40 犠牲

「アイリ」


 放課後、学校からの帰り道。十字路を直進した辺りで、後ろから男子に声を掛けられる。

 声の主は、そのまま隣まで駆け寄って来る。


「ヒロト。珍しいね。帰りが一緒になるなんて」


 吐き出した息が、白くなる。十二月も後半に入り、寒さが増している。


「いつも同じような時間に、この辺りを歩いてるよ。普段は見掛けても、いちいち声を掛けていないだけ」

「そっか」


 たしかに、方向が同じだからと言って、一緒に帰る義理はない。


「お前、今日もこの後、ボランティアに行くの」

「いいえ。今日は水曜日だから、お休みよ。中学生のボランティア活動は、連続して最長三日までって、条例で決められているの。だから、週中日の水曜日はお休み」


 そして今日は、『ひだまり』へ行くのもお休み。

 最近の急激な冷え込みのせいか、大稚は風邪をひいたらしい。北海道出身なので寒さには強いイメージだけど、本人は東京の汚れた空気や、慣れない水のせいだと釈明していた。

 咳が出る程度で熱はないそうだが、高齢者施設への訪問は控えた方がよい。キャンセルの連絡が、午前中にあった。


 何となく、今日は会いたかったので、残念。


「そっか。まあボランティアも仕事みたいなもんだし、休みなく活動するのは、大変だよな」

「個人的には、大変だなんて思っていないけどね。いろいろと勉強になるし、他人の役に立つのは、結構気持ちのいいものよ」

「へえ。そうなんだ」


 ヒロトは、ボランティア活動に参加していない。学校の部活動にも参加していない。 医者を志す彼は、少しでも多くの勉強時間を希望し、活動不参加が認められている。

 毎日学校が終わった後は直帰し、勉学に励んでいる。


「それでヒロト、私に何か用」

「ああ。用っていうか、あの人たち、どうだった。アイリも、話をしただろ」


 あの人たち。

 人権団体の人たちのことか。


「どうって、別に、普通よ。生活に不自由はないし、平穏な学校生活を送れている。ボランティア活動も、やりがいがあって楽しい」


 全部、正直に答えた。


「ヒロトこそ、ずっと首を横に振っていたみたいだけど、何を訊かれていたの」

「何だよ。見てたんだ」

「見えたのよ」


 うちのクラスの、前だったから。


「あなたは放課後、何の活動にも参加していないようね。優秀なあなたを医者にするために、本部はあなたがやりたいことを、禁止しているのかしら。無理やり勉強漬けにされているんじゃないの。ってな感じ。そうではないって何度も説明したけど、今本当にやりたいことは何なのか、教えて。本当の将来の夢は何って、しつこかったよ。実際は真逆で、俺は俺のやりたいことを今、存分にさせてもらっているのに」


 女性の見当違いを思い出すとこみ上げたのか、あはははと笑う。

 けれどその横顔は、どこかぎこちない。目は完全に笑っておらず、表情はやや曇り気味。

 女性の言葉に、何かモヤッとする部分でもあったのだろうか。


「…そう言えばヒロトは、小学生の頃よく一般の子たちと一緒に、サッカーをして遊んでいたわね。すごく楽しそうだったから、中学ではてっきりサッカー部に入るものだと思っていたわ。部活動は許可されているし、あなたなら文武両道も可能だと思うけど、どうして入らなかったの」


 乾いた笑い声が、ピタリと止まる。

 訝しそうにこちらを向くと、今度はふっと鼻で笑う。


「…お前がそれを、俺に訊くの」

「…へ、それってどういう…、あ」


 次の瞬間、ハッとする。彼の気持ちを考えない無神経な発言を、すぐに後悔した。

 そうだった。元から部活動に関心がなかったために、すっかり忘れていた。


 HPCに部活動が認められるのは、将来の目標とつながりがある場合のみと、決められている。部活動にも、税金が使われる。趣味程度の活動では、国民から理解が得られない。

 運動部に所属しているのは、自衛隊や救助隊など、強い肉体が求められる職業を目指している子たちだけ。文化部に所属する子はなく、多くがボランティア活動を選択している。


 残念ながら、医者とサッカーに明確なつながりはない。もちろんどんなスポーツも、心技体を養うものではあるけれど、税金の投入となると審査は厳しい。


 ひょっとすると人権団体の人たちは、その不公平な部分を、指摘したかったのだろうか。

 だからしつこく、ヒロトから証言を得ようとした。


「ゴメン」

「別に、いいよ。俺は今、やりたいことを、ちゃんとやらせてもらえているし」


 それでもきっと、心の奥底に、歯がゆい思いはあるんだろうな。おそらくスポーツ活動に取り組めるのは、中学生の今だけだし…。

 最後まで本音を隠し続けたのは、立派だと言ってあげたい。


「俺は心から、医者になりたいって思ってるよ。優秀な外科医になって、病気で苦しむ多くの人たちを救ってあげたい。そのためにはたくさん勉強しないといけないし、犠牲も必要だって理解している。HPCに限らず、夢や目標を叶えるためには、犠牲の一つや二つくらい誰にだってあるもんだろ。もしサッカーが認められていたとしても、俺はきっと、入部していなかったと思うよ」

「…そう」


 犠牲…か。

 何か、心に沁みる言葉だな…。

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