第16話 探偵令嬢と怪盗皇子の馴れ初め

 それは、私がまだ8歳だった頃のこと。


 ディミトゥール領の屋敷の庭は花々が色とりどりに咲き乱れ、私と彼――隣国ビュシェルツィオ帝国の第一皇子、アステル・ビュシェルツィオ殿下は無邪気に遊んでいた。

 彼の黒髪が風に揺れ、黄金の瞳が陽差しに煌めくたび、なぜか胸が少しだけ高鳴ったのを覚えている。


 あの一時期、彼は我が領に滞在なさっていたのだ。


「シルヴィア、今日の暗号、解けるものなら解いてごらん。ヒントはいるかい?」


 そう微笑む彼に、私は負けじと背筋を伸ばしてきっぱりと言った。


「いりませんわ。探偵を侮らないで、怪盗さん。暗号なんてすぐに解いてみせますわ」


 皇子殿下と私は歳が近く。またお互い小説が好きだったこともあり、よく一緒に遊んでいた。

 好むジャンルは違ったけれどね。私は探偵小説が好きで、アステル殿下は怪盗小説が好きだったのだ。


 彼と私の趣味趣向は、ある意味正反対、そしてある意味同一――、そんな背中合わせのものだった。

 だがそんな差異など気にならなかった。それくらい、私たちは気が合った。


 広々とした庭でオリジナルの暗号を考えたり、宝探しをしたり、木陰に並んで謎解きクイズの本を一緒に解いたりして過ごしたものだ。

 とっても楽しくて、一日があっという間に過ぎていたものだ。


 勝敗の結果は……勝ったり負けたり、だった。


 アステル殿下はとても頭が良かったし、私も頑張って食らいついていたので、けっこういい勝負にはなっていたと思う。


 でも、そもそも私はそういう勝敗にはあまり拘りはなかった。


 探偵というのは勝ち負けよりも、真実を解き明かすことの方に重きを置くものだからだ。つまり暗号を解くことが目的であって、どちらが先に解いたかは問題ではないのだ。


 まぁ、怪盗役のアステル殿下はいつも本気になって勝ちを取りにきていたけれどね。私に負けたときは本気で悔しがっていたっけ。

 それが私にはたまらなく嬉しかった。


 あの庭には、誰にも邪魔されない二人だけの時間が確かに存在していた……。


 毎日仲良く遊んでいた私たちだったが、ある日、運命を変える事件が起こった。

 父に、こんなことを言われてしまったのである。


 夕日が庭を赤く染める頃父に呼ばれた私は、なんだか胸騒ぎを覚えながら書斎へと向かった。

 父の表情は重たく、なにか重大なことを告げようとしているのが手に取るように分かった。


「シルヴィア、聞いてくれ。お前とルース第二殿下との婚約が決まった。これは王命だ。故に、これ以降、アステル殿下と会うことを禁ずる」


「え?」


 最初はなにを言われているのか理解できなかった。

 会ったこともない王子様との結婚話が、突然自分に降ってきたことにただただ戸惑っていた。

 そして、アステル殿下との遊びを禁じられたことを、遅れて理解して頭が真っ白になったのだった。


 え? なんで? どうして?

 まるで胸が張り裂けるような痛みが押し寄せていた。


「そんなの嫌! アステル殿下は私の大事なお友達よ!」


 私は必死に訴えた。涙が溢れそうになるのを賢明に堪え、父に食い下がった。あの楽しい時間を奪われるなんて耐えられなかったのだ。


 だが、父は悲しげに首を振った。


「国王陛下がお前を見初められたのだ。お前のような美しい令嬢には、是非第二王子であらせられるルース殿下の妃になってもらいたいと、今朝方早馬がきて、御璽ぎょじにて婚約を申し込まれたのだ。いいか、この婚約は王命なのだ、シルヴィア」


 父の言葉が冷たく響き、私の心にじわりと重くのしかかる。


「アステル殿下はビュシェルツィオ帝国の第一皇子であり、皇太子候補でもある。お前が親しくしていると問題になるんだよ。我がディミトゥール家の危機になるんだ。分かるだろう?」


 そんなの分からないわよ!

 言い募る私の肩に手を置き、父は説明してくれる。


「ハルツハイム王国第二王子ルース殿下の婚約者であるお前が、隣国の皇太子候補の第一皇子殿下と仲よさげに日がな一日、二人にしか分からない暗号で遊んでいるのだ。叛意あり、ととられてもおかしくはないのだよ」


 それは、廃爵のうえ一家お取り潰しにされても文句の言えないような、重大な裏切り行為である――そう父は語り、私のことを抱きしめてくれた。


「すまないシルヴィア。あんなに仲のいいお友達と別れろだなんて、本当はお父様も言いたくないんだよ。けれど我慢しておくれ。ディミトゥール家の……、延いては我が領民の安寧のためなのだ。分かっておくれ、シルヴィア……」


 父はそこで頭を下げた。……父にそこまでさせてしまったからには、私も納得するしかなかった。


 ……そうね。私も貴族である以上、好きでもない、いえそれどころか会ったこともない相手との結婚は、義務であればいたしましょう。それが王様の命令ならばなおのこと。


 それでも。


「お父様……最後に、アステル殿下にお別れを伝えさせて下さい。なにも言わずに別れるなんて、そんなの耐えられませんわ」


 そう懇願する私を、父は受け入れてくれた。


 私は、ある策を思いついていた。


 だって。

 他の男のものになるからもうあなたとは会えなくなってしまいました、すみません殿下。あなたとの思い出は、私の胸の奥に大事に仕舞っておきますね。さようなら。……なんてお伝えするのは辛すぎるでしょう?


