第10話 あなたが



 四階の広間。

 先程までそこに存在していた、平穏そのものを体現したかのような静謐せいひつな風景。

 

 夏の日の午前中。

 大きな窓枠の向こう側から雉鳩きじばとがホーホーと鳴く声が聞こえてくる。

 勿論、天井高くに飾られていた、あの小洒落たカンテラ型のシーリング・ライトだって無事だった。


 私たちは、確かに元の次元へと帰ってきた。


 ''ドーダちゃん''の目貫めぬき部分には今までに見たことない高スコアが表示されていたが、最早それに構ってやれる気力もなかった。

 流石に朝っぱらから、立て続けにを繰り出すとは思っていなかったからだ。


 私はキリキリとした疼痛とうつうを発するこめかみに左手をあてがい、そのまま目頭を揉んだ。

 続いて凄まじい倦怠感と、眠気が全身に襲いかかる。


 ──まだだ。

 ──まだあと''二戦''ぐらいなら、何とか気を失わずにいけるはずだ。


 最早、「1日1ターン」だなんて抜かしていられる余裕はない。

 あと二匹叩いた後に、少し休息が取れれば……



 世にも奇妙な透明マントから脱出したギャル助手は、私のバッグから勝手に取り出したハンドタオルを使って、無言でその額の汗を拭っていた。

 しばらくしてノキアちゃんは、いつになく真剣な表情で喋り出した。



「(……尋問、なんて出来る状況じゃなかったよね。そりゃ……)」


「いや、もう答えは出たよ。『子分を全匹狩らないと、親分様は出てこない』って。そんであいつら……''カイン''と''アベル''はただの残滓カス、この次元に辛うじて留まった幻影みたいなもん。恐らく、宇霊あいつらが産み出される際に生じる……それで私の身体から、毎日発信されてる微量の電気信号、電磁波に釣られて……前の席にいた定良さんの肩に取り憑きやがった。親分様に取り入って、''復活''に向けて日々強化されてるから、今やその心肺機能まで乗っ取ってて……」



 私はつい憤懣ふんまんに駆られて、足元の床を上履きで思い切り踏み抜いた。

 こんなことをしたって、何の意味もないのに。

 激しい衝撃と摩擦音が生み出した即席の熱が、足の裏全体にジンワリと広がっていった。



「(……なんで分かるの?)」


「さっき、ゲロったんだ。『虚空』を脱出する瞬間に……」



 ◆◇◆◇


 

『虚空ノ手』の崩壊──

 眩い閃光が視界を駆け抜ける。

 すると耳障りな呻き声が、どこからか聞こえてきた。

 度重なる大気の振動と世界の陥落の衝撃により、やや前方の床を転がっていた定良さんの背が、こちらへと向いていたのだった。


『ウギャギャギャギャ! 何テコッタ! 親分様ノ世界ガ! 破ラレチマッタ! 全ク! 最悪ダ!折角二戻レルト思ッタノニ!』



 ◆◇◆◇



「(──親分様の世界・・・・・・……じゃああの、背景すら現実と殆ど同じだった『虚空』の中は……)」


「そう、神隠しの原因になったりするような、単なるチャチな未完成の結界──この世界の再現リプレイじゃない。『まったく新しい世界』。そんで、私たちをあそこまで無自覚に転移させられるほどの力。それを付与されたあの猿は……私たち3人を取り込むので精一杯だったところを考えると、恐らく''中ボス''ってとこかな。先週の金曜に狩った雑魚ですら使ってた・・・・ぐらいだからね。子分たちを総動員して、全員で力を合わせて、あそこまでコツコツと開拓・・してきたんでしょ。そんで自分は一人、安全圏で様子見よ。子分たちが餌を、せっせと『自分たちの世界』に取り込んできてくれるのをね」


 詩座ノキアは青ざめた顔をしながら呟いた。


「(……じゃあ、あいつらは……)」



飲み込もうとしてる・・・・・・・・・んだろうね。この学校を起点にして……この地球を。いや……''宇宙''って言ったほうが正しいか。そしたら皆が皆、好きなだけ獲物をチューチュー吸い放題だからね。だから、早くしないとヤバいかも」



