第8話 月桃高校宇霊バスターズ


 保健室を出て、中央入口エントランスを入ってすぐの長い長い大階段へと移動する。

 四階まで吹き抜けになった、巨大な白い大理石の海。


 私たちはその長い長い段差の列が織り成す階梯かいていを、上履きの底でペタペタと音を鳴らしながら登っていた。


 私とノキアちゃんは、炭素系メタ物質で出来た大型の透明マント──「チープ・スリルズ」に身をすっぽりと包んでいる。



「……きっと幽霊になるってこういう気分なんだろうな、モネっち」



 光の屈折率を操作し、周囲の背景に合わせて透明化したノキアちゃんが、同じく透明化した私に向かって背後から話しかけた。



「……うん、そうかもね。てかなんで二人分しかないの? これ、むっちゃ便利なのに」


「んー。なんか残りは売ったって言ってたけど」


「……マジかよ」


「''売った''っていうか、''技術提供''だよ。どっか息のかかったお偉いさんとこの企業に」


「……もっと駄目じゃん」


「うーん。やっぱそうなん?」


「……どんだけ堕落してくんだよ、剣取うちは」


「……まあ、継承者が仕事をほっぽいてマンガ三昧、映画三昧だしねー」


 私は詩座ノキアを振り向いた。

 無言で。

 鬼の形相で。


「嘘! 嘘! ごめんって! 冗談冗談!」


「剣取さん。こんだけ凄い技術を隠し持ってても、まだ''宇霊うりょう''の出現ポイントや時刻は正確には分からないの?」



 私は前方の段差を登っている、生身のままの定良さんの方へと頭を向けた。

 マントの隙間から、少しだけ目線を覗かせながら。


「……そうなんです。こっちでも、とにかく人海戦術で見張ったり、無茶苦茶計算して粘ったりでやっと''追い付ける''ぐらいで……自然と人出は足りなくなってくんです……」


「''宇宙祓い"は厄介なんだよ定良さん! まあ、『天才計算士』のうちがいれば楽勝だけどね! 大船に乗ったつもりでいてよ! そんでねーモネっち。いっつも思うんだけど、ここってなんでエレベーターねーの? ダルいんだけどー!」



 マントの下で最新型の「ゴールデンアイ」を装着しつつ、不満の声を上げたノキアちゃんの方へと私は再び振り返った。

 黒くて無骨なボストンバックが、その右肩の横で大きく揺れている。


「……分かんない。景観?」


「ねー、これ持ってよ」


「やだ」


「なんでよ」


「体力温存」


「……うーん、じゃあ手筈通りにさ、うちは最上階から……あれ? そういや月桃高校ここって屋上あった?」


「……あれ? どうだったっけ?」


「一応あるけど、封鎖されてて入れないわ」


「あっ! ありがとうございます、定良さん」


「ほい。じゃあ四階に''簡易レーダー''置いて、虱潰しらみつぶしにいきますか」


『(ウキャキャウキャキャ無駄無駄)』

『(無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄)』


「うわ。うっすら声聞こえんだけど……最悪。そういやノキアちゃん、これ・・に尋問ってした?」


「してねーよ。うち、グラサン掛けたらやっと''視える''だけで、何言ってっか聞こえねーもん。え? もしかして何か、手がかり答えてくれそうな感じ?」


「いや……無理かも」


「てかさー。モネっち多分、さっき一体狩って・・・たよな? 本部との通信履歴あったし、そん時は?」


「……すみません、忘れました。なんせ貞操の危機だったもんで……」


「──えっ?」


「いやいや! 別に何ともなかったんで大丈夫ですよ定良さん! ほんとにほんとに」



 私の少し前方を登り続ける、その華奢な脚元。

 規則レギュレーション通りの''膝頭丈''からすっと伸びる、形のよい脹脛ふくらはぎにかけての美麗な曲線が、ふと私の方を振り返った。

 そしてまた、前方に向き直る。

 何だか、ずっと見ていられる……あれ、膝の裏側って何ていう単語だっけ?

