめて縮こまる。


「……っ、す、すみません」


 その仕草があまりにも15歳という年相応に見えて、私はつい微笑んでしまった。

 そうよね。徹夜で、しかもずっと気を張り詰めてさせていたのだから、彼もさすがに疲れたわよね……。


「ディアン、あなたは事務所に帰って休んでちょうだい。あとは私たちに任せて」


「いえ、僕も譲渡の儀に出席します。絵を最期まで守りたいんです」


 彼の淡い水色の瞳には、使命感がはっきりと刻まれていた。その意志は揺るぎなさそうだ。


「そう……分かったわ」


 私は軽く息をつきながら頷いた。


 まあ、本人の希望なのだから仕方ない。騎士学校主席卒業の新米騎士さんは、仕事に対して本当に生真面目だ。


 ……だが、長く付き合っていくことを思うと、

「もう少し肩の力を抜いてもいいのよ」と言いたくなる。別に、偽ブラックスピネルの事件が人生のすべてではないのだから。


 その時、不意に食堂の入口から声が響いた。


「ここにいたのか」


 振り返ると、そこにいたのはアステル殿下だった。


 食堂内にいた使用人たちが一斉に立ち上がり、礼をとる。もちろん私たちも慌てて頭を下げた。


「朝早くに僕の婚約者ご一行が来たっていうから、探してたんだよ」


「申し訳ありません、殿下。ご挨拶が遅れまして」


「いいんだ。探偵としての仕事だろ?」


 殿下は優しい微笑みを浮かべた。それからディアンを向いて語りかける。


「ディアン、ご苦労だったね。君のおかげで怪盗は来なかったそうじゃないか」


 再び立ち上がっているディアンが、膝を軽く落とす騎士の礼をとって、殿下に頭を下げた。


「ありがたきお言葉、感謝いたします」


「さて、あとは譲渡の儀だけだな。それであの絵はアル=ファイラの大富豪のものになる」


 殿下の頼もしげな視線が私達に注がれる。


「君たちに任せれておけば、絵の盗難は阻止できるんだろ?」


「もちろんです!」


 ポレットが元気よく答えた。


「我らが名探偵、シルヴィア・ディミトゥール様が絶対に絵を守ります! 大船に乗った感じでお願いします、アステル殿下!」


 ポレットらしい調子のいい言葉に、私は思わず苦笑する。

 まぁ、ポレットったらまた大口叩いて……。


 でもここで謙遜するのも違う気がするわね。だって絵画を盗まれて困るのは皇家であり、事件解決を依頼された探偵である私が弱気ではいけないだろうから。


「……頑張りますわ」


 プレッシャーを感じながらも殿下に向かって小さく頷くと、彼は黄金の瞳を細めて満足げに微笑んだのだった。


「頼りにしてるよ、シルヴィア。じゃ、ディアンが食べ終わったら大会場に来てくれる? 譲渡の儀のリハーサルをするんだ。探偵としては警備の確認もしておきたいだろ?」


「お心遣い感謝いたします、殿下」


「どういたしまして。僕はね、君の活躍が見たいんだ。そのためなら協力は惜しまない。――お手並み拝見だよ。君たち白鷲探偵事務所と、それからもちろんブラックスピネルのね」


 殿下は、まるで他人事のように満面の笑みを浮かべる。

 私の活躍が楽しみというのも勿論あるだろうけど、自分の名を騙る偽物のブラックスピネルがどう出てくるのか、待ち遠しくてたまらない――そんな目の輝きだった。




 ビュシェルツィオ皇宮の大会場に移動し、譲渡の儀のリハーサルが始まった。

 大会場は豪華な装飾に包まれ、華やかなものだった。


 ディアンが言っていたとおり、すでに壇上には専用の器具に掛けられた大きな絵が設置されていた。といっても、絵は朱色の布に覆われていたが。

 式の本番で、皇帝陛下が華々しくあの布をとるという演出がなされるらしい。


 眼の前で進む完璧なリハーサルを眺めながら、私はじっと考えていた。


 ――何かが起こるとしたら、いつだろう?


 警備の隙を見つけようとする私の前で、一通りの手順が問題なく終了する。その完璧さが逆に、何かを見逃しているような感覚を与えてくる。


 なんだかもどかしい。偽ブラックスピネルは何を計画しているのだろう。私はどうやってそれを防いだらいいだろう……。


 もやもやした思いを抱えたまま。

 ついに、私たちは本番を迎えた。



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