 有能ギャル助手は「チープ・スリルズ」の端っこを掴んでは、自らに覆い被せた。

 この世界からその姿を消した彼女は、とてもか細い声でヴェールの向こう側から呟いた。


「(……ごめん。流石に無理だわモネっち。そんなにスケールでっかくされるとさ……)」


 私はノキアちゃんの元に歩を進めて、彼女の肩にそっと手を触れた。

 

「……君が言ってた、人間の悪意のエネルギーが宇宙の光線を涵養かんようしてるってのは、ある意味正しかった。''視察''だろうが''侵略''だろうが、光線は理由があって地球ここに飛ばされてきてる訳だからね。きっと誰かがその''存在''を受信キャッチして、自分の都合の良い解釈で、自分の都合の良いように利用してる……」


 すると私の脳裏に、遠い昔の日にお爺ちゃんから聞かされた、あの言葉の断片フレーズが去来してきた。



「──モネ。また新たな脅威がこの地球に近付いとる。これは必ず、わしの代で終わらしてみせる。だからお前は心配しなくていい。家のことだって、気にしなくていいんだ」



「……きっと剣取うちの人らは、月桃ここが単なる''ホットスポット''だとしか捉えてなかったと思う。でもそれは正確には──『醸成場所』であり『秘密基地』だったんだよ……『宇宙からの光線を利用して、この地球を侵略する』ための。ノキアちゃん、モニターに''ホットスポット''の表示はまだある?」


「(……ある! まだ残ってるぞ! ええーっと場所は……)」


「大丈夫、自分で確認するから。ノキアちゃんたちは、ここまででいいよ」



 私は少し離れた場所で内股座りをしながら俯いている定良さんの元へと歩み寄り、彼女をゆっくりと抱きしめた。

 定良さんは無言で、私の腰の後ろ側へとその細い腕を回した。

 

 そのまま数十秒経過すると、徐々にその身体の震えは収まっていった。

 顔を上げた彼女と、無言のまま数秒間見つめ合った。


「……すみません、全部全部、こんだけクソ馬鹿で何も気付けず、クソ怠惰で何も動かなかった私のせいです。今まで、危ない目に合わせてきてごめん。でも本当に、ありがとう。後は私一人でやるから。定良さんは、取り敢えず安全なお家に隠れてて。私はまだまだ動けるから、大丈夫。土日にたっぷり休んでるから」


 定良さんは黙ったままこちらを見つめていた。

 微熱にうなされたような瞳と頬、今ではその華麗なインナーカラーの赤とは対照的な、戸惑いの色を帯びている。


 初めてオカルトの領域を、軽々と飛び越えていった動揺。

 初めてSci-Fiの領域の切れ端に触れ、異形の者を直に目にしたという恐怖。


 私は再び、定良さんを強く抱きしめた。

 そして、今更になって自分の愚行に気が付いた。


「いやいやいや! すみません! こんなベタベタして! 暑苦しかったですよね! すみません!」



 彼女から一旦離れた後、助手であり、''相棒''の元に振り向いては呼びかけた。



「──私一人で、''今日中に全部片付ける''。ノキアちゃんたちも今日、緊急・・でここに来たと思うけど、もう潮時だよ。早く家に帰って。それに月桃うちのお淑やかな制服は、ギャルには似合わないでしょ? もう、無理矢理スカート短くしなくたっていいんだよ。明日から、いつものアホ高の制服に戻って」


「(おい! どっちにも良さがあるだろ! じゃなくてアホ高じゃないわ!)」



 ノキアちゃんは乾いた笑い声を上げた後、柱の側のベンチ下に隠していたボストンバッグを取り出し、「チープ・スリルズ」を中へとしまった。

 それを肩で担いだ後、またいつにもなく真剣な表情で私に話しかける。


「(でも……モネっち……)」


「大丈夫……今までありがとう。じゃあ──」


「(ほんっとにありがとう! じゃあ! 後は一人で頑張って! 今まで貴重な体験出来て楽しかったよ! じゃあ!)」



 そう言うとギャル助手は、まるで台風に追われて急ピッチで引っ越しを終えようとしている浜辺のヤドカリのように、その場を早急に立ち去ろうとしていた。



「──え? 帰んの?」


「(いや帰るよ。当たり前じゃん、そっちが言ったんじゃん)」


「いや……そりゃそうなんだけど……なんかこう、こういう時って、あんまそんな、すんなりいかないというか……『そんな水臭いこと言うな! うちも地球の平和を護るために、一緒に戦うよ!』みたいな感じで、割と食い下がるの多いじゃん、普通……」


