31 返事

 大稚はズレた背中のリュックを整えると、数段残す階段下目掛け、一気にジャンプする。階段下で渦巻く落ち葉の上に、両足で着地した。


 先ほど真剣に見入っていた、落ち葉たち。そのことは、覚えているのかな。

 見ると、足元も確認せず、前方を見据え、普段と同じように颯爽と歩き始める。

 どうやら、覚えてはいなさそうだ。踏みつけられた落ち葉たちが、ちょっとお気の毒。


「ねえ。楢野君」


 どんどん先を行く、背中。

 半分無意識に、口が開く。


「待って」


 けれどこれは、置いて行かれそうになった焦りから、出た言葉ではない。呼び止めたのには、理由がある。


 話の流れからのついで、と言うのもなんだけど、こちらも一つだけ、どうしても今確認させてもらいたいことがある。


 大稚が足を止め、振り返る。


 体がちょうど街灯の真下に位置したおかげで、全身がキレイな黄金色に染まる。


「早くおいでよ」

「あ…」


 浮かしたお尻が、ストンと落ちる。目の前にある光景に、魅せられしまった。


 スポットライトを浴びる、スラリと伸びた立ち姿。見惚れずにいられない、目鼻立ちのコントラスト。風になびく、一本一本の髪の毛。

 足元で小さく円を描く落ち葉までもが、雰囲気を効果的に演出している。


 ふと、肩に巻かれた大稚のマフラーを思い出した時には、言葉で説明できない、変な気分になった。


「あの…、私も一つだけ、楢野君に今、確認させてもらいたいことが…あって」

「そうなんだ。何」


 腰を上げ、階段を下り、少し駆け足で側まで行く。一歩手前まで近づき、足を止める。

 ちょうど大稚の体に遮られ、街灯の明かりが届かない位置。


「その…」


 風がヒューっと、二人の間を通り抜けた。

 煽られそうになった、マフラーの端をつかむ。

 その手に、ギュッと力が入る。


「亜沙乃さんのこと、なんだけど…」

「亜沙乃さん…、ああ」


 一瞬、無垢な表情を見せる。

 思い出すと口をつぐみ、空へ目を向ける。


「断った…のよね」


 期待はしなかったけど、すぐに返答はない。


 遠くの星を見るように、目を細める。眉をしかめ、何か考え事をしているよう。

 どう説明しようか、考えているのかな。


 しばらくすると、軽く左右の口角を上げ、身を翻すように背中を向けた。


「さあ、どうだったかな」

「…へ」


 何。今、何て…。

 どういう意味だろう。

 ひょっとして、はぐらかしたの?


 まさか、こんな一面があるなんて、思いもしなかった。想定外だ。


 やっぱり、断り切れなかったのだろうか。相手が相手だし…。

 余裕はなかったけど、亜沙乃さん本人から、聞いておけばよかったかな。


「あの、楢野君…」


 なぜだろう。何だか、涙が出そうになる。きっと吹き付ける冷たい風が、涙腺を刺激しているせいに違いない。

 目の中に差し込む街灯の明かりも、やけに眩しく感じられる。目を開けていられない。


 一歩も前へ進めずにいると、大稚は数歩行ったところで、再び足を止めた。

 今度は、振り返らない。

 うっすら目を開くと、コートのポケットに両手を突っ込み、肩で一回息を吐く姿が映った。


 何か言おうとしている。


 何となく、これ以上は聞きたくないかも…。


「…小園、一つだけ言っておくけど」


 口調が一変し、誠実さを帯びる。


「僕は決して、君がHPCだから哀れむとか、同情心から『ひだまり』に誘ったのではないよ。絶対に。小園のことは、大事な友人だって、思ってる」

「…へ」


 想定してない、言葉だった。

 大稚は、あの時の南朋とのやり取りを、聞いていたようだ。


「あと、これは僕からの、勝手なお願いなんだけど」


 お願い。


「…その」


 右手をポケットから出し、首元に添える。


「できれば、僕のことを、信じて欲しいな」


 真っ暗だった目の前が、パッと明るくなる。まるで、心の明かりを、灯されたように。


 信じる。


 …そうだった。大稚は初めから、亜沙乃南朋の告白を断るつもりでいた。あの時点で、明確な意思を伝えてくれていた。

 それなのに、どうして疑ってしまったのだろう。


「…うん」

「早く帰ろう」


 手が伸びて来て、手袋をつかむ。

 いつも縦に連なって歩いていた大稚との距離は、その日初めて、ゼロになった。

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