第7話 私の一番長い日

 

 私を見つめている、その真っ直ぐな瞳。

 窓の外側にはジリジリとした日差し、虫の鳴き声。真夏の交響曲。突き刺すような朝の光が、定良さんの頬にあたる。室内を満たす冷房の空気が、私たちの間をゆっくりと流れる。



「えーっと、それは一体、どういう……?」

 


 すると定良さんは私の右手を取り、自らの左胸にあてがった。

 てのひらいっぱいに、その肉体の柔らかい感触が広がる。



「ええ? えーっと! それは一体全体! どどどどどどどういう──」



 すると瞬時に、彼女のその突飛な行動の意図が理解出来た。

 ついこないだの金曜まではその脈拍を確認されていたはずの鼓動が──今、そこには存在していなかった。

 すかさずその手首の脈拍を、空いた方の指先で測る。

 細くて美しい、冷たい手。

 確かにそうだった。



 日夜絶え間なく、私たちの有機体組織を循環させているその内蔵機能は、今や彼女の中では完全に消失しているのだった。



 頬に細い一筋の汗を垂らしながら、定良さんは私の顔をじっと覗き込んだ。

 

「学校に来たときだけ、こうなる・・・・の。これ・・以外は、何の異常もなし。こんなケースは初めてで、うちでも学校ここでも色んな儀式を試したけど、全部駄目だった。それで……」


 私は息を呑んで、彼女の顔をじっと覗き込んだ。

 定良さんは静かに平然と、その形の整った顔で語りかけた。



「──剣取けんどりさんのこと、もう知っちゃったの。ごめんね。あと、今んとこ私には、他に何の異常も出てないから、取り敢えず安心して──」



 再び素っ頓狂な声を上げて椅子から転げ落ちている途中の私を正面から空中で抱きかかえた後、定良さんはそのまま喋り続けた。

 その息遣いが、直に伝わってくる。



 ──以前から、私のことを訝しんでいたこと。

 ──古来より暗躍し続ける、「オカルト」と「SF」の交わり合う未開拓領域の狩人かりうど

 ──剣取家の存在と、家柄上どうしても意識せずとも見聞きしてしまう、薄い霧のように常にどこかしらに漂い続けるその噂話を。



「……本当にごめんなさい。でも別に、剣取さんのこと探ってやろうとか、最初からそういう訳じゃなくて……あたしは純粋に、もっと知りたいなって。仲良くなれたらいいなってだけで。最初は……」



 定良さんが大方を喋り終えた後、私は全身をブルブルと左右に震わせながら、もう一度椅子に座り直しては矢継ぎ早に喋り出した。



「まあ! まあ! 落ち着いて! まあ、それはいいとして……いや、全然よくないんですけど! ど、どうやらそれ、昨日、親から対策も聞いてきてるんで! 大丈夫! もう私が全部全部、何とか解決しちゃうんで! これでも伝承者! 代々続く一家の伝承者なんで! 定良さんのおうちの明治時代とかよりもずっと古い……いや別にディスってるわけじゃなくて! いや、ある意味ディスる・・・・のが仕事なんであれなんですけど! とにかく! 私が来たからにはもう! マジで絶対的に大丈夫なんで! もうほんとにガチで大船に乗ってもらった気分で! まあ、本当は、先週ぐらいから何かアクションを起こすべきだったんでしょうけど、まあ普通にめんど──じゃなくて! ここは敢えて静観の立場を保ち、趨勢すうせいを鑑み、しっかりと状況を精査した上でですね、確実な狩りハントを行うというのが剣取うちの方針でですね……まあ兎にも角にも! 定良さんは、何も変わらずこのまま日々を過ごしてもらえば──」


「──こいつに言わせりゃあな、その『霊媒師』って職業は有史が始まって以来、いっちばんの『インチキ』なんだってよ! 定良さん! わりーな遅れたわ!」



 聞き覚えのある、甲高くてやかましい声。

 詩座ノキアがドアを勢いよく開けて保健室へと入ってきた。

 肩に、黒くて大きなボストンバッグを担ぎながら。

 そしてもちろん、月桃高校うちの制服に身を包みながら。


 私はみたび素っ頓狂な声を──中略──定良さんに抱きかかえられた状態で、その邪智暴虐ギャルと、純情可憐な美少女の顔を光の速さで交互に見やった。



「……ノキアちゃん! なんで! えっ! えっ! どこまで・・・・聞いたの? えっ! 定良さん……」



 私は心身共にテンパりながら、定良さんの顔を覗き込む。


「……うーんと。まあ、大体のことはあの、既に詩座さんに聞いちゃってて……」


「何で! 何でもう! ノキアちゃ──」


「んなこと言ってる場合じゃねえだろ! おい! シャキっとしろモネっち!」



 それでも私の狼狽──その凄まじいまでの錯乱が止まることはなかった。



「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 定良さん! 私が、早めに対処してなくて! ついつい『勿忘草わすれなぐさ』の続きが……気になって──じゃなくて!」