 いや、変態か。私は。しかも、こんな状況で。この阿呆が。かぶりを振って我に返る。



「心配なのは私の方で、ほんとに、ほんとに大丈夫なんですか? 定良さん……」



『(ウゲゲゲゲゲゲゲ! 大丈夫ジャナイヨー! 助ケテヨー!)』

『(助ケテモネチャーン! 死ンジャウヨー! イヒヒヒヒヒ)』



 ふたつの顔面が、こちらを見下ろしたまままた高らかに笑い出した。

 私はすぐさま階段を二段飛ばしで駆け上がり、広めの踊り場へと出ては定良さんの真正面へと回り込む。

 そして、「チープ・スリルズ」から手を出して、彼女の細く美しい両手を握った。



「あっ! ごめん! ごめんなさい、ほんとのほんとに大丈夫なの! さっきも言ったけど、昔から憑かれるのは慣れてて──」


「いや、ほんとにキモいんですよ! 悪霊とか『オカルト』のやつじゃなくて! いや、別に定良さんのお家は決して! 『インチキ』と言いたい訳ではなくて──」


「モネっち、うちの家は何千年も前から続いてるんだ! ってマウント取ってたもんなー! 明治時代から続く? 霊媒師? 何それ正気ですかーって!」


「いや言ってねーわ! いいから黙ってろ!」



 私たちより数歩遅れて、厚顔無恥ギャルが階段を登りながら笑っていた。

 まったく。

 これだから高校デビュー高デは。

 それだけ丈を短くする胆力が本当にあるのなら、こんな階段ぐらい我先に登ってみろや!



「おい! モネっちまた地の文で悪態──」


「うっさい! バカ!」


「……剣取さんと詩座さん、大分仲良しなのね。確か幼稚園から一緒なんだっけ?」



 定良さんはそう言って、微笑んだ。

 それは校門付近で出会ったあの加藤リラとは違う、何の魂胆も存在しない本当の意味での純正の笑顔だった。


 私は''後ろ向きで''階段を登りながら、その純情可憐な美少女に向かって訴え続けた。

 


「いやいやいや! 違います違います! マジで! マジでただの腐れ縁ですから! 私、''隠れステルスギャル''じゃないですから! 不良じゃないですから!」


「おい! その発言は今の時代、大問題だぞ! ギャルを江戸時代の禁教令によって弾圧された人々にたとえんな!」


「そ! それに! 定良さんのお家の、除霊師霊媒師の稼業だって『インチキ』だって思ってませんから! いつの時代も! そういう占いや除霊の役割というものは、人々の生活を支えてきたんですから! 間接的にかもしれないですけど!」



 私は定良さんの両手を握りながら、真正面から訴え続けた。



「……うん、大丈夫! むしろあたしは、剣取さんみたいな本物・・にはちゃんとリスペクトがあるから!」


「……本物・・……」


「うん、本物・・……てかそれ、さっきから大丈夫? 凄いのね剣取さん……後ろに目があるみたい……何で普通にスタスタ登れるの?」


「……本物・・……」


「……怖いんだけど」


本物・・。うへへへへへ」


「……それにね、『インチキ』だと思ってたのは私もだから! だから稼業を継ぐのはお母さんまでで、それで廃業になる予定だったの! それに元々あたし自身、全然霊感とかないし……視えないし、聞こえないんだったら、別に何ともないよ!」



 定良さんはそう言って私に微笑みかけた。


 クリクリとした丸目。スッと通った鼻筋。彫りの深い顔。薄い唇。形のよい卵のような輪郭線。

 前髪なしのハンサムショート。インナーカラーは赤。

 制服のリボンはピンク──いや、一年生の私たちは全員そうなのだれけども。


 非の打ち所のない美少女。

 高貴さを兼ね備えた叡智えいちの女神ミューズ──以下省略。



 定良さんが、この職務怠慢の愚を犯してきた私に向かって、微笑んでいた。

 それはもしかしたら、精一杯の虚勢や強がりだったのかもしれない。

 しかし私は、彼女のそんな優しさに心から感銘を受けた。

 同時に、自分の無力さや、無能さも身に沁みた。


 定良さんの細く美しい手を、さらに力強く、ギュッと握りしめる。

 多少、手汗が出ていようが構わない。


 とにかく今、ここにあるありったけの想いを、彼女にぶつけるのだ。

 そしてこの''秘術''のうたで、地上に巣食う汚穢おわいたぐいの全てを淘汰するのだ──



「……定良さん。私のことだけを見て下さい・・・・・・・・・・・・!」



 定良さんは再び頬を真っ赤に染めては、その身を微かによじらせた。

 ……なぜこの''熱き決意表明''を口にする度にいつも、この人はこのように珍妙なリアクションを取るのだろう?

