52 大稚が来る

「ハローパパ、ハローママ」


 リビングへ行き、両親に合言葉で呼び掛ける。二人とも、三秒後に目を開く。


「「ハロー、アイリ」」


 両者機動。


「突然なんだけど、これからうちへ、お友達を連れて来てもいいかしら」

「あら、お友達って、どなたかしら」


 ソファに腰掛ける母が、首だけを向けて訊ねる。


「いつも『ひだまり』へ一緒に行かせてもらっている、楢野君よ。私に、渡したいモノがあるそうなの」

「そう。構わないわよ」

「それじゃあ、十分後くらいに、連れて来るわね」


 急いで掃除用エプロンをはずし、玄関に掛けてあったダッフルコートに腕を通す。

 外はつい先ほどから雪がちらつき始めているため、傘も手に持つ。できればお気に入りの服に着替えたいところだけど、時間があまりないので断念。薄いピンク色のフーディーとジーンズのまま、家を出る。


 赤い傘を開き、団地のゲートを抜け、側にあるコンビニ前に立って大稚が来るのを待つ。五分ほどで到着すると言っていたので、もう間もなく姿を見せるだろう。

 雪が降っているし、たぶん徒歩で来るのかな。


 しかしどういうワケか、十分、十五分が経過しても、大稚はなかなか姿を現さない。すでにコンビニに入ってから出て来る人を、三人は見ている。


 彼の自宅の場所は詳しくは知らないが、駅向こうに住んでいるなら、踏切を渡って来るハズである。

 駅からうちの団地までは、徒歩八分ほど。

 駅の方角からだと、道に迷うことはないと思うけど…。何かあったのだろうか。


 結局、待ち続けてから二十分ほど経った頃に、ようやく大稚は姿を現した。

 立ちっぱなしで、体はすっかり冷えてしまった。


「小園、遅くなってしまって、ゴメン。ケーキ屋さんに寄ったら、混んでいたから」

「ううん。平気よ。ケーキを、買って来てくれたの」

「いいや。ケーキではなくて、コレ」


 駅前にある『希路都来(きじとら)』というケーキ屋の、紙袋を差し出す。

 開くと中には、鎮座したキジトラ模様の、猫のぬいぐるみが一つ入っている。店のマスコットキャラクターだ。


「カバンに黒猫のキーホルダーが付いていたから、猫が好きなんだろうなと思って。君の両親は、何も食べないんだよね。ナマモノをたくさん買って行っても、困るだろうから」

「可愛い。ありがとう」


 両親のことまで気遣うあたりは、さすが大稚。

 HPはヒューマノイドなので、もちろん食事はしない。食事の際には、立体映像で食事風景を表現するのみ。


 母親に言われたのだろうけど、男子からプレゼントを貰うのは、素直に嬉しい。


「もっと駅に近いと思っていたけど、結構距離があったんだね。坂も上らないといけないし」

「あ…。そうかな」


 少し冷汗。

 そう言えば以前、駅から近いフリをしたことがあったっけ。徒歩十分以内だったら、駅近くで間違いないとは思うけど、坂を上るのは想定外だったかも知れない。

 なにせさくら中で会ったその日に、学校から駅まで、一緒に坂を下っているのだから。

 今更だけど、あの時途中で曲がらずに駅まで来たのは不自然、なんて疑問を持っていなければいいけども…。


 心配もよそに、大稚はその点には触れなかった。

 ひと安心。


 大稚は制服時と同じ、紺色のダッフルコートに、茶系チェック柄のマフラーを身に着けている。雪は気にならないのか、フードは被らず、傘も差していない。

 きっと北海道出身者にとって、この程度のちら雪は何でもないのだろう。

 ただ毛髪は、やや湿り気を帯びている。


 傘を差し向けると、意外とすんなり下に入ってくれた。

 変に躊躇わないのは、彼のいいところだと言えよう。こうも対応が自然だと、こちらも変に意識しなくて済むから助かる。


「塾の冬期講習は、もう終わったの」

「うん。年内は、昨日までだったんだ」

「そっか」


 考えてみれば、大稚とプライベートで会うのは初めてだ。いつもは学校帰りに駅で待ち合わせて、帰りも駅で別れている。


 しかも今は、一つ傘の下に、二人で一緒に入っている。結構、大胆なことをしているのではなかろうか。


 …しまった。

 余計なことを考えたら、ちょっと緊張して来たかも…。

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