第27話 皇后ヘレーネ

 朝食が終わった白鷲探偵事務所には、今日も穏やかに時が過ぎていくのだろうという――そんな予感が静かな時間と共に流れていた。


 先日アステル殿下に新人の少年騎士を紹介していただいたけど、彼が活躍するような事件も起こっていなかった。平和なものである。


 私はといえば、お気にりの椅子に腰掛け、『水晶探偵アメトリン』の最新刊を熱心に読んでいた。

 今回は怪盗回で、ライバル怪盗ルピナスと知恵比べをする、というような内容だ。

 なんだか私とブラックスピネルみたいね――そんなふうに思えることが嬉しくて、私はつい微笑んでしまう。


 そのとき、外で馬車が停まる音が聞こえた。


 窓から外を見てみると、ビュシェルツィオ帝国の紋章が象られた豪華な馬車がある。

 ――アステル殿下かしら?


 だが、馬車から降りてきた人物を見て、私は思わず息を呑んだ。


 白鷲事務所に豪華な馬車で華々しく乗り付けてきたのは、なんと皇后陛下だった。

 つまり――私の義母になる方だ。


「ヘレーネ皇后陛下、ようこそ我が白鷲探偵事務所へおいでくさいました」


 慌てて玄関で出迎え、スカートを摘まんで恭しく一礼すると、皇后陛下の顔がパッと輝いた。


「ごきげんよう、シルヴィアちゃん!」


 アステル殿下と同じ黒髪をした皇后陛下は、細い目の奥から輝くサファイア色の瞳がちらちらと見え隠れする美女である。確か40代前半のはずだけど、息子のアステル殿下より若く見えるほどその表情は幼い。


 彼女を前にしながら、私は胸の内が少しだけざわめいていた。

 いつか彼女を「お義母さま」と呼ぶことになるのだ。できるだけ友好関係を築いておかなければならず、緊張せずにはいられない。

 嫌われないように振る舞わないと……。


「アステルが紹介してくれたとき以来ね、お会いできて嬉しいわ!」


「私もお会いできて光栄です、陛下。皇后陛下におかれましては本日もご機嫌麗しく――」


 私が返事をすると、皇后陛下はあどけない少女のように目を細めて微笑んだ。


「もー、そんな堅苦しいのは抜きよ。アステルのお嫁さんになるんですから、もっとリラックス、リラーックス」


 笑いながらそんなことを言う皇后陛下に、私も思わずつられて微笑んでしまった。柔らかで、とても自然体なお方ではある。彼女となら『義娘』としていい関係を築けるかもしれない――というか、築けてほしい。


 それにしても、予告もなくいきなりなんの用だろうか。王侯貴族というのは、普通は事前に使いの者を出すものだけど……。


「ポレットちゃん、元気にしてた?」


「はい皇后陛下、シルヴィア所長にはよくしていただいてオリマス」


 カチコチに硬くなったポレットが棒読みで皇后陛下に答えている。


 というかポレットって皇后陛下と面識があったのね。


「ディアンくんも、お久しぶり」


「はい陛下」


 素早く片膝を落とす騎士の礼をとり、真面目くさった顔で皇后陛下に応じるのは、先日この探偵事務所の仲間に加わったディアン・レンクランツだ。


 アステル殿下に紹介して来てもらった騎士で、淡い金髪と色素の薄い水色の瞳の美少年である。まだ15歳だけど剣の腕はアステル殿下の保証付きとのことなので、私の護衛を務めてもらっていた。


 ディアンと皇后陛下に面識があるのは、まあ考えられることだ。ディアンは公爵家のご出身ですもの、皇家とは交流があっても不思議ではないわ。


「じゃあ、あれやりましょうか!」


 と皇后陛下はサファイア色の瞳を目の奥でキラキラと輝かせた。


「さて問題です、今朝私はなにを食べてきたでしょうかー!」


 少女のようにはしゃぐヘレーネ皇后陛下に、ディアンは顔色を変えずに生真面目に手を差し出した。


「お手を拝借させていただけますでしょうか、陛下」


「はいどうぞ!」


 皇后陛下の手をそっととると、ディアンはそのままキスするように顔を寄せて鼻を近づけ、香りを確かめるように目を閉じた。

 彼はすぐに淡い水色の瞳をあける。


「ほうれん草のキッシュとアプリコットジャムです」


「正解! そうなのよ、ほうれん草のキッシュにアプリコットジャムを載せて食べたの。甘塩っぱくて最高だったわ」


 そう、彼には特技があった。それは『嗅覚の鋭さ』だ。人間なのに犬並みに鼻がいいのだ。こうして改めて彼の特技を見せられると、やはり驚かずにはいられない。そして同時に頼もしさも感じてしまう。

 彼の鋭い嗅覚は、捜査でも大いに役に立ってくれるだろう。紹介してくれたアステル殿下に感謝ね。


「相変わらず凄いわね、ディアンくん!」


「お褒めにあずかり恐縮です」


 ところで、皇后陛下ってなかなかに個性的な食べ方をなさるのね。まあ塩味のキッシュに甘いジャムは意外と相性いいかもしれないし、こんどやってみようかしら。


 一通りの挨拶を終えると、皇后陛下はふと声のトーンを落とし、興味深そうに微笑んだ。


「実はね、今日はシルヴィアちゃんに用事があってやって来たの」


「用事でございますか。もしかして、アメトリンの新作について語り合いたいとか?」


 皇后陛下も私と同じく『水晶探偵アメトリン』シリーズの大ファンなのである。

 初めてお会いしたときには、どの作品が好きか、登場人物のなかで誰が好きかなどで大いに盛り上がったものだ。


「ううん。それは今度たっぷりしましょう。今日は別件よ、でも、これも凄いんだから」


 ヘレーネ皇后陛下の瞳が、興奮でさらにキラキラと星のように輝く。


「実はね、皇家うちに面白いものが送られてきたの。あのね――ブラックスピネル、って知ってる?」


 思わず息が詰まりそうになった。

 知ってるもなにも、それはあなたの息子さんですわ……なんて言えるわけがない。


「ブラックスピネルがね、なんと……皇家に予告状を出してきたのよ!」


 その言葉に、私は思わず天を仰ぎそうになった。


 ついに来たわ……。


 ブラックスピネルの活動を抑える、というかハッキリいってしまえば彼の遊び相手になる、という我が白鷲事務所の仕事が、ついに始動するのだ。


 それにしてもアステル殿下、自分の家に予告状出すだなんて。何考えてるのよ……。




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