 


「……もう! 一体何回繰り返すの! このくだり・・・!」


「いやーしっかし! 中々にエッグいヴィジュアルのが憑いてますなー。えーっと見た目は青白いガイコツで、なんか目の周りはグラサンみたいな黒い物体にコーティングされてて──」


「おい! 一々描写するなよ! とにかく定良さん! 私だけを見て下さい! もうそれ・・の小言、聞きたくないんで!」


「──分かったわよ! もう!」



 そして私たちは息を切らしながら、やっとのことで四階の大広間へと辿り着いた。

 現在、1限の真っ最中で辺りは人っ子一人いない。

 7月の悶々とした空気を、天井の何箇所にも設置された空調が、精一杯押し流そうと懸命に起動している音が聞こえる。



「……この辺の監視カメラの死角は……あそこか」



 サーモグラフィーや赤外線センサー等をフル稼働し、微量の電磁波の「波動」までをも広範囲計測した「ゴールデンアイ」がマントの下、ノキアちゃんの目の周りで光っている。

 

 6本の大木のような柱が立ち並んでいる、その左から2番目──そこに設置されていた小さなベンチの下にボストンバッグを置き、ノキアちゃんは剣取家うち直伝の種々多様なカラクリをそこから取り出した。



「……じゃあ、まずは通信用の無線イヤホンね。5G通信でバリバリどこでも使えっから」



 定良さんはハンサムショートの露出した耳に、そっと銀色の受信機を嵌め込んだ。

 私もすぐさまそれに倣う。


 そしてノキアちゃんと私は「チープ・スリルズ」を脱ぎ、お互い見合わせたように、殆ど同じタイミングで深呼吸をした。


 ベンチの側、柱の影に隠れて座り込んだ私たちはしばらくの間、互いの顔を無言で見つめ合っていた。



「そんで、作戦名は──『定良さんの両肩のエイリアンの放つ電磁波を敢えてモネっちが剣で強化し、他の宇霊うりょう共を次々と誘き寄せ、狩って狩って狩りまくり、いずれ月桃高校ここのどこかに潜んでいる大元ラスボスを探り当てる』──だ!」


「──だ! じゃないよ! だから、私は反対だって! そんな頭の悪い危険なローラー作戦!」


「いいわよ、やるわ」



 定良さんは極めて冷静にそう呟いた。

 決死的な表情。まさに覚悟を決めた人間の顔だった。



「で、でも……こんなに巻き込んじゃうのは……」


 すると私の震える声を制して、定良さんは自らの左胸に手をあてながら応えた。



「剣取さん。結局、あたしたちは蟻ん子みたいな信仰心と科学力で、''宇宙という強大な脅威に歯向かってる''訳だから、こういう荒っぽい手段を取るしかないんだと思うの……『オカルトより具象的に、Sci-Fiよりも抽象的に』ってのはきっと、そういうことなんでしょ? ''霊能力''も、''魔法''も……この世界には''奇跡''なんて存在しないのよ。あるのは''ちょっとした科学の力''だけ」



「……でも」



 私はふと、病床に伏しているお爺ちゃんの、あのみすぼらしい今にも死にかけの猿のような顔が頭に思い浮かんだ。

 そして幼少期の、''雷の伝説''も。


 確かに定良さんの言っていることは正しい。冷静かつ客観的だ。


 しかし、そもそも宇霊うりょうの成り立ちについてはどうなのだろうか?


 遠い遠い外宇宙からの、宇宙人が地球に向けて放った光線。


 それを地上の何かが察知し、撹拌かくはんし、または涵養かんようし──

 汚穢おわいの化身として、古来より育て上げている『何か』が、きっとどこかにあるはずなのだ。


 きっと『その正体』こそが、『霊能力』や『魔法』と深く関わり合い、それを解き明かす最後のパズルのピースとなるのではないだろうか?


 きっと剣取は今、次の次元ステップへと革新しなければならないところまできているのだ。



 魔法少女──剣取モネ。

 いや、絶対、無理だ。

 というか、嫌だ。

 前言撤回、あくまでいつも通りに仕事をしよう。



「……そうですね。後は兎にも角にも、やるしかないです……」

 

「今日でうちらは、『ゴースト・バスターズ』ならぬ『宇霊うりょうバスターズ』として発足し、地球の平和を守るんだよ、モネっち!」


「……いや、女だしさ」


「『リブート版』の方だよ! 2016年の」


「ああ……あれ、結構いいよね。評価レビュー、割と低いけど」


「……私、観たことないわ。''今度観とくわ''」


「定良さん! それ絶対''観ねーやつ''じゃん!」


「いや! 定良さんは観るから! ちゃんと観る人だから!」


「……そうよ! あたし、ちゃんと観るから!」


「よし! じゃあいくぞお前ら!」



 私たちの3つの右手が、目の前に重なり合った。



「いくぞ! ''月桃高校宇霊バスターズ''!」



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