34 本間啓祐(3)提供

 あの日のことは、今でもはっきり思い出させる。


 市内には、その冬初めて降る雪が、朝から舞っていた。年内最後の講義を終え校舎を出ると、目の前にはうっすら雪化粧をした、趣ある光景が広がっていた。その時間帯は雲の合間から日が差しており、光に照らされた真っ白な雪が、キラキラ輝いていたのを覚えている。眩しいほどに、美しかった。

 これから狭い個室へ入ってAVを見るのだと思うと、複雑な気分にもなった。


 ドナーバンクが設置されていたのは、医学部の学舎内。同じ大学内でも、立ち入るのは初めてで、少し興奮した。


 受付を済ませ案内されるがまま別室に入ると、そこには順番を待つ複数の男子学生がいた。お互いの間はパーティションで仕切られており、個々の顔色は窺えなかったが、場にはそわそわする緊張感が漂っていた。


 一人ずつ順番にブリーフィングルームへ案内され、まずはそこで詳しい説明を受けた。

 提供した精子は、ただちに東京の専門機関へと運ばれる。そこでランダムに選出作業が行われ、選出された精子と卵子から、受精卵が作成させる。受精卵は使用されるその日が来るまで、凍結保存される。というのが、大まかな流れ。

 受精卵の使用時期については、未定とされた。


 当時は女性よりも男性ドナーの方が圧倒的に多かったため、選出されなかった精子については、他の目的へ寄付するか、廃棄処分にするかのどちらかを選択できた。 

 一応、廃棄処分を選択した。


 つまりドナーになったとしても、必ずしも、自身の遺伝子を持つHPCが誕生するとは限らない。当時の時点で、その確率は百人に一人程度と噂されていた。男子学生たちが、気楽に小遣い稼ぎとしてドナーになったのも、それが理由の一つである。


 それにランダムと言っても、どうせ一流大学の成績優秀な学生のモノから選出されるに違いなかったので、多くの学生たちは、自身のモノは選出外に決まっていると考えていた。

 もちろん自身も、そう信じていた。


 あれからおよそ、十七、八年。今ではドナーになったことすら、すっかり忘れていた。


 HPプロジェクトは世論の反発もあり、実際の運用開始までには数年を要した。

 第一期のHPCが誕生したのは、ドナーバンク開設から三、四年が経った頃。まずは、十名のHPCが誕生した。翌年は三十名、その次の年は五十名と、年々人数は増えて行った。

 現在は、年間百名前後と聞く。


 そしてここ東京都京文区に、史上初となる、HPファミリーの生活居住区域が開設された。HPファミリーの居住区域を管轄する自治体は、区名や市名の後ろに「HP」が加わる。現在の正式名称は、東京都京文HP区。『HPファミリー発祥の地』、と言えよう。


 その後居住区域は、全国のおもに都市部へと広がっている。


 役所サイトによると、京文HP区内で生活するHPCは、全部で九十名。第一期から三期までの、すべてのHPCだ。

 最年長は、中学二年生。

 HPCの中学生は全員、区立さくら中学校に在籍している。


 その中の一人が思いがけず、目の前に現れた。


 小園アイリは、第一期十名のうちの一人。

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