45 楢野大稚(3)鑑定結果

 DNA親子鑑定の結果が出たのは、母の言った通り、ちょうど三日後の十二月三十日だった。

 お昼を過ぎたくらいの頃、自宅にいた母の元に、研究室から書類袋が届けられた。届けたのは、学生さんのようだった。


 学生さんが去ると、仕事部屋へ来るよう、声を掛けられる。


「研究室から結構距離があるのに、わざわざ届けてもらったんだから、感謝しないさいよ」

「はい。感謝します」


 仕事部屋のデスク上の端に、封を開けたポチ袋が置かれてある。きっと学生さんに、お小遣いでもあげたのだろう。


「それじゃあ、これ、どうぞ」


 表に大学名が印字された、書類袋を渡される。


 その場で封を解くと、中には鑑定結果の入った封筒一通と、アクセスコードが書かれたメモ一枚が入っていた。

 封筒は、しっかりのり付けされてある。

 アクセスコードでサイトへアクセスすれば、毛根からDNAを採取する方法や過程、細かい説明などが、実際の画像や映像と共に閲覧できるとのこと。


 大人の仕事ぶりを、少し甘く見ていたようである。

 まさか中学生のために、ここまでしっかりしたデータを作成してくれようとは、夢にも思っていなかった。

 担当したアシスタントの方には、心から感謝する。

 母が何か、変なプレッシャーを与えたのでなければよいのだがと、祈らずにいられない。


「ところで、母さんはこの封筒の中身は、見たの」


 のり付けされてはいるが、念のため訊ねる。


「いいえ。見ていないわよ。今届いたばかりし、別に、興味ないもの」

「そっか」


 滑り出し上々。


「それで、これを担当したアシスタントの方は、何か言っていなかった」

「何かって…。いいえ、別に何も」

「そう」


 よし。


「…ああ、そう言えば彼女、ビデオトークの際に、何だか妙なことを言っていたわね」


 ギクリとして、書類袋を持つ手に力が入る。


「妙なこと…って、何。ひょっとすると、二人は親子ではなかったの」

「はあ?ちょっと、何バカなことを言っているのよ。正真正銘、親子に決まっているでしょ」


 親子…。


「それは、本当なの。本当に二人は、間違いなく親子だったの」

「大ちゃん、それ、どういう意味よ」


 さすがにイラついたようで、ギロリと睨む。普段とは違う、研究者らしい鋭い眼差し。

 仕事部屋にいる時は、一応スイッチが入るようだ。


「あ…、いや、そうだよね」


 慌てて、手で口を塞ぐ。

 発言には、気をつけないといけない。ここまで来て、危うくボロを出してしまうところだった。


 考えてみれば、仮に二人が親子でなかったとしても、アシスタントの方が母に直接言うハズはない。プライバシーに関わる、話なのだから。


「それじゃあ、妙なことって、何」

「それが彼女、作業完了を報告する際、お嬢さんによろしくって、言ったのよね」

「…へえ」


 背中から冷や汗が、滝のように流れ落ちるのがわかった。

 暖房の効いた部屋が、やけに息苦しい。気が遠くなってしまいそうになる。

 一瞬、こちらを向くウェブカメラが、母の目のようにも見えた。AIが心の中を読み取り、壁に並ぶモニターに映し出すのではないかと、気が気でない。


「お母さんも忙しかったから、聞き流しはしたんだけど。あれはただの、言い間違えだったのかしら」

「き、きっと、そうだよ。普通DNA親子鑑定って、父と子がするものなんでしょ。だから、たぶん僕の方が父親だと、勘違いしたんじゃないかな」

「なるほど。そうかもね。でも生年月日を見れば、どちらが親かわかるハズだけど。ちゃんと、見なかったのかしら」


 新しい職場で、まだ家族についてよく知られていなかったのが、功を奏した。

 DNAを調べれば、性別くらいすぐに判明するのは知っている。性染色体がXYなら男、XXなら女。


 こういう時は、呑気で適当な母で助かる。

 あとはアシスタントの方に害が及ばないことを、切に願う。


「あ、ありがとう。それじゃあ僕は、これからすぐ、論文に取り掛かるよ」


 これ以上の長居は、禁物だ。母が何かを嗅ぎつける前に、退散した方がよい。


「…あ、そうだ」


 一秒でも早く、この場を離れたい気持ちはあった。

 けれどふと思い出し、部屋から出る一歩手前で、一旦足を止める。


「母さん、もう一つ、訊いてもいいかな」

「いいわよ。何」

「その…、たとえば、顔は全然似ていなくても、親と子って、外から見てわかるものなの」

「まあ、そうねえ。ある程度観察すれば、たいていはわかるんじゃないかしら。親子は、同じ遺伝子を持っているんですもの。どこかしらは、必ず似ている部分があるわ。顔じゃなくても、声や、癖や仕草とか。歩き方なんかも、よく似るわよ」

「…へえ。そうなんだ。やっぱり、ばあちゃんは…」

「あら、おばあさんが、どうかしたの」

「あ、いや…」


 しまった。

 この部屋にいると、どうも口が滑ってしまう。母には、人から情報を引き出す才能があるのかも知れない。


「…ばあちゃんがさ。その…、テレビで見た芸能人が、知り合いの孫だって言い張っていたから、本当なのかなって、思って…」


 ちょっと苦しい、言い訳だったかな…。


「へえ。おばあさんは、慧眼の持ち主ですものね。案外、本当かも知れないわよ」


 目の前のモニターを見ながら、うふふふと笑う。


「そう言えばあなた、毎週会いに行ってくれているのよね。おばあさんは、お元気にされているかしら」

「うん。元気だよ」

「お父さんてば、自分の親なのに、次男だからって放ったらかしなんだから。研究者の道へ進む際には、散々お世話になったくせに。お母さんも忙しいから、大ちゃんが様子を見に行ってくれて、助かるわ。埼玉の伯父さん夫婦も、感謝していたわよ」

「全然、問題ないよ。それじゃあ、これ、ありがとうね」


 今度こそ廊下へ出て、母の仕事部屋の扉を完全に閉じる。


 それから後は、駆け足で自室へ向かう。

 部屋に入り、扉を閉め、ロックを掛ける。

 窓のブラインドをすべて閉じ、デスクのイスに腰を下ろす。

 スタンドの灯りだけをつけて、今しがた母から手渡された書類袋をデスク上に置く。


 さあ、ここからが本番。

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