第19話 怪盗皇子の求婚

「殿下、それは少し無理があるのではありませんか? 13年前の話なのですよ。殿下は当時まだ子供で、とてもそのような任務をなされるとは思えませんわ」


 私の指摘に、アステル殿下はふっと微笑んで、どこか照れくさそうに頬を掻いた。


「そりゃそうだよ。本当の責任者は他にいたさ。君に会うために無理矢理使節団の責任者にしてもらっただけだからね」


「え……?」


 私に合うために……?

 呆気にとられる私に、殿下は笑顔で続ける。


「探偵小説が好きなご令嬢がいるって噂を聞いてね。僕は怪盗小説が好きだから、きっとそのご令嬢とは話が合うだろうな、と興味を持ったんだ」


 彼の言葉に、胸が暖かくなる。

 アステル殿下が使節団を率いたのではなくて。

 正確には、私に合うために、アステル殿下が使節団に着いてきたのだ、と……。

 そんなふうに思って、私に会いに来てくれただなんて……。

 幼い日々の記憶が蘇ってくる――。


「……」


「実際に会ってみたら、思っていた以上に気が合ったのは君も知っての通りだよ。小説の話ができるものだからすっかり楽しくなってさ。ごっこ遊びもずいぶんしたよね」


 懐かしそうに微笑むアステル殿下に、私もつい笑みがこぼれた。


 暗号を作って、それを解き明かす宝探し。彼が怪盗を演じ、私が探偵として彼を追う追いかけっこ。マントをバッサバッサと翻しながらふざけた調子で逃げ回るアステル殿下を、私は真剣に追いかけたものだ。


「そうですわね、勝ったり負けたり――私が勝ったときには、殿下はずいぶん悔しそうになさっておられましたけど。お互い全力で遊ぶのは楽しかったですわ」


「君がやる気満々で挑んでくるのが嬉しくてね。僕もつい本気になってたなぁ」


 殿下が言葉を続ける度に、胸の奥がじんわりと暖かくなる。彼とのひとときがどれだけ私にとって大切だったのか、改めて感じ入っていた。


 そこに彼は爆弾発言を投下してきたのだ。


「本当はね。そうやって遊ぶ度に、僕は……君に、将来は妃になってほしいと思ってたんだ。思ってたんだ。ませてたね、僕」


「……!」


 突然の告白に、胸がぎゅっと締め付けられる。


 幼い頃に無理矢理引き裂かれた初恋の相手が、そんなふうに思っていてくれたなんて。アステル殿下……。

 当時の私たちって、両想いだったのね……。


「でも僕はのんびりしていた。正式に婚約を申し込むのは、ビュシェルツィオに帰ってからにしようと――それまではただ楽しく君と遊んでいようと思っていた」


 そこまで言って、アステル殿下の顔に影が差す。


「でも、それがいけなかった。急に、君は他の男のものになってしまった……」


 彼の声には悔しさがにじんでいる。私もまた、胸が小さく震えるのを感じた。


「まさかアステル殿下、あのときそれを知っていて……」


 ルース殿下と結婚せよとの王命――国王陛下からの婚約の申し込み。真実を告げるのが辛くて、私は畝を抉られるような思いで『探偵になるからもう会えない』と彼に告げて――。


 それを、殿下は知っていたというの?

 アステル殿下はこくんと頷いた。


「うん、まあね。使節団の本当の責任者だった将軍から報告を受けたんだ。悔しかったなぁ。君に求婚しておけば、とずいぶん後悔したよ。でも、そんな僕に君は言った」


 ――殿下、私は名探偵になることに決めましたの。

 ――だって殿下は、おおきくなったら怪盗におなりになるのでしょう?


「これだ! って思ったよ。君が探偵になって、僕が怪盗になったら……。勝負として、僕は君を奪うことができる。それに怪盗と探偵の勝負なんて面白いことを運命の女神が放っておくはずがないからね。必ず再会できると確信した」


「そんな……」


 彼の興奮気味な言葉に、私は胸が熱くなる。

 怪盗になれば、探偵である私と再会できる、と。

 彼は、本気で信じていたんだ……。


 その言葉が、鮮やかに耳に蘇った。


『必ず会おうシルヴィア。探偵となった君と、怪盗になった僕とでまた勝負をしよう。そのときには、僕は君を――』


 あのとき言いかけてやめた言葉の続きを、私はいま、聞いている。


「そして僕は怪盗になった。僕と君は運命的なライバル同士だって、そう信じてね」


 真剣な黄金の眼差しが、心に熱く刺さる。


「本当は、ハルツハイム王に奪われた宝石なんてどうでもよかった」


 言葉の一つ一つが胸の奥で甘く響き、まるで心が溶かされるようだった。

 幼い頃の恋がいま、真実を知って喜びとなり、抑えきれない幸福が心に広がっていく。


「僕の真の狙いは君だ、シルヴィア・ディミトゥール。僕は怪盗で、シルヴィア、君を奪った。でも君は探偵で怪盗を追う側だ。……奪われたままじゃ終われないよね?」


「……ええ」


 そうね、私は探偵だもの。怪盗に負けたままの探偵なんて……そんなの、格好悪いわよ。


「だから――」


 彼は座ったまま大きく手を広げた。


「僕を捕まえてみせてくれ、君の全力で」


 視線を逸らさず、私を見つめる黄金の瞳。その純粋な眼差しに胸が締め付けられる。


「僕と結婚してくれ、シルヴィア」


 私は――。


 ずっと心の奥にしまい込んでいた恋心が、彼の言葉によって完全に解放されたのを感じた。


 私は。


「――はい、喜んでお受けいたします」


 私は、決意を込めて頷いた。顔は真っ赤になっていたけれど、彼への想いが私のなかで確たるものになっていく。


「皇子殿下としても、怪盗としても。絶対に捕まえて見せますわ」


「ふふん、望むところだよ」


 彼の嬉しそうな笑顔が、あの頃のように輝いている。


「これからもよろしく、探偵さん」


「……こちらこそ、怪盗さん」


『ほらね。名探偵と怪盗って敵同士じゃなくてライバル同士だろ?』


 幼い頃の殿下のそんな言葉が、ふと聞こえたような気がした。





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