33 本間啓祐(2)ドナーバンク

 あの時から数えれば、およそ十八年が経過したことになる。


 『HPプロジェクト』


 政府肝いりの少子化対策を初めて耳にしたのは、大学に入学して間もない、まだ十八歳の頃だった。当時は介護福祉士になるため、地方の実家を出て、関西にある医療福祉系の私立大学に通っていた。資格取得率や、その方面への就職率の高さに定評のある、そこそこ名の知れた大学だった。


 HPプロジェクトが国家プロジェクトとして本格始動したのは、二年生に上がった頃。

 まずは医学部を有する全国各地の大学構内に、精子、卵子のドナーバンクが開設された。


『日本の明るい未来のために、あなたの遺伝子を残そう』


 それが、掲げられたスローガン。

 医学部を有する大学が優先されたのはおそらく、質の高いドナーを確保したかったからだろう。

 ドナーになれるのは、二十歳から。

 人間の本能とでもいうのか、「遺伝子を残す」という言葉には、妙に奮い立たされたものである。


 ドナーバンクは開設当初、学生たちから距離を置かれていた。みんな何か得体の知れないプロジェクトに、警戒心を抱いていたためである。世界に誇るヒューマノイド技術こそ高く評価してはいたものの、子供を人工的に量産するという政策には、否定的な若者が多かった。


 しかしキャンペーンに人気芸能人などが起用され始めると、しだいに協力を申し出る学生は増えて行った。

 一時は献血や募金のように、カジュアルな感覚でドナーになる、ムーブメントさえ沸き起こった。

 単純に謝礼金目当ての学生も少なくなく、半年が過ぎた頃には、アホの遺伝子を残すのは罪だなどと茶化し合う、変な盛り上がりを見せたものである。

 当時の社会状況の悪さも後押しし、子供の量産に否定的な声は、徐々に鳴りを潜めて行った。


 そして個人的にドナーになる決意を固めたのは、三年生になった時。所属していたサークル内で、同調主義的な流れが起こったのがきっかけである。

 いわゆる、みんながするなら自分も、というやつだ。

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