第15話 笑う衛兵

「ではシルヴィア、これをお前に託そう。必ず俺の部屋に持っていき、そして金庫に仕舞うように」


 私の手に、殿下から首飾りが落とされる。

 うっすらとした星明かりにすら輝く冷たい感触が、結構な重量として私の手の中に落ちた。


 私はそれを冷めた目で見つめた。


「……かしこまりました、殿下」


 さて、早くお役目を果たして殿下から離れて屋敷に帰ろう。

 こんな茶番に付き合っているより、家で『水晶探偵アメトリン』を読んでいるほうが何倍もマシよ。って、比べるべくもないわ。アメトリンに勝る快楽なんてそうそうないんだから!


 だが、そのときだった。ルミナ様を捕らえている衛兵の肩が僅かに震え、彼が下を向きながら「くっ……くっ……」と声を抑えているのが見えたのだ。


「……で、殿下」


 衛兵は震える手で腰の剣を片手で抜き取ると、柄をルース殿下に差し出した。星明かりの会場でも、その剣が細かく揺れているのが分かる。


「ど、どうかこれをお持ちく、下さい。怪盗を迎え撃つには、武器がいりましょうから……」


「おお、感謝する。そなたも怖いだろうが、落ち着き、シルヴィアをきちんとエスコートするのだぞ」


「かっ、かしこまりました……」


 衛兵の肩は震え続けている。僅かに漏れる息は、何かを耐えるようで……泣いているようにすら見える。

 ……?

 いや、これ、待って。

 顔を俯かせて、いからせた肩を微細に揺らせて。


「くっ、うっ……」


 となにかを耐えるような吐息が漏れてくる。


 え、これ。


 笑っ……てる?


 そりゃ殿下と関係のない人には、殿下の大演説は喜劇にも見えたでしょうけれども。

 ええ、私だってこれが舞台上の出来事なら、観客として大いに笑いたいところだわ。

 でも残念ながら私は殿下に迷惑を掛けられる登場人物として一緒に舞台に上がっているのよね……。

 ある意味特等席だけど、人の頭で舞台が見えない立ち見席より質が悪いわ。


 そういう意味では、この衛兵が羨ましい。まったくの第三者として笑えるのだもの。


 だが殿下はまったくなんにも気づかずに、衛兵にきっぱりと命じたのだった。


「衛兵、ルミナを解放せよ。そしてルミナ、今すぐ逃げよ! できるだけ大声をあげながらだ!」


「かしこまりました殿下」


「らじゃーですっ!」


 衛兵が腕を放したとたん、ルミナ様は元気にピッと敬礼をした。


「信じてくれてありがとうございますです、ルース殿下。では、またお会いしましょうです! さらばっ!」


 言うが早いがくるりと背を向け、ダッと駆け出していく。

 次の瞬間には、彼女は大声を張り上げていた。


「きゃあああああああ、怪盗が、怪盗がルミナのこと襲いにくるですぅううううう!!!! 怖いですううう!!!」


 響き渡るような大声で叫びながら、その頃にはもう大分人も少なくなってきたホール内を、出口に向かって突っ切っていく。


 ルース殿下はその背を見送って、自信満々に私を振り返った。


「ではシルヴィア、手はず通りに」


「……かしこまりました」


 はいはい、やるわよ。


 なんにせよ、もうここまできたら私に出る幕なんかないんだから。納得いかないとはいえ第二王子に命じられたのだから、それを遂行するだけだ。


「いきますわよ、衛兵さん」


「かしこまりましたシルヴィア様」


 俯かせていた顔を上げた彼の顔には、笑みなど欠片もない。ただ真面目な顔で私を見つめている。


 その目を見たとき、私は全身が泡立つのを感じた。


 ……衛兵の黄金の瞳。私はこの目を知っている。


 忘れるはずなんてないわよ。

 でもどういうことなの。なんでこの人・・・がここにいるの?


 ちょっと待って……だとしたら……じゃあ、予告状を送ったのも……!?


 そして私は、すべてを悟った。


 この人、衛兵なんかじゃないわ。


「ルミナ様が逃げたぞー!!!!」


 衛兵はわざとらしく叫ぶと、私の手をとってぐいっと引いて駆け出した!

 私は彼について走りながら、その手が驚くほど滑らかで、触れていると心地がいいのに気づいた。


 あ、そうか。


 なんで彼に違和感があったのか、今になってようやく理解したわ。

 この人の手って、指が長くてすべすべしてすごく触り心地がいいのだ。


 つまり、頬に刀傷があるような衛兵にしては手が綺麗すぎるのよ。それが違和感だったんだ。


「まったく、あなたって人は……」


 私が呆れて呟くと、彼は走りながら振り返った。その黄金の瞳を楽しそうに微笑ませ、自分の唇の前に指を一方立てる。


 秘密、ね。


 ……まあ、そうよね。秘密よね。

 だって隣国の皇子様が怪盗なんて、そんなの公表できるわけないわよねぇ……。


 ピンクダイヤモンドの首飾りは私が持っている。つまり、彼は予告状通り、首飾りを私ごと手に入れた。彼は――ブラックスピネルは、犯行を成功させてしまったのだ。


 しかし、まさか本当に怪盗になるだなんてね……。


 夢を叶えちゃったのね……ビュシェルツィオ帝国第一皇子、アステル・ビュシェルツィオ殿下……。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る