「モネっち、落ち着け。別にお前のことを責めてる訳じゃねーから。取り敢えず3回! 深呼吸しろ」



 私は言われた通りに、腹の底からの吸って吐いてを3回、繰り返した。

 確かに少しは思考がクリアになった気がする。

 足元は依然として、覚束ないままだったけれど。



「……さ、さっき、『特殊戒厳令下』って……」


「大丈夫。とにかく今んとこ、ベストを尽くしてるんだよ、うちらは。そう悲観すんな。何より、こっちが偉そうにどんだけ援護サポートしたところで、最終的に剣を振るうのはモネっちなんだから。一昨日昨日と休息にあてたのは間違ってねえよ」



 私は、何とかある程度の平静を取り戻しつつあった。

 定良さんは机の向かい側に戻り、こちらを心配そうに見つめている。



「ああ、お察しの通り。日曜昨日のうちに定良さんとはコンタクトを取らせてもらった。モネっちは動けないからな。でも、週末返上で動いた甲斐があったぜ。どうやら定良さんの母方の祖母の実家は、長野の山奥深くのでっかい由緒正しい──」


「──いや違う! マジで! 『インチキ』じゃないから! 除霊……霊媒師は!」



 すると私たちの間に、一瞬の沈黙が流れた。

 ノキアちゃんが黒くて大きなボストンバッグを──十中八九、剣取家うちから持ち出してきた器具ガジェットだ──リノリウムの床の上にドサッとした音を立てながら置いた。

 そしてまず最初にその沈黙を打ち破ったのは、他でもない身も心も潔白なこの美少女からだった。



「ううん、大丈夫。もう、そんなの言われ慣れてるから。その証拠に、おばあちゃんもお母さんも、今では主な収入源は株や家賃収入なんだよ。だから、うちの仕事はあくまで邪気に滅入ってる人に対して、そっと肩を後押してあげるだけのものなの。だから、剣取さんのお家とは──」


「いや、違うんです! 剣取うちだって本当は、そもそも愛の力を使う魔法少女の一族だったんです!」



 再び沈黙。

 私ははっとして我に返った。

 一体、何を言っているのだろう?

 自分でもそう思った。


 二人を見渡すと、大方こちらの予想通り、「こいつは一体何を言っているのだ」という顔で私を見ていた。

 


「いや! あの! そうじゃなくて! あの、この前聞いたんですけど! あっ! これ言っちゃ駄目なんだった──」


「よしよし、落ち着け。もっかい深呼吸キメてくれモネっち」


「そうよ。それに私、自分でも気付いてたのよ、これ・・。もちろん視えないけどね。お母さんに祓ってもらっても駄目で、昨日本家のおばあちゃんのとこに行っても駄目で、わざわざ夜中に学校ここ来てもらっても駄目で──」


「そう、しっかりお供しましたぜ」


「どんだけ機動力あんの! ノキアちゃんは──」


『ウキャキャ! 俺ラガ眠ッテル間・・・・・ダナ! 無駄無駄無駄無駄無駄! ウキャキャ!』


「定良さん! ちょっと! 後ろ向かないで! それ嫌なのほんとに! 定良さんとノキアちゃんには聞こえない、私だけに聞こえるの!」


「大丈夫よ剣取さん。あたし、''憑かれる''のなんか、そもそも昔から慣れっこなんだから。憎っくき霊能力者の娘だから、もはや血筋ね。でも今回、ちょっと頑固な''カビ''が中々取れないわね、って感じよ」


「いや、流石にもっと深刻になってください! 現に心臓止まってるんで! 今!」


『ウケケケケ! ソウダゼソウダゼ! モット深刻ニ──』


「こっち向いて下さい定良さん! 私から目を離さないで!・・・・・・・・・・・ 一生、私のことだけ見つめて下さい!・・・・・・・・・・・・・・・・・


「……もう! だから何で! そういう言い方になるの! もう! 剣取さん! しかもこの前は皆の前で!」


「私だけを見て! 定良さん!」


「だからそれやめて! もう!」


「まあとにかくだ! 今日は大分やべー1日になるぞ! 気合入れてけよ! モネっち! 『月桃高校ここにいる雑魚宇霊うりょう共を狩りつつ、その大元ラスボスを探り当ててぶっ殺す』しかねーんだろ? もう腹括るっきゃねーぞ! おい!」



 短いスカートを翻しながらこちらへ歩み寄り、寛大な御心で以て私の肩に手を置いた、その有能な助手ギャルの顔を見上げる。


 驚愕した。

 気が動転していて気が付かなかったが──

 詩座ノキアの顔面は本日──

 そのまっさらな大地を、惜しげもなくこの世界に曝け出していた。

 つまり、ノーメイクすっぴんだった。

 ……意外と肌は綺麗だし、目はクリクリとしたままだった。


 これはまさに、「報・連・相」を怠るまでに堕落した剣取の様相そのものだ。


 本日は紛うことなき、緊急事態エマージェンシー

 私の一番長い日が今、ここに始まろうとしている。



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