「(いやいやいやいや、もう一般人パンピーには無理だから。話が無理な次元に来てるから。絶対死ぬから。今まで・・・のとは全然、レベルが違うから。ちょっとあまりにも、やべーことに顔突っ込み過ぎたから。月桃高校宇霊バスターズ! これにて『解散』! 非常に短い──ていうか多分、時間としては数十分も経ってないぐらいの刹那の活動期間ではあったが! 諸君! これまでご苦労であった! 大義であった! それじゃあまた……詩座ノキアはクールに去るぜ!)」


「うん……まあ、とにかく後は任しといて! 家への報告も頼むよ!」


「(おう!)」


「──剣取さん」



 再びその清澄で透き通った声のする方へと、私はふらつきながらも歩を進めた。


 すると1限の終わりを知らせるチャイムの音が構内に勢いよく鳴り響き──


 遠くの教室から、生徒たちがゾロゾロと動き出す雑音が次第に聞こえてきた。

 今日もこの世界は、こうやっていつも通りに運用されていくのだ。

 私たちが、この宇宙の存続の危機に直面している間に。



「──ごめん。ちょっとあたし、まだ腰抜けて立てないかも」


 定良さんの震える声が、小さく聞こえた。


「あっはい! 担ぎますんで」


「(ああもう! もう人来ちゃうぞ! 見られたら色々面倒だから、ちょっとこれ被ってやり過ごしといて! 間の休憩って確か10分ぐらいっしょ! じゃ! うちはもう行くから!)」


 ギャル助手は、後ろから2枚繋ぎになった大きな透明マントを私たちに向かって放り投げた。

 私はそれを片手で掴み、6本ある内のひとつ、巨大な柱の影へと、定良さんを肩に担いで移動させる。

 普段ならなんてことはない作業だが、一瞬、四肢には鋭い痛みが走り抜けた。



「(──じゃあ、モネっち! 死ぬなよ! 絶対!)」



 去りゆくノキアちゃんが飛ばしたげきに向かって、私は右の拳を突き出す。

 そして私たちは、柱の影に座り込んではその身を透明化して秘匿したのだった。



 周囲の喧騒が、淀みなく流れてゆく。

 外界から薄く隔てられた閉じた世界の中で、私たちは体育座りになってその身を寄せ合っていた。

 ──そしておよそ5分ほどが経過した後、ふと我に返った私は、隣の美少女に対して小声で弁明する運びとなった。



「……いや! 違うんです! 別に変態な訳じゃなくって、私もちょっと、休みたいなって──」


 するとどこからか伸びてきた冷たい指先が私の頬に当たり、やがてその全体を包み込んだ。

 そしてゆっくりと向けられた視線の先には、定良さんの顔があった。



「剣取さん、正直に言って。体調、悪いんでしょ?」



 薄暗がりの中でもはっきりと分かる。

 本当に羨ましい、誰の目から見ても可愛らしい顔。


 クリクリとした丸目。スッと通った鼻筋。彫りの深い顔。薄い唇。形のよい卵のような輪郭線。

 前髪なしのハンサムショート。インナーカラーは赤。


 暗闇の中、限りなく至近距離で、彼女の微細な息遣いを感じた。

 熱い吐息が、私の首筋にかかる。

 ふいに変な声が小さく漏れ出てしまう。慌てて口を塞いだ。

 


「ねえ……剣取さん」


「あれ……? なんでしたっけ?」


「体調、悪いんでしょ。いっつも保健室に連れてく時と同じ顔色してる」



 その凛とした眼差しが、暗闇を切り裂いては真正面から私を捉えている。

 なぜだか頬が急に熱くなるのを感じて、思わず目線を下げて俯いてしまった。



 ──なんだっけ? 

