第18話 探偵令嬢としてこれだけは言いたい

「……殿下。私としても再会はとても嬉しいのですが、はっきりさせておきたいことがあります」


 再会の感動もそこそこに、私はきっぱりと切り出した。

 どうしてもこれだけは、ちゃんと言っておかなければならないのだ。


「人のものを盗むのはいけないことです。この宝石は、ハルツハイム王家のものです」


 私は手に持ったままのピンクダイヤモンドの首飾りを見下ろした。

 壁掛け燭台の明かりに光を反射させる宝石は、どこにいようと、誰に持たれようと、その豪華な威容を誇らしげにキラキラさせている。

 その煌めきには嫌な思い出が刻み込まれてしまったけれど――私はルース殿下に嫌われているし、ルミナ様には殺人未遂容疑で犯人にされそうになったし、怪盗は犯罪を成功させてしまったし。

 それでも、この宝石は、きちんとハルツハイム王家に返さなくてはならない。ハルツハイム王家のものなのだから。


「あなたはビュシェルツィオ帝国の第一皇子です、殿下。ですからどうか、良識ある判断をなさいますよう、ここにお願いいたします」


 ……アステル殿下をこのまま犯罪者にしてしまうなんて、そんなの耐えられないわよ。

 私が頭を下げると、アステル殿下は一瞬驚いた顔を見せたものの、やがて苦笑しながら答えた。


「まさかこんなふうに君に諭されるなんてね。けど、これが約束だろ? 僕は怪盗に、君は探偵になって、そして再開する。それが僕たちの夢だったじゃないか」


「私たちの約束は、『探偵と怪盗となって再会しよう』です。殿下が犯罪者になることではありません」


 言いながら、私の心は揺れていた。

 子供の頃にした約束を果たすために、彼は犯罪者になってしまったの? ううん、まだ間に合うわ。この首飾りを返してしまうのよ。それで私が口をつぐんでしまえば、彼がしたことは誰にも知られることはないのだ。


「なにいってるんだい、怪盗は誰かのお宝をいただくものだよ。君の言い方だと、それは犯罪ってことになるのかな」


 あっけらかんとした笑顔を浮かべる彼に、私は幼い頃にライバル視していた面影を重ねていた。……確かに、全然変わってはいないみたいね。

 怪盗ってものに夢を見すぎなのよ。


 怪盗は、泥棒なの。


「再開に盗品は必要ありませんわ。今からでも遅くありません、宝石は返しましょう、殿下」


 せっかくの再会したのに、アステル殿下が宝石盗難事件の犯人だなんて嫌ですからね、私は。……彼の犯罪を止められなかった自分にも自己嫌悪だけど。


「宝石を返したのなら、私は今回のあなたの行動派見なかったことにします。まあ、謝るべき人は沢山いますけどね……あなたはあの場にいた客人たちをパニックに陥れましたし」


 私の言葉を聞いて、アステル殿下は再び苦笑いを浮かべた。だがその黄金の目には冷静な光を宿している。


「怪盗になった僕を諭すのか、やっぱり君は面白い人だな。……そうだね、宝石はちゃんと持ち主に返すべきだね」


 それを聞いて、私は心底ホッとした。

 よかった。アステル殿下に犯罪を思いとどまらせることができたのだわ!


「では、この首飾りは私がハルツハイム国王陛下にお返しいたしますわね。……そう、こんなのはどうでしょうか。私は怪盗にさらわれたけれど、そこをアステル殿下が助けてくれた。そして私は宝石を取り戻し、ハルツハイム王家にお返しする……」


 ……うん。現実をうまく使って、我ながら矛盾はないわ。

 いまの状況って、つまりは衛兵に化けた怪盗に私がさらわれたってことなんだから。

 それをアステル殿下が助けてくれたってことにすれば、万事丸く収まる。


 だが、殿下の口からは、思いも寄らぬ言葉が発せられたのだった。


「なに言ってるんだい? その首飾りを返してもらうのは僕の父だよ。ハルツハイム国王が盗んだんだから」


「え?」


 思わず言葉が漏れ、心がざわめいた。


「どういう意味ですか、それは?」


「そのままの意味だよ」


 アステル殿下は穏やかな表情を保っているけれど、その黄金の瞳の奥に、わずかに不満の色がよぎった。


「盗まれたんだ。正確には持ち逃げだ」


 そう言い放つ瞬間、アステル殿下の眉がわずかに寄った――だが、その表情はほんの一瞬で消え去る。


「その首飾りは本来ビュシェルツィオ皇家の宝だったんだ。それをハルツハイム王に貸したら、返してくれなくなってしまった、というわけ」


「ハルツハイム王がそんなことを……?」


 信じられないわ。仮にも一国の王なのよ?


「借りていたことを忘れてしまっただけかもしれませんわ。返すように催促はなされたのですか?」


「もちろん何度も催促状は送ったよ。ほら、幼い頃、僕が君の領地に幼い頃、僕が君の領に滞在したことがあっただろ?」


「ええ」


 それで私はアステル殿下と知り合ったのだから、忘れようはずがない。


「あれって実は、ハルツハイム王に首飾りを返せって何度目かの書状を届けにいく途中だったんだ。なんだかんだと足止めされて、結局ハルツハイムの王都にすら行けなかったけどね」


 そういえば。

 我がディミトゥール領に何故ビュシェルツィオ帝国の皇子が来ていたのか、その滞在の意味を考えたことはなかった……。


 考えてみれば不思議な話である。薬学が盛んな土地柄とはいえ、隣国の皇子殿下がご滞在なさるような事柄はなかったのに。特に有名な観光地があるわけでもないし……。


「でも僕が一番怒ったのは」


 アステル殿下の声が低くなる。


「……君を強引に取り上げられたことだよ」


「え? それは……」


「あのとき、君とルース君の婚約が急に決まっただろ。ハルツハイム王のやつ、僕が君と仲良くするのが気に入らなかったんだ」


 確かに、あの婚約の申し込みは驚くほど突然だったけど……。


「アステル殿下とあの婚約は、なにか関係があったのですか?」


「大ありさ。僕は首飾りを返せとの書状を携えた使節団の代表だったわけだからね。それが自国の貴族と仲良くしているんだよ、警戒はするだろう」


「そうだったのですか……」


 私の胸には彼への温かな思い出を信じたくなる視点と、探偵としての冷静な視点の二つがあって、その狭間で感情が大いに揺れ動いていた。


 ハルツハイム王が二人の距離を遠ざけるためにルース殿下のと婚約を取り決めたという、その言葉を信じたくなる。


 でも、これはあくまでもアステル殿下がいっているだけのことだ。


 アステル殿下はルース殿下から首飾りを盗み出した怪盗皇子ブラックスピネルなのだから、その主張をまるまる信じてしまうのは大変危険である。


「……殿下、あなたの言葉を疑うわけではありませんが、そのお話が本当だという証拠はありますでしょうか?」


「うーん、そうだな……」


 アステル殿下は少し考えて、そして微笑んで頷いた。


「ビュシェルツィオ皇家の家宝目録にその首飾りも入っているから、それが証拠になるかな。一緒に来て、君自身の目で確かめてみるといい」


「すみません、殿下。そうさせていただきます」


 事実はできるだけはっきり握っておきたい。そのために資料にあたるのは探偵の基本だわ。


「まあそこまでしなくても、時が証明してくれると思うけどね」


 アステル殿下は肩をすくめ、どこか挑発的な笑みを浮かべながら続けた。


「その首飾りって表には出せないものなんだよ、ハルツハイムにとっては盗品だからね。仮に盗まれたとしても、それを公には出来ない。盗んだものを盗まれただなんて言えるはずがないだろ? それが証拠になると思うよ」


 情報が伏せられることが証拠となる、か。盗まれたという被害を隠すことこそが、宝石がもともとビュシェルツィオ皇家の物だったという証拠になる――。


 って、待って。流されるところだったけど、常識的ではないところがあるわ。


 アステル殿下、使節団の団長になったと言っているけど……13年前なのよ? 私とほとんど年の変わらない彼なのだから、その当時だって10歳前後だったはずだわ。

 そんな子供が、首飾りを返せという書状を携えた使節団の団長になんてなるかしらね?




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