54 ヒューマノイド・ペアレンツ
「ここの集合団地の敷地、結構広いんだね。何棟くらいあるの」
「二十棟くらいだと思うわ。でもHPファミリーが暮らすのは、そこの一角の三棟だけよ。今は中二から小六まで、九十世帯くらい。うちは、一番手前の一号棟」
「へえ。なんかそこの一角だけ、随分と雰囲気が違うね。そこら中にカメラがあるし、センサーとか、いろいろ」
「そうね。防犯対策は、しっかりされているわ。最先端の、ハイテクエリアですから」
胸を張って言うと、大稚はやんわり微笑む。
階段で最上階の五階まで上がり、自宅玄関前に到着する。
扉脇のセンサーに、左手薬指に埋め込まれたマイナンバーチップをかざし、施錠を解く。
玄関扉を開けると脇のセンサーが反応し、その信号を受け取った母が、奥のリビングから顔を出す。
訪問客の存在を確認すると、柔らかい笑みを浮かべ、体の前で両手を重ねる。
「いらっしゃいませ」
三十度の角度でお辞儀し、きっかり三秒で顔をあげる。まるで受付嬢のように事務的な対応は、相変わらず堅苦しい。
あらかじめ友人を連れて来ると伝えておいても、無駄だったようである。
大稚は想定外の場面に遭遇し、やや気後れしたようだった。
「初めまして。アイリの母です」
母が、左手を前へ差し出す。初対面の相手に対しては、必ず行う行為。
「あ…、こんにちは。僕は、楢野大稚と言います」
大稚は差し出された手が、右手ではなく左手なのに少し戸惑いを見せたが、自己紹介したのち、左手でその手を握る。動きを封じられるようにギュッと握り返されると、今度はまた違った、困惑の表情を浮かべる。
「京文HP区立なぎさ中学校二年生の、楢野大稚君。グループホームひだまりの、楢野多恵さんのお孫さんですね。いつもアイリから、お話は聞いていますよ」
数秒後に手が解放されると、流暢に話し始める母を前に、口をポカンと開ける。初めてHPと接する人は、みんなこういう反応を見せる。
彼も、例外ではないようだ。
HPは、原則左手薬指に埋め込まれたマイナンバーチップからマイナンバーを読み取り、保有するデータベースと照合して、個人を特定する。そのため初対面の相手には、必ず左手で握手を求める。
「外は寒かったでしょう。楢野君はここまで、歩いて来たのかしら」
「…はい」
「さあ、中へお入りになって」
まだ慣れない様子ながらも、大稚は靴を脱ぎ、玄関に上がる。
目はすっかり、周囲の観察に夢中だ。
靴箱や、その上に置かれた花瓶やインテリア小物、ポールハンガー、たくさんの観葉植物。
玄関は、緑で埋め尽くされている。
彼の目は、気付くだろうか。
とりあえず今は、まだ触れないでおくとしよう。
上着とマフラーを渡すよう求められると、大稚は惰性だけでダッフルコートのトグルに手を掛け、スマホをズボンのポケットへ入れ直してから、母に手渡す。
住居内は二十四時間空調システムが完備されているため、室内は暖かい。
母は二人から受け取ったコートとマフラーを、玄関のポールハンガーへ引っ掛けた。
「ママ、コレ。私がおばあさんの話し相手になっている、お礼なんだって。楢野君から、もらったの」
「あら、可愛いらしいわね」
紙袋から猫のぬいぐるみを取り出し、靴箱上の、白いアマリリスを生けた花瓶の隣に置く。
なかなか画になる、いい組み合わせだ。
大稚にも見てもらいたいが、彼は今他のことに夢中なので、目を向けてくれそうにはない。
まあ、今は邪魔をしないでおこう。
「さあ、楢野君、こちらへどうぞ」
「はい」
母の案内に、少し緊張気味に応じる。きっとヒューマノイドと接するのは、初めてなのだろう。大稚らしく、不躾に視線を這わせたりはしないが、感情を抑えつつも、HPを意識する姿勢が伝わって来る。
リビングとダイニング・キッチンが一続きになった部屋へ入る手前まで来ると、大稚は一旦足を止めた。
そこから確認できる、薄暗い室内の独特なインテリアを、物珍しそうに眺めている。
「…わあ」
好奇心旺盛な幼子のように目を見開き、口はポカンと半開き。
白一色で統一された無機質な立体物は、おそらく彼の目に、3Dプリンターで作られた模型のように映っていることだろう。
「楢野君。どうぞ、中に入ってみて」
「あ、うん」
母は一歩下がり、後ろで控える。
大稚は、ドア枠にあるセンサーに気付いたようだった。
それを意識しながら、ゆっくり室内へ足を踏み入れる。
センサーが人体に反応すると、即座に室内のシーリングライトが点灯。配置された立体物に、次々と色や質感が加わる。ダイニングテーブルやソファ、壁際の棚。
存在しなかったテレビも、リビングの壁に出現する。
窓際のコーナーに観葉植物、白壁には複数のアートフレーム。
瞬く間に造られて行く、居住空間。
「おお」
期待を裏切らない、感嘆の声が響く。
この瞬間の人々の反応は、いつ見てもおもしろい。
マネキンのようにソファに腰掛けていた父が、客の存在に気付き、立ち上がる。大稚の側まで歩み寄ると、母と同じように左手を前へ差し出す。
一度経験して学んだ大稚は、今度はすんなり握手に応じる。
「楢野大稚君。ゆっくりして行ってくださいね」
「お邪魔します」
挨拶だけすると、父はここに自身は不要だと判断し、そのまま自ら隣の部屋へ移動する。
母は客にソファを勧め、キッチンへ入る。
「おもしろいでしょ」
「え」
忙しなく目と首を動かし、ソファに腰掛けるのも忘れてしまった大稚に、座るよう促す。
ソファの表面は、見た目は温かみのあるコットン素材だが、実際はレザー。
その質感のギャップに、驚くかな。
「全部、プロジェクション・マッピングよ。3D映像だけではなく、音やニオイ、振動、空気の流れまでもが細かく演出される、7D仕様なの。室内のそこら中にプロジェクターやガジェットが備わっていて、両親の食事風景も、料理のニオイまでもがリアルに表現されるわ。私は慣れているから何とも思わないけど、HPC以外の子たちはみんな、初めて見た時にはおもしろいって言うから」
「おもしろい…っていうか、何だかとても、不思議な感じがするね。頭が変化について行けないって、いうか…。テーマパークの、アトラクションの中にいるみたいだ。HPファミリーの自宅が、これほど最先端だったなんて、知らなかったよ。ご両親も、見た目や仕草が本物の人間そっくりだし、本当に驚いた。やっぱりHPは、他のヒューマノイドとは造りが違うんだね」
「そう…なのかな」
興奮気味に語る大稚の瞳は、キラキラ輝いている。
好きだな…、こういう瞳。
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