39 嫌な思い出

 彼らと最初に出会ったのは、小学校四年生の頃だった。

 HPプロジェクトが用意した団地敷地内の畑で、HPCコミュニティの仲間たちみんなで作物栽培をしていた時。


 代表と思われる女性が側まで寄って来て、同情をまとわせた瞳でこう言った。


「これは、強制的にやらされているのよね」


 意味が、よくわからなかった。


 畑作業は毎日の日課みたいなもので、純粋に楽しんでやっていた。自分の手で育てた作物を口にする際の興奮は、きっと経験のない人には理解できないだろう。新鮮な作物のあまりの美味しさに、感動したのを覚えている。獲れた野菜や果物を地域のお年寄りにお裾分けし、喜んでもらえるのも嬉しかった。

 土を通して多くのことが学べたし、放課後畑へ向かうのが、待ち遠しい日もあったくらいだ。


 けれどあの人たちは、「これは児童労働だ」と言った。「児童に奴隷労働をさせるのはやめろ」と言って騒いだ。

 畑作業をどう思うかと訊かれ「楽しい」と答えたけど、「そう言えと、言われているのよね」とも言われた。

 何が何だが、ワケがわからなかった。


 結局畑は閉鎖され、HPCのボランティア活動は中学生以上から、本人の意思でのみ活動可能と、区の条例で定められた。


「HPCの無垢な子供たちを、私たちが守った」


 メディアの前で誇らしげに語る、あの人たちの姿。突然大好きな遊びを奪った人たちの勝ち誇った顔は、とても滑稽に映った。


 彼らはHPCを、社会の不条理から守るために活動している。その意義は、耳が痛くなるくらい、何度も聞かされている。


 けれど、あの人たちが本当に味方なのか、今でもよくわからない。


「あ、あの男子」


 妃都絵のはずむような声で、我に返る。


「三組にいる、HPCじゃない」


 廊下側の窓へ向け指さす先には、やや色白で背が高い、目元が前髪で覆われた、男子生徒の姿。

 昼休み中は空気入れ替えのため、廊下側の窓はすべて開けられている。


 トイレから教室へ戻ろうとしているのか、濡れた手を乾かすようにパッパッと振っている。進路をふさぐ女子生徒を軽やかなステップで交わすと、通り過ぎる際にチラッと睨んでいる。


 その彼に、団体の日本人女性が近づく。

 手元のタブレットで顔と名前を確認してから、声を掛ける。


「ああ。彼は、木嶋ヒロトよ」


 ヒロトは女性と正面で向き合うと、煩わしそうに顔を歪めた。

 わかりやすいヤツ。


「そうそう、木嶋君。すっごい、頭がいいんだってね。お医者さんを目指してるって、誰かが言ってた」


 とびぬけた生徒というのは、人の噂のネタにされやすいものだ。実際ヒロトの秀でた頭脳は、誰もが認めるところ。

 加えて彼は、医療系ドラマに出て来る俳優のように、顔もいい。


「そうね。この間、英検一級に合格したって、言っていたわ」

「へえ。さすがだね」


 何を訊かれているのか、ヒロトは終始首を横に振っている。

 あまりにも否定ばかりするため、女性は困った顔をしている。思い通りに行かない相手に、手こずっているよう。

 しびれを切らすと、目を大きく見開き、両手でヒロトの肩をがっちりつかんでいる。

 得たい回答を何としてでも引き出そうと、必至の様子だ。


 一体何が知りたくて、どういう回答を期待しているのやら。


 ヒロトは幼い頃から、驚くほど勉強がよくできた。きっと今の彼の頭の中は、女性の本性を見極めるさまざまな計算式で、いっぱいに違いない。

 彼には、そういうセンスがある。


 本人いわく、「まずは相手の話を、否定から入るのがポイント」らしい。

 一度「それって、嫌われる人のタイプよ」と忠告したが、意にも介していなかった。


「あ、あの外人さん、こっちに来るみたいよ。アイリから、何か話を聞きたいんじゃないかしら」


 金髪の女性が教室内に足を踏み入れ、蝋人形のような笑顔でこちらへ向かって来る。


「…そうだね」


 以前にもこの女性とは、話をしたことがある。イザベラさんって、言ったかな。

 彼女は日本語が堪能だけど、いろいろと勝手に決めつけるところがあるので、苦手だ。

 まるで、正義を押し付けるような物言いをする。

 「ワタシタチハ、アナタタチヲ、タスケルタメニ」が、口癖のような人。


 正直、面倒くさい。


「コンニチハ。コゾノアイリサン」


 握手の求めに応じると、長い指にまるまる手が包み込まれた。

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