第14話 結局浮気相手を信じる元婚約者
「お待ちなさい、ルミナ様。あなたどさくさに紛れて逃げようとしていますわね?」
私が閉じた扇で差すと、ルミナ様はあからさまにギクリとした。
「そっ、そんなことないですわよ? 宝石の安全を第一に考えてるだけですわ。これは正当防衛っていうか、正当逃亡なのですわぁ!」
「自分でおっしゃってしまっているではありませんか、逃亡と。そうはいきませんわよ。私もルミナ様についていきますからね!」
ルミナ様の言い訳には、もはや呆れるほかない。
ほんとに語るに落ちるって言葉がピッタリな人よね。
このまま逃げおおせるつもりだったのでしょうけど、そうは問屋が卸さなくてよ!
「えぇーでもぉ、シルヴィア様にはやってもらいたいお仕事があるからぁ」
「は?」
私の眉がピクリと動くと、ルミナ様は「うーん……」といかにも可愛らしく小首をかしげて考えはじめた。
きっと、私を厄介払いするための言い訳を考えているのだろう。
でもね、そうはいかないんですからねっ。
「よろしいですかルミナさ――」
「シルヴィア様は衛兵さんと一緒に行動してくださいです」
不意に言葉を遮られ、私は問い返す。
「……は? 私が、衛兵と?」
「はいですのぉ」
無邪気な笑顔を見せながら、彼女は語り始めた。
「それではルミナが考えた海道誘導作戦の流れを説明しますですっ! まずルミナは逃げますでしょ、そしたらルース殿下はここで怪盗を迎え撃ってくださいです」
「なに? 怪盗はルミナを追っていくのではいのか?」
ルース殿下が戸惑ったように尋ねると、ルミナ様は当たり前のように頷いた。
「もちろんそうなってくれるのが一番なんですけど、ルミナが逃げるのってすごくあからさまじゃないですかぁ。怪盗さんも気づいちゃうかもしれませんでしょ? だからルース殿下がここにいて怪盗を迎え撃つのが最善策ですの」
「なるほど……」
殿下はまるで名案でも聞いたかのように大きく頷いた。
まあ、失敗することを考えて、作戦をあらかじめ二段構えにしておくというのは理にかなってはいるか。
でも結局、ルミナ様は自分が逃げることはかたくなに変えようとしないのね。
「そして、シルヴィア様のお仕事は」
とルミナ様はそのピンクの瞳で私を見た。
「衛兵さんと一緒にルミナのあとを追いかけて欲しいのです。ルミナ様が逃げましたわ! とか叫んでもらって」
「なるほど。怪盗の注意をルミナ様に集める役目、ということですわね」
……確かに、それなら私の役目として不自然ではないわね。
「そうですぅ。それから、実はシルヴィア様にはもう一つお願いしたいことがあるんですの」
「これ以上なにをさせようというのです?」
「首飾りを持って、殿下のお部屋に行って欲しいのです」
「首飾りを、殿下の部屋に?」
ルミナ様は我が意を得たりという感じで嬉しそうに頷くと、さらに大きな胸を張って自信満々に言い切った。
「最も持っていそうにない人が一番のお宝を持つ。これはトリックの基本中の基本ですの。だからシルヴィア様にはルミナを追いかけるふりをしながら、宝石を殿下の部屋に隠してほしいのです。これで首飾りは怪盗に盗まれる心配がなくなりますわ」
「そして俺はここで怪盗と決闘、か」
ぶるっ、とルース殿下が武者震いをした。
「なんだか凄いことになってきたな。だがこれなら確実に怪盗から宝石を守れる」
確かに、この二段構えの作戦は、さすが悪党の立てた作戦だけあってぬかりなく見える。
でも、ね。
「私は反対ですわ」
やる気になっていたルース殿下がうろんげに私を睨む。
「シルヴィア、なにを言っているのだ」
「殿下、冷静にお考え下さい。ルミナ様は、ただ逃げようとしているだけですわ」
私が淡々と指摘すると、ルミナ様は「ギクッ」と言って動揺した。
ああもう、わざわざ言葉でギクッとか言っちゃって。可愛いつもりなの、それ?
私はふぅっとため息をついた。
「……この作戦、ルミナ様が一人になるようになっていますでしょう。一人になってその隙に逃げたいというルミナ様の下心がが丸見えではないですか」
「酷いですぅ。ルミナは逃げないです、あとでちゃんと出頭するですぅ!」
潤んだ瞳で私を見つめる彼女に、私はピシャリと言い放つ。
「嘘おっしゃい。そもそもあなたは私を罠にはめようとした人なのよ、そんな人のことをおいそれと信じられるわけがないでしょう」
――が。
「シルヴィア……。少しは人を信じたらどうだ? ルミナは信頼するに値する少女だぞ」
哀れそうに、ルース殿下がそんなことを言ってきたのだ。
「は?」
思わず声が出た。
え? なにを言っているの、この人?
「殿下? 先ほどこの人に騙されたばかりですわよね? もうお忘れになったのですか?」
「ああ、忘れたね」
殿下は爽やかに微笑んだ。――その無邪気な笑みに、私の胸には失望が募る。
「俺を騙そうとした悪党のルミナはもう過去のもの。そんなもの、忘れてしまうに限る」
「え、ええ……?」
私は唖然としてしまう。
あれだけ見事に騙されたのになにを言い出すの、この人……?
「愛する俺を騙したことを悔いたルミナは、反省して心を入れ替えたのだ。ルミナが見せたあの姿はもはや偽物だ、虚無だ、幻影だ。そんなルミナが俺を再び裏切るわけがない。そうだな、ルミナ?」
「モチのロンですの! 殿下のこと騙してゴメンですの。ルミナ、反省反省っ!」
「ならば、反省したルミナを許し受け入れるのもまた俺の愛。そう……、それが真実の愛だ」
ルミナ様を熱い視線で見つめるルース殿下に、私は思わず閉じた扇で鋭く突いてツッコミを入れそうになった。グサッとね。
「殿下? ルミナ様はありもしない濡れ衣を着せて私を罪に陥れようとした極悪人ですのよ? 今だって、逃げようとして改心した演技をしているだけですからね?」
すると、殿下は物憂げな瞳を私に向けたのだった。
「濡れ衣を着せられたお前にも責任はある。……何故、お前はその思いに至らないのだ」
「は……?」
「普段の俺への冷たい態度がすべての元凶になったのだと、自分が天使を惑わしてしまったのだと、元凶は自分なのだと……。令嬢らしく、奥ゆかしく己の罪を認める。それこそがお前のすべきことではないのか?」
「ちょっと殿下、それ本気でおっしゃってます? 私は被害者ですのよ? それに、いいですか殿下、何度でもいいますが、あなたはその女に騙されたのですよ、そして現在進行形で騙されておいでなのですよ」
「騙した騙されたと、お前はそればかりを勝ち誇ったように言うが……」
「実際、勝敗でいうと私の勝ちですからね。私は真実を解き明かして身の潔白を証明しましたので」
「だがな、それについては、俺はもうなんとも思っていないのだ、シルヴィア。もはやお前だけが私的にルミナを憎んでいるに過ぎない。それに何故気づかない……」
「なっ」
憎むって。
別に憎んでなんかいないわよ。ただ相手は悪人だから、しでかした罪を償うために相応の処罰をしてもらいたいだけだわ。
「それにだな、仮にこのままルミナが逃げたとしても、俺にはなんの痛手にもならんではないか」
は? 本当に、なに言ってるの、この人?
「怪盗誘導作戦を実行すれば、首飾りは俺の手に戻ってくる。ルミナが逃げても逃げなくても、俺は宝石さえ守ることができればそれでいいのだ」
「宝石は確かに手元に残りましょうが、それとこれとは話が別です。悪人を野放しにしてはいけません。第二王子たるもの、きちんとハルツハイム王国の法に則った対応をなさるべきです」
殿下は私の言葉に対し、少しばかり憮然とした表情を見せた。だがすぐに柔らかな笑みを浮かべる。
「そこは大丈夫――俺には分かっている。ルミナが逃げるわけがない、とな」
「は?」
「シルヴィア。お前とルミナの決定的な差がなにか分かるか?」
「さあ? 常識があるかないか、でしょうか?」
「俺と結ばれた真実の愛、だ」
どこか満足げなうっとりとした視線を、ルミナ様に向けるルース殿下。
完全に愛に盲目な王子様である。純粋すぎて眩しいわ、逆に。ここって暗闇なのに。
「ルミナは心の綺麗な天使だ。己が犯した罪を購うために、そして愛しい俺に会うために――必ず出頭する。それが俺たちの愛。俺たちの間にしかない、この世で最も尊いもの……」
「きゃっ、さすがルース殿下ですわ。やっぱりルース殿下がいちばんルミナのことよく分かってくださっているのですわねぇ」
ルミナ様がきゃっきゃとはしゃぐように飛び跳ねると、殿下はさらに満足そうに頷いていた。
私はそろそろ、すべてがどうでもよくなってきていた。
殿下の『真実の愛』とやらへの無条件の信頼は、もはや私が矯正できるレベルのものではないからだ。
「……あー、わかりましたわ」
私は諦めのため息をつくと、深緑色のドレスの裾を軽くつまんで殿下にしとやかに
ここまで殿下のお気持ちが固まっているのだったら、もう私がなにを言ったって無意味だろう。
「そこまでおっしゃるのなら殿下に従いますわ。仰せのままに、ルース第二王子殿下」
「うむ、ようやくシルヴィアも分かってくれたか」
殿下は満足げに笑みを浮かべて誇らしげな表情で頷いている。その爽やかで無邪気な笑顔を見つめながら、私はどうしようもない虚しさに吹かれていた。
この人は、なにも見えていないのだ。
真犯人を罪の道に走らせたのはお前だからお前が反省しろ、とか意味の分からないお説教をされるし。
そのうえ、ルミナが逃げても自分にはなんの痛手もならない、何故ならルミナが必ず出頭すると信じているから、それは真実の愛故に――とかのたまわれるし。
ほんともう、手の施しようがない。滅茶苦茶だ。
こんな人が第二王子って、この国は大丈夫なのかしら。
私では、変えることができないなんてね……。
まあいいわ。
私は彼に婚約破棄された身ですしね、これでもう『一抜けた』させてもらおうと思う。
ルース殿下がどうなろうと、もう知ったことではない。どんなことになろうと、彼の自業自得だ。
己がしでかしたことの責任を、しっかりと自分一人でとってくださいませね、ルース・ハルツハイム殿下。
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