57 HPのココロ
「…どうかしたの」
「あ、いや…。こういうことを訊いても、いいのかな…って、思って」
こういうこと…。
何か、質問があるみたいだ。
「ねえ、楢野君。ちょっといろいろ気にし過ぎみたいだから、先に言わせてもらうわね。言いたいことがあるなら、何でも言って。知りたいことがあるなら、何でも訊いてくれていいのよ。私は大丈夫だって、以前にも言ったでしょ」
立ち上がって両手を腰に添え、やや強めの口調で言う。
するとその行為が意外だったのか、大稚は唖然として目を丸めた。
少し、説教くさかっただろうか。そういうつもりは、なかったのだけど…。
ソファに腰を下ろすと、彼の目線も一緒に動く。
大稚は数秒ほど言葉を発せないでいるも、目が合わさった次の瞬間には、あははと笑った。
「そうだよね。ゴメン。この家はいろいろと勝手が違うから、ちょっとナイーブになってしまって。小園のことをわかっていたつもりだったけど、ちゃんとわかっていなかったみたいだよ。君はそんなに、繊細な女の子ではなかったよね。…あ…、いや」
「それ、どういう意味よ」
膨れると、またクスクス笑い、両手のひらを顔の前で合わせる。
「小園は基本的に、いろいろ無関心というか、たくましいというか…」
あまり、フォローにもなっていない。
否定はできないけども…。
「楢野君はもう少し、デリカシーのある人だと、思っていたわ」
「え、そうなの。それはちょっと、かいかぶり過ぎなんじゃないかな」
「へ…、うそ。ガッカリ」
「残念だったね」
無邪気に舌を出す。笑顔を向けられると、つられて可笑しさがこみ上げる。
二人の笑い声が、室内に響く。
何か、楽しいな。こういうやりとり。
大稚もリラックスしたみたいで、よかった。
「それで、楢野君が訊きたいことって、何なの」
一区切りついたところで、紅茶を一口飲んでから訊ねる。
「その…、君とご両親は、…心が通じ合っているのかな…て、思って」
多少なりとも躊躇う仕草を見せるあたりは、やはりそれなりに、デリカシーを持ち合わせた人のようだ。
「…心かあ。難しい質問だね」
たしかにちょっとだけ、デリケートなテーマではある。
傷つくとかそういうことではなく、答えるのが難しいから、あまり触れて欲しくないというだけだけど。
HPは、見た目に関しては、人間そのものと言っていいかも知れない。けれどどうあっても、中身はヒューマノイドである。心は持たない。すべての言動は、高度なAIによって生み出されている。
だから、真に心が通じ合うというのは、物理的に不可能。
だけど、それでも…。
「通じ合う…と、私は思っているわよ。HPは顔の表情や声のトーン、動作などから人の心を読み取って、その時々に応じた対応をする能力に長けているそうよ。だから対応という点では、人間の親と、さほど変わらないんじゃないかしら。悪いことをしたら叱るし、いい行いをしたら褒める、みたいな」
「…へえ」
大稚はあまり腑に落ちない様子で、相槌だけを打つ。
指先を顎にそえ、理解しようと努めている様子。
今の説明だと、HPはたんに人間の言葉やふるまいを真似て、表面的に対応しているに過ぎないと思われただろうか。
人間の親のように、気持ちや思いまでは伝えられていないと。
まあ、心を持たない以上、そうではあるのだけど。
でも実際は、少し違う。
心はなくても、思いは伝えられるし、伝わる。
この微妙な感覚を、どう説明すればいいのだろう。
「たとえば…、そうね。HPは、膨大な数の人間の親たちから、子供への接し方や、ふるまい方を学習しているでしょ。だからたとえば、怒った時にはその言動から、始祖となったお父さんやお母さんの気持ちが、伝わって来るというか…」
やっぱり、難しい。
これだとHPがただの代弁者で、親を演じているだけみたいになってしまう。
もちろん人間から学習している以上、代弁者になってはしまうのは必然だけど…。
でも…、やっぱりちょっと違う。
両親は唯一無二の存在だし、誰が何と言おうと、親と子の関係は確実に成立している。
それだけは、自信を持って言える。
何かもっと、わかりやすい例があればいいんだけどな。
何か…、例になるもの…。
「…三歳の…、誕生日にね」
少しトーンを変えると、大稚は興味ありげに、再び耳を傾ける。
「支援者の方から、クマをいただいたの」
「熊…、木彫りの」
「木彫り?」
「あ、ゴメン。僕は北海道出身だから、熊と聞くとどうしても、民芸品の木彫りの熊を想像してしまうんだよね」
「へえ。そういうものが、あるんだね」
「うん。今度小園にも、プレゼントするよ」
「プレゼント。本当。嬉しい」
おっと、話が横に逸れてしまった。
「あ、あの…。私の言う熊は、クマのぬいぐるみのことよ。ポウちゃんって、名付けたの」
今でも自室にあるが、持ってくる必要まではないだろう。
「ポウちゃんはね、私の話を何でも聞いてくれる、大好きなお友達なの。幼い頃から、親や友人にも言えない悩みを、たくさん聞いてもらっているわ。ポウちゃんに話せば気持ちが楽になるし、悲しい時にギュって抱きしめたら、元気にもなれる。癒しって、言うのかな。ただの、ぬいぐるみなのにね。だけどポウちゃんじゃないと、そういう感情は湧かないと思うのよね。それでね、ある時思ったの。ポウちゃんは、その存在自体が、父や母みたいだなって」
こんな例えで、うまく伝わるだろうか。
HPもぬいぐるみも、心は持たない。だけどどちらも、側にいるだけで、心が休まるし、落ち着く。
「…そっか。何となく、わかる気がするよ」
大稚が、優しく微笑む。
「つまり小園は、ご両親のことが大好きで、心から信頼もしているんだね。たぶんそれは、愛って言うんじゃないかな」
「愛…」
「目には見えないけど、そこに存在している。物心つく前からHPと一緒に過ごしている君たちはきっと、その環境から純粋にHPを親として受け入れていて、彼らの言動から、自然に愛を感じ取れる体質になっているんだと思うよ。愛があるから、心が通じ合える」
…なるほど。拙い説明からそこまで読み取れるなんて、大稚はさすがだな。
ちょっと想定していなかった言葉が出て来たけど、でも…。
「そうね。私は間違いなく、父と母から愛されていると、実感しているわ」
きっと、そういうことなのだろう。
愛…、か。
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