第25話 閑話:アステルからのプレゼントその3「甘いキス」

 ポレットを接客室のソファーに寝かせて、そこに持ってきた毛布をかけて――。

 一息ついたところで、私は深く頭を下げたのだった。


「すみません、殿下。仕事の成果を受け取りにいらっしゃったのに、こんなことに巻き込んでしまって。しかもお手まで煩わせてしまい……」


「君の役に立つなら本望さ」


 アステル殿下は微笑みながらそう返してくれる。その表情に安堵を覚える私に、彼はふと聞いてきた。


「ところでシルヴィア、手紙を確認しなくていいのかい? ポレットが気絶しているうちに返信しておくといいかもしれないよ。ポレットも、気がついたときに鳥がいないほうがいいだろうし」


「そうですわね」


 というわけで私はさっそく、鳥かごの中に手を入れ、翡翠鳩の足に着いた金環をそっと外した。そして金環に付いている筒のふたを開け、中で丸まっている小さな手紙を取り出す。


 それは、ディミトゥール領からの……、私の父からの伝書だった。


 手紙を開き、そこに書かれた内容を確認した途端、私は思わず顔が熱くなった。


「……なんだい?」


 私の様子に気づいた、アステル殿下が興味を持って覗き込んでくる。


「い、いえ、その……」


 私は殿下の目から手紙を隠そうと、軽く彼から手紙を遠ざける。


 もうっ、お父さまったら! なにを考えているのかしら。


「えっとですね、父は、その……」


「……おお、これは」


「きゃっ」


 いつの間にか殿下は私の背後に回り込んでいて、手紙を覗き込んでいたのだった。


 いつの間に!? 気づかなかったわ。さすが怪盗。

 ……って、感心してる場合じゃない!


「すごい。媚薬の作り方じゃないか。媚薬効果のある食品や飲み物の一覧まであるぞ。ええと、なになに。『より効き目のある薬が欲しかったら恥ずかしがらずに直接言うように。アステル殿下の心も体もうまく掴めるよう応援しています』……だってさ」


「そっ、それは、その。ディミトゥール領は昔から薬草の栽培が盛んでして、それに伴って薬学も発展しておりまして……」


 ディミトゥールの薬はいろいろな種類があり、風邪に効く粉薬、頭痛に効く焚き薬、腰痛に効く塗り薬などがあった。


「父はそういった観点から、私達にピッタリの薬を処方しようとしてですね……」


 娘が帝国の皇家に嫁ぐことになってハイテンションになってしまったんだろうけど……。


 ……ほんとに。お父さま……これ、手紙出したあとで我に返って後悔するやつよ!?

 つまり、一言で言うと、父はこういいたいのである。


『早く孫の顔を見せろ』と。


「媚薬の作り方くらい恥ずかしくもないだろ。媚薬だってきちんとした薬なんだから――ん、これは」


 アステル殿下は手紙の続きに気づいてしまった。


「――男女の産み分け法?」


 バッ、と私は手紙を自分の胸に押しつけて隠した。父が教える男女の産み分け法というのは……そのぅ、閨のテクニック的なことである。


「まったく、父も気が早いですわよね! 私たち、まだ婚約したばかりで結婚もしていませんのよ。せめてあと二年くらい待ってほしいものですわ!」


 お父さまったら。これ、あとで我に返って絶対後悔するやつよ!