 ──こんな場面シーン、確か……「勿忘草わすれなぐさ」でもあった気がする。

 ──確かあれは3巻の''冬の林間学校編''で、夕方に宿泊ホテルを目指して湖畔に沿って森の中を歩いていた当時小学5年生のいくちゃんとひーちゃんが、木立の中で迷子になってしまって、そのまま日は暮れてしまい、冷たい暗闇の中、大きな樹の幹に腰掛けたふたりは──



「聞いて、ねえ聞いてよ。剣取さん。ねえ」



 その両の掌は私の視線を持ち上げて、薄闇の向こうには再び彼女の顔が映し出された。

 私の胸は早鐘を打ち鳴らし始める。

 今にも口から飛び出してしまいそうなくらい──


 薄く隔てられた外界の喧騒が、夏の日の空気を伝ってこちら側へとそっと運ばれてくる。

 柱の影にいる私たちを素通りして、今日も世界は通常通りに動いている。

 皆が各々の方向へと、それぞれ歩を進めているのが分かる。

 

 

 いつもと同じ──

 変わらない日常──



 気が付くと私の両目から、大粒の涙が次々とこぼれ落ちていった。

 いつも困ったときにやっている、嘘泣きとは違って。

 何度も、何回も。

 心からの感情が、せきを切ったように溢れ出してきた。



「──そう、そうなんです。実は……そうなんです。もう身体が痛くって、気を抜いたらまた眠っちゃいそうなほどフラフラして、しんどくて……もう、どうしよう? 最悪最悪最悪最悪、何もかも最悪。なに? 私にどうしろっていうの? 私一人に一体、どうしろってさあ? こんな何もかも大袈裟で、無茶苦茶な話……何が、『百年に一度の天才』なんだよ。知らねえよ……皆、寄ってたかって担ぎ上げて……結局、楽したいだけなんだろ、大人は。こんな子供一人に全部、全部、全部面倒ごとを押し付けて、挙句の果てには宇宙の命運まで……もう最悪。ほんっとに最悪。目の下のクマだって消えないし、ほんっとしんどい。最悪最悪最悪最悪。帰りたい……私だって、本当はこんなことで死にたくな──」



 定良さんの両腕が、私を強く抱きしめた。

 その震える肩、重なった身体には、今でも鼓動が存在しない。

 それでも確かに、私にしか見えない、私にしか聞こえない音がそこにあった。

 私の心臓が絶えず刻み続ける生命の脈動を、今はこうして彼女と分かち合っていたい。

 それは紛れもなく、今の私にしか出来ないことだった。



「……剣取さん。あなたが今までどんな人生を歩んできたか、あなたが今までどんな気持ちでいたかなんて、あたしには分からない。全然、分からないけど……」



 定良さんの震える声が、次第にいつもの調子に戻るのを感じた。

 いつも私の前の席で、太陽のような明るい光を放っているあの声だった。


 私は、定良さんに更に強く抱きしめられる。

 出来れば一生、こうされていたいぐらい──それはどこまでも、温かくて優しい感触だった。



「あなたが転げ落ちそうになった時はいつも、あたしが支えてあげるから!」



 すると突然、周りを取り囲んでいたヴェールは引き剥がされ──

 私の目の前には、新しい世界が広がった。



 2限目の開始を告げるチャイムの音。

 遠く向こうの教室の中で、また新たに授業を受けている生徒たち。



 振り返ると、2枚の黒い液晶レンズをかけたノキアちゃんが、右手にマントの端を摘んだままそこに突っ立っていた。

 

 私はふと気付き、自分の耳元を指先で確認してみる。


 そうだった。

 私たち三人は、どこにいたって聞こえる5G無線イヤホンを、ずっと付けっぱなしでいたのだ。


 そして、思い出した。

 あの時、暗闇の中を彷徨さまよっていたいくちゃんとひーちゃんは、いつもは注意ばかりしてくるけれど、本当はふたりのことが大好きな担任の先生に救出されたんだ。


 ノキアちゃんは鼻を啜りながらサングラスを外して、真っ赤になった目をこちらへと向ける。

 そして、いつもの調子で高らかに宣言したのだった。



「──前言撤回! 月桃高校宇霊バスターズ、ここに『再結成』じゃい!」



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