第37話 弓 ※ 時雨
ノクスは空腹のあまり、ミラノサンドにかぶりつき、気づけばあっという間に平らげてしまっていた。食が細かった彼女にとって、こんなことは信じられないほどだった。
さらに、念願のジョブを取得し、魔法射手になってスキルも使えるようになっている。
何が起きているのか、彼女には理解できなかった。本当は夢なのか、もしかしてアキラに何か騙されているのではないか──そう考えるのも無理はなかった。
「セレナ姉さん、これは現実なの?」
「ノクス、何言ってるの?現実、現実!アキラについていけば大丈夫だよ!」
セレナがアキラに会ったのは、ほんの数日前らしい。他人を簡単に信頼しない孤高の狼族にしては珍しい発言に、ノクスは二の句がつけず、仕方なく話題を変えた。
「アキラさんは、あの…空に向かって何を話しているの?」空に向かってぶつぶつと話している様子がどこか異様に見えたからだ。
「さっきノクスも話をしてたじゃない」セレナは不思議そうに、逆にノクスへ問い返した。
「まさか、エリス神の言伝の方ですか?」
「そう、アキラと仲がいいわ」そんな話をしていると、アキラから声がかかった。
「出発します。行く前に、ノクスにプレゼントがあるよ。テントを出すから、そこで着替えて」
アキラはどこからか服装や靴など一式を取り出し、ノクスに手渡した。それはどれも一級品で、見た目にも貴重な装備に思えた。
「やったね」「ワオーン!」セレナとルナは我がことのように喜んでいる。
「でも、こんな高価なもの、理由もなく頂けません」さすがに受け取るわけにはいかず、ノクスは即座に断った。
「うーん、じゃあしばらく貸しておくね。これから先は危険だから、着てくれないなら連れて行けない」アキラは困り顔でそう告げた。
その言葉を聞くと、任務を最優先にしないといけないノクスは観念して、アキラの指示に従うことにした。
セレナも興味津々で手伝ってくれる。ノクスはジョブを持っていなかったため、同年代の子たちがもらっていた特別な衣装や武器を羨ましく眺める日々が続いていた。実は、すごく憧れていたのだ。
「どれもとっても軽くて、それでいて丈夫そうだよ」セレナが服と靴の感想を述べた。ノクスはそれがハイエルフの伝統的な衣装だと一目で理解した。
ハイエルフの服は、森の深部に育つ魔法の植物「エルダーツリー」の繊維で作られており、軽量でありながら非常に強度があり、エンチャントも施されている。
ノクスが上着を手に取ったとき、その服が祖母の手作りであることに気づいた。今は亡き、名高い衣装職人だった祖母の特有の刺繍の印があるではないか。
「どうしてこれがここに?」思わず全身が震えるほど、ノクスは胸がいっぱいになった。
「うーん、神からのプレゼントだよ。あなたに着てもらうためにね」それ以上はアキラにも説明のしようがなかった。この先、何度も繰り返すことになる台詞でもあった。
「そして、これが君の武器だ」
アキラはノクスに近づき、ボウケースを差し出した。弓袋を開けると、中には「エルフの弓」が収められていた。森の木々と金具に希少な金属「ムーンシルバー」を使った、軽量で耐久性に優れた弓だ。
しかも、美しい女性の姿が彫刻されている。女神を模しており、弓に加護を与える意匠になっているらしい。
「美しい……」ノクスは弓を見つめ、息を呑んだ。
その様子を見て、ルナが駆け寄り、大きな声で「ワオーン!」と吠えた。
「服は着るもの、武器は使うもの、さあ行こう!」セレナが笑いながら言った。
こうして、一行はクエストへと向かっていった。
※※※
「関係者は、はっきりとは教えてくれなかったけど、『アルカディア・クロニクル』は、完成していると考えて間違いないわ」
放課後、賑やかな喫茶店。学生たちの軽口が飛び交うなか、山吹は時雨に告げた。彼女の声には、わずかな期待がにじんでいた。
「そうか。じゃあ、赤目さんに頼めば何とかなるのかな?」時雨は緊張していた表情を少し緩め、山吹を見つめる。
「そんなに簡単じゃないと思うけど。」山吹は、余計な期待を抱かせないように、慎重に言葉を選んで答えた。「あの人は、一筋縄ではいかないから」
時雨は黙って頷いた。その顔には、覚悟を決めたような決意が浮かんでいる。
「時雨、一つ聞いてもいい?」山吹が静かに尋ねる。
「ええ」
「サンプルで使用したゲームデータが、必ずしも完成したゲームにそのまま使えるとは限らない。それでも…」
「分かっているわ」時雨は少しだけ力を込めて答えた。「私だけが知っていて、彼は知らない。それがどれだけ辛いかも、分かっているつもり」
山吹はその言葉に何も返さなかった。ただ時雨の目を見つめ、その沈黙の中にある感情を受け取ろうとしていた。
「でも、他にもゲームはあるじゃない」山吹が口を開く。
「うん。でも、あのゲームには特別なものがある」時雨は柔らかな視線を遠くに向け、どこか遠い思い出に触