 ようやく再会して、アステル殿下との何気ない日常を送りつつ、探偵生活を楽しもうっていうところなんだから。しばらくはこの生活を味わいたいところだ。

 こんなことを父に言ったら、余計に催促されそうだけれど……。


 そのとき――ふわっ、と。


 アステル殿下が優しい手つきで私の肩に触れ、引き寄せるようにしてそっと抱きしめた。

 まるで壊れやすい宝物を扱うかのようなその仕草と思いがけない温もりに、ドキドキしていた胸がさらに高鳴っていく。


 えっ、こ、これは……。


「今すぐ実践してみる?」


 彼の囁きが、耳元で心地よくたゆたう。その真剣な眼差しに、私の心臓が止まりそうなくらい鼓動を早めていた。


「…………っ」


「シルヴィア。怖いかい?」


「え?」


「……僕のこと」


 低く真摯な彼の声が、私の心に深く染み渡る。


 え、これは。怖くないか、と言われれば――。

 正直、わからない。

 でも、きっと――。


 彼を想う気持ちが、私の胸の奥でふくふくと膨らんでいくのを感じる。


「……怖くなんてありませんわ。むしろ……」


 彼のことが愛おしくて、ただただその温もりにずっと包まれていたい――そう願わずにはいられないのだ。


「私は、殿下のことをお慕い申し上げております」


「本当に……?」


 彼の黄金の瞳がじっと私を見つめている。その瞳はどこか緊張して不安げに揺れていた。

 私は静かに頷くと、視線を逸らさずに彼を見つめ返した。


「……はい、心の底からそう思いますわ」


 それを聞いた瞬間、彼の表情が安堵した笑みに変わる。


「よかった」


 そして、彼の胸の中で、私はくるりと半回転された。

 彼の顔が真正面に来て――。


「僕も君が好きだよ、シルヴィア」


 アステル殿下の指がそっと私の頬に触れ、ゆっくりと顔を近づけてきた。


 私も自然と目を閉じ、彼の唇がそっと触れるのを感じた。

 一瞬の出来事だったけれど、胸が締め付けられるのと同時に、心が跳ね上がるような感覚が全身を駆け抜けた。


 ……ああ、これがファーストキスというものなのね。


 顔がかあああぁぁぁぁっ、と熱くなってしまう。

 もう、悶えて悶えて仕方がない。


 初恋の人とこうして甘い時間を過ごせるなんて……。なんて幸せなんだろう……。


 目を開けると、切なげな黄金の瞳に包まれる。

 そのまま、彼はもう一度顔を近づかせてきて。


 今度は先ほどよりも、長くて深いキスだった。


 彼の温もりに包まれ、胸が高鳴り続けるのを感じながら、私は目を瞑り、ただその瞬間に浸っていた。

 こんなひとときが訪れるなんて、夢みたい。


 ちょっと前まで、私のことをさんざん馬鹿にしてくるルース殿下の婚約者として、心を無にして耐えていたのに。


 そのとき――。


「うーん……」


 微かなうめき声が聞こえ、私はハッと目を開けた。振り返ると、ソファーに寝かされていたポレットが身じろぎをし、目を覚ましたところだった。


 二人は、どちらからともなくさっと離れてしまう。


「ん? あれ、ここって……もしかして天国?」


「なに寝ぼけてるの、ポレット。ここは白鷲探偵事務所よ」


「ああ……そうでしたね。すみません所長。なんか死んだお婆ちゃんに叱られる夢を見て……」


 ポレットは寝ぼけた表情で起き上がると、ぼんやりと周りを見渡した。そして、ふと私の顔に視線を留め、じっと見つめて首を傾げる。


「どうしたんですか所長? 顔が真っ赤ですけど……それにアステル殿下も」


「……っ」


 私は顔を手で覆った。


「なっ、なんでもないわよ」


「こほんっ」


 アステル殿下の咳払いが聞こえたので見てみると、彼も顔を赤らめていた。


「それよりポレット。気分はどうだい?」


 あら。余裕そうに見えたアステル殿下だけど、やっぱり恥ずかしかったのね。


 そういえば離れる必要なんかなかったんだな、なんて今さら思う。

 だって、私たちって婚約者同士なんですもの。


「ありがとうございます、殿下。大丈夫です。ハッ、と、鳥は?」


「安心して、鳥かごに入れてあるわ」


 私が答えると、ポレットはさっと鳥かごを見つめた。

 そこに翡翠鳩が入っているのを確認し、彼女はほっと息を吐く。


「よ、よかった。これで目ん玉えぐられずにすみます」


 ……とりあえず、鳥かごに入れておけば落ち着くみたいね。


 そういえば、ポレットが起きる前に返信して鳥を実家に返してしまうつもりだったんだけど。それは間に合わなかったわね……。


