44 楢野大稚(2)DNA親子鑑定

「な、な、な、何をバカなことを言っているの。お母さんとあなたは正真正銘、血のつながった母子よ。アラフォー出産だったから大変だったけど、ベプセルなんて使わずに、ちゃんとお腹を痛めて産んだんだから」

「そんなことは、わかっているよ」

「そりゃあ仕事が忙しくて、授業参観や体育祭をなかなか見に行ってあげられないのは、親として反省しているけども」

「そういうのは、全然気にしていないから」

「洗濯とかアイロンがけとか、家事をいろいろとさせてしまったり、朝が苦手だから毎日購買でパンを買わせているのも、申し訳ないと思ってはいるけど…」

「そこはもう少し、頑張ってもらいたいかな」


 おっと、つい本音が出てしまった。


「だからお母さんは、給食のある私立の学校にした方がいいって、言ったじゃない。それなのにあなたが、どうしても地元の中学校に通いたいって言うから」


 母のボルテージが、一段階上がる。

 意見は、禁句のようだ。


「その話は、今はいいよ。別に、気にしてはいないから」


 無駄な応酬は、極力避けたい。

 母とダラダラ会話するほど、こちらも暇ではない。


「…だいたい、DNA親子鑑定っていうのはね。基本的には、父と子がするものなのよ。その理由には、大人の事情がいろいろとあってね」

「そんな話に、興味はないよ。母さん、遺伝子の研究者なんだから、DNA親子鑑定くらい簡単にできるんだろ」

「…そりゃあまあ…、できるけども…」


 母親を否定された気分にでもなったのか、肩をしゅんとさせ、唇を尖らせる。

 研究者のくせにすぐ感情的になり、人の話を最後まで聞かないところは問題である。


「実は冬休みの自由研究に、DNAをテーマにした、論文を書いてみようと思っているんだ」

「論文」


 瞬時に、瞳の色が変わる。膨らんでいた頬から、空気が抜ける。

 木彫りの熊が、ようやく胸元から解放され、新鮮な空気を吸う。


「親子のDNA配列の特徴とか、そういうものを、テーマにしてみようと思ってるんだよね」

「あら、そういうことなの。だったら初めから、そう言ってくれればいいのに。意地悪なんだからあ。そういうデータだったらいくらでもあるから、いつでも見せてあげるわよ」


 自身の専門分野に興味を持った息子に感激したのか、これまでに見せたことがないほどの、満面の笑みを浮かべる。

 手は愛おしそうに、木彫りの熊を優しく撫でている。


「できれば、自分のDNA配列を見てみたいんだよね。母さんのとも、比べてみたいし」

「まあ、そうなのね。それじゃあ、やってあげようかしら」


 木彫りの熊が、今度は軽快に二、三度、宙を舞った。

 研究者という立場が息子の役に立つのは、母親冥利にも尽きるようだ。


「あと、鑑定は、毛髪でしてくれないかな」

「毛髪で。DNA親子鑑定だったら、口内から粘液を採取するだけで十分よ。そっちの方が早くて、確実だし」

「でも、毛髪でして欲しいんだ。よく殺人事件の捜査とかでも、行われているだろ」

「やだ、大ちゃん。あなた、サスペンスドラマの見過ぎよ」


 素人的な考えに、クスクス笑う。


「お願いします」


 後は頭を下げて、上目遣いでじっと見つめれば、ほとんどの要求が通るのは想定済み。


「ううん…、そうねえ。ちょこっと面倒だけど、大ちゃんのお願いなら、わかった。やってあげるわ」


 うちの母は、扱いやすい生き物である。


「仕方がないわね」


 と言いつつも、嬉しそうに熊を撫でている。


「それじゃあ、あなたの毛髪を、根元から三、四本ほど抜いて、お母さんに預けてちょうだい」

「了解。感謝するよ、母さん」


 お礼を言うと、胸打たれたように、じんわり目を潤ませる。

 扱いやすいのはいいが、こうも感情を露わにされると、思春期の息子としては少しウザったい。


 毛髪を根元から手早く抜き取り、渡された専用のジップロックに入れる。

 しっかり封をし、指示された通り、外側に油性ペンで氏名と生年月日を記入する。


「母さんのも抜かせてもらうから、後ろを向いて」

「はいはい」


 抜いた毛髪数本を別のジップロックに入れ、封をする。

 同じように、油性ペンで氏名と生年月日を記入。


「それじゃあこれ、お願いします。申請書なんて、いらないよね」

「大丈夫よ。でもお母さんは今学会の準備があって忙しいから、研究室のアシスタントの子にでも、お願いするわね」


 こうも計画が目論み通りに進むと、嬉し過ぎて、飛び上がりたくなる。

 あえて今の時期にお願いしたのは、母が忙しいのを見越してのことでもある。他人が担当してくれる方が、いろいろと都合がよい。


「それで、結果はどのくらいで、判明するの」

「そうねえ。毛髪からだから、三日後くらいには、渡せるんじゃないかしら」

「年末なのに、そんなに早くやってもらえるの」

「研究室は、三十日まで開けているからね。そういう作業だったら、学生さんが喜んでやってくれるわ。あなただって、冬休み中に仕上げないといけないんでしょ」

「まあ…、そうだけど。それじゃあ、よろしく」

「あ、ちょっと待って」


 用が済んだので自室へ戻ろうとすると、母は何か閃いたように、木彫りの熊をポンと叩いた。

 一瞬、胸がギクリとする。


「そう言えば冬休みが明けたら、すぐに三連休があるわよね。成人の日で、お休みでしょ。もしあなたの都合がよければ、三連休に北海道まで行って、村元のおばさんの様子を見て来てもらえないかしら」

「ああ、そのこと。それならもちろん、構わないよ」

「よかった。それじゃあ空港まで付き添ってくれる人を、誰か手配しておくわね。札幌では、おじいちゃんに迎えに来るよう、伝えておくわ」

「わかった」


 すっかりピカピカになった木彫りの熊は、うっすらホコリを被ったままの、元の木製ラックの上へ戻された。

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