30 親と子

「その、たとえば自分のドナーが、もし今、目の前に現れたとしたら、どう思うのかな…と思って」

「どうって言われても…、たぶん、何とも思わないんじゃないかしら」

「何とも…って、まったく、何も感じないの」

「感じないと思うわ」


 サラッと答えると、呆気にとられたように、目を丸める。予想した回答とは、違ったようだ。


 一体どういう回答を、想像していたのだろう。

(胸が苦しくなる。本当の親だと認めてはいけない。親近感を持ってはいけない。それが、運命だから。)

 そんなところかな。


「でも、血のつながりがある、本当の親だよ」


 体が少し前のめりになり、顔がより接近する。

 ちょっと、近すぎるかも…。


「血のつながりって、言われても…」


 正直、それが何なのかすら、よくわからない。


「私にとっての親は、今一緒に生活しているHPの両親だけよ。ドナーの方々に対しては、つねに感謝の気持ちを持ってはいるけど、親という認識は一切ないわ。強いて言えば、どこかにいる遠い親戚とか、そんな感じかしら。本当よ。これだけは、はっきりと言える」


 大稚はまだ、HPCのことを完全に理解できてはいない。教えていないから、当然だけど。

 どういう環境で育ち、どういった教育を受けているか。普段、何をしているか。


 今言ったことは、紛れもない本音。


「つまり、たとえ実際にドナーと対面したとしても、ほとんど赤の他人としか認識しないっていう、そういうことなのかな」

「そうね。そうだと思う」

「…そっか」


 それにしても、いきなりドナーの話をするとは、どういう心づもりなのだろう。

 以前からずっとって、言ったけど、どうして…。

 事情…。


 ひょっとすると、本間啓祐さんのことを言っているのだろうか。

 ふと、そう思えた。

 もしかすると、多恵おばあさんの発言を、気にして…。

 それなら、この質問の意図にも納得がいく。


 多恵おばあさんは現役時代、遺伝子関係の研究者をされていた。今は認知症を患い、おっしゃることは信憑性に乏しいけど、完全なる思い違いをされているとも言い切れない。

 ああいう自信は、経験から来るものだろうし。


 啓祐さんにしても、HPプロジェクトとは関係がないと言っていたけど、事実ではない可能性もある。誰にだって、他人に知られたくない過去はあるだろう。


「小園は、そういう感じなんだね。すごく、割り切っていると言うか」

「そうよ。私だけではなく、HPCはみんな同じだと思う。だから、何も心配しないで。多恵おばあさんの言っていることも、全然、気にしていないわ」

「ばあちゃん…、ああ、そっか。よかった」


 真実なんて関係ないし、どうでもいい。

 本間啓祐さんは『ひだまり』で働く、一人の介護福祉士。ただそれだけ。


「それを聞けて、安心したよ。不躾な質問をして、ゴメン。でも、本音で話してくれてありがとう。小園や、HPCについて知ることができて、何て言うか、勉強になったよ」


 先ほどまでの固い表情が、和らぐ。寒さを忘れさせてくれるほどの、爽やかな笑顔。

 やっぱり大稚は、自然体が一番いい。


 心配事が解決し肩の荷がおりたのか、両腕を高く上げ背伸びすると、そのまま後ろへ倒れ込む。薄暗い空の彼方の、さらに遠くを見るような眼差しで、フーッと息を吐き出す。


「もう暗いから、早く帰らないと、君の親が心配するね」


 そう言うと、反動をつけるように足を振り上げ、サッと立ち上がる。


 日はすっかり、落ちている。辺りは、街灯の明かりのみ。

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