「……ふぅ。鳥め……いつか食い尽くしてやるんだから……」


 ポレットがあまりにも真剣に恨めしそうに呟くものだから、私は思わずクスリと笑みをこぼしていた。


「その鳥は食べちゃダメよ。返信の手紙を持たせないといけないんですからね」


「うううっ、かしこまりました……」


「では、僕はこれで失礼するよ」


 私達の様子を見ていたアステル殿下が、騒動は終わったとばかりにそそくさと出ていこうとする。


「お待ち下さいアステル殿下。名付けの依頼のことを忘れておいででは?」


「ああ、そうだった……。僕としたことが……」


 殿下が照れくさそうに笑いながら振り返る。

 恥ずかしくていたたまれなくなってしまった、ってことかしらね。わりと人間味があるのね、殿下って。


「さて、じゃあポレット。寝起きで悪いんだけど手伝ってもらえる?」


「はい、もちろんです所長!」


 というわけで、私達は金庫からピンクダイヤモンドの首飾りを取り出して、日の差す場所に置いた。


 ピンク色の宝石は陽光を受け、部屋中に桜の花びらのような薄紅色の光を散らし始める。

 首飾りから舞い上がる桜色の光が部屋全体を包み込んで、まるで春の日だまりのなかにいるようだった。


「おお、これは……」


 目を輝かせる殿下に向かって、私は首飾りの名を告げた。


「『桜であって、桜にあらずキルシュ・ナイン・キルシュ』。私はこれを、この首飾りの名としました」


「なるほど、見立てか」


 殿下は頷きながら感嘆の声を漏らし、満足そうに微笑む。その表情に、私もほっと安堵した。よかった、気に入ってもらえたみたいね。


「はい。この宝石の故郷・・――遠き東方の地にあるという桜の園、そこに咲き誇る満開の桜を想い、いつでもこの宝石が故郷・・と共にあるようにとの願いを込めさせていただきました」


「うわぁ、綺麗な名前……」


 初めて名を聞いたポレットも感動してくれている。


 仕立て直された首飾りの、後付けで作られた来歴の、幻想上の故郷。だけどこの宝石を見る私達の心には、確かにその桜の園が見えたような気がした。


「ありがとう、シルヴィア。とても綺麗な名で父も喜ぶだろう。君に頼んでよかった」


 アステル殿下の穏やかな笑みに、私の心には仕事をやり遂げた晴れ晴れとした感覚がわき起こってくる。


「こちらこそ、殿下のお役に立てて嬉しいです。私も、こんな美しい首飾りに名前を与える機会をいただけて、とても嬉しく思います」


「また何かあったら頼むかもしれない。その時はよろしくね」


「はい、いつでも」


「それから」


 殿下はにっこり笑った。


「愛してる」


「……ありがとうございます、殿下。わ、私も愛しておりますわ」


「あらぁ……」


 事情を知らないポレットが、口に手を当て頬を赤くしていた。


 そして、アステル殿下はピンクダイヤモンドの首飾り――【桜であって、桜にあらず】を持って帰っていった。


 これでようやく、一仕事が終わったわけだ。


 ピンクダイヤモンドの首飾りも返したし、名付けの報酬として七つ道具のカラフルな首飾りももらったし、それとは別に、金銭まであとでいただけるということだし。


 ほんと、ありがたいことだわ……。


 でも、まだ少しやることが残っているわね。


 私はそっと胸元に手を当て、七つ道具の首飾りに触れた。白金の鎖に、赤、紫、青、緑、黄、白、黒の宝石がきらめいている。

 アステル殿下の想いが詰まった贈り物だ――そう思うと自然と笑みがこぼれる。


 この一つ一つに秘密道具が仕込まれているのよ。なんてワクワクするのかしら!


 アステル殿下は、この首飾りに仕込まれた一つ一つの使い方を軽く説明してくれたけれど。


 実際、自分で試してみたいのよね。だって、いざって時に使うためには、やっぱり使い方をマスターしておかないといけないじゃない?


「さーて、料理、料理。あったしは猟師ー」


 ポレットが鼻歌を歌いながらキッチンに移動していく。

 ああ、いけない。

 ポレットったら翡翠鳩を食べる気かしら?


 そうだった、父への返信をしないといけないんだったわ。

 あの翡翠鳩の命を守るためにも、早く返信してしまわないと。


 ……お父様には、ちょっとキツく言っちゃおうかしら。


 ご心配もほどほどに。しばらくは娘の自由にさせてもらいます、ってね。





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