 だから翌日、私はアステル殿下にあんな言い訳をしたのだ……。


「私、名探偵になることに決めましたの。ですからもう殿下とは会えませんのよ」


 言葉を告げるとき、胸が引き裂かれるようにいたんだものだ。

 私の言葉に彼はきょとんとして、私の顔をまじまじと見つめてきた。


「え……いきなりなに言ってるの、シルヴィア?」


 当たり前の反応だと思う。


 さあ今日はなにをして遊ぼうか、となっていたときに突然そんなことをいわれたら、そりゃ呆気にもとられるだろう。


 だけどこの気持ちを伝えてしまえば、もっと悲しくなる気がして。私は必死で笑顔を保ちながら続けた。


「だって殿下は、おおきくなったら怪盗におなりになるのでしょう?」


『僕は大きくなったら怪盗になるんだ!』


 このアステル皇子という人は、普段からそんな宣言を周囲の大人にするような、変わり者の皇子様だった。

 それを、私は言い訳に利用した。


「探偵と怪盗といえば真逆の存在、敵同士です。つまり私は殿下は真逆の存在。この宿命は覆ることは出来ません。ですからこれは仕方のないことですわ……」


 言い訳を並べながら、心は激しく揺れ動いていた。本当は嘘だ。だけど、この別れを「宿命」という言葉でくるんでしまえば、少しは心が楽になる……そんな想いに縋り付きながら、私は必死に言い張っていた。


「ですから私たちはもう会えないのです」


 それが、私が考えた言い訳だった。


 敵同士だから、会えない。


 ――なんとも子供じみたアイデアだが、あのときの私は必死だった。


「えー、僕は違うと思うけどな。怪盗と探偵は敵じゃなくてライバル同士だよ」


「同じことです。ライバルでもなんでも、探偵と怪盗は仲良くなんてできませんのよ。ですから私たち、もう会うことができないのです」


 しばしの沈黙のあと。

 アステル殿下はやがて口元を緩めて笑った。


「……そっか。分かったよ、シルヴィア。君は僕のライバルになるために、探偵として頑張るって決めたんだね!」


 彼が笑顔で答えてくれたとき、私は少しだけ心が救われる気がした。アステル殿下は喜んでくれたんだって、そう思えたから……。


「しかしすっごいことを考えるね、さすがシルヴィアだ。怪盗皇子vs探偵令嬢! 宿命のライバル対決じゃないか!」


 そのときの殿下の表情を、私は今でも思い出すことができる。本当に輝くような笑顔だった。


 皇子殿下の漆黒の髪も、豪奢な黄金の瞳も。

 全てがキラキラと輝き、憧れと希望に満ちていた……。


「それなら必ずいつかまた会えるよ。運命の女神は宿命のライバル対決が大好きだからさ!」


「はい、またいつか。またいつか、必ず……お会いしましょう、殿下……」


 私は目に涙が溜まってしまって、それが落ちないように一生懸命目をパチパチとさせていたっけ。

 気を抜いて涙を落として、別れの芝居が台無しになってしまわぬように……。


「ああ、必ず会おうシルヴィア。探偵となった君と、怪盗になった僕で、また勝負をしよう。そのときには、僕は君を――」


 アステル殿下はそこで恥ずかしそうに口をつぐんだ。


「……この先は、そのときになったら言うよ。再開を楽しみにしているよ、シルヴィア」


「はい。……さようなら、アステル殿下。また会う日まで」


 これで、彼との別れは済んだ。


 そのとき、ようやく理解した。


 ああ、これが私の初恋だったんだ、と。

 私の初恋は、『怪盗になる!』だなんて大言壮語する、変わり者の皇子様で。


 私は、笑顔で頷いて。涙は結局流さないで。


 そうやって、終わって……。私たちは、別れた。


 ――初恋に気づいた時には、すでにすべてが終わっていた。これは、そういう思い出……。


 そうして間もなく、アステル殿下は我がディミトゥール領を去っていった。


 それから私は、以前にもまして探偵小説を読みまくるようになっていた。


 探偵小説を読むだけでは足りず、決めポーズや決め台詞を作ったりもした。いつか殿下と対決するときのために、できるだけ格好いいやつを作っておきたかったから。


 あんなの、ただの言い訳のつもりだったのにね。

 私が探偵になって、アステル殿下が怪盗になるっていう、あれ。


 自分で言っておいてなんだけど、私もそれを信じるようになってしまっていたの。

 彼との繋がりを感じていたくて、ただ約束にすがっていただけかもしれないけれど。


 でも、いつか殿下と探偵と怪盗として出会ったら。そのときになって恥をかくのは嫌だもの。


 殿下がおっしゃていたじゃない、「運命の女神は宿命のライバル対決が大好き」と。

 運命の女神がいつ私たちを引き合わせてもいいように、準備はしっかりしておかないとね。


 そうしているうちに、私の推理力はめきめきと鍛えられていった。


 ……まさか、アステル殿下もそうだったなんて知らなかったけどね。

 アステル殿下ったら、私との約束を守ってくれたのね。


 そう。


 怪盗皇子ブラックスピネル、その正体は黄金の瞳の皇子様――アステル殿下だ。


 本当に、アステル殿下は怪盗になって私に会いきてくれたのだ。


 運命の女神は宿命のライバル対決が大好き、というのは本当だったらしい。


 結果は……、探偵の私ごと、お宝は奪われてしまったけれども。


 でもちゃんと、13年ぶりの再会は果たせた。

 怪盗となったアステル殿下と。探偵となった私。


 いやはや、人生ってなにが起こるか分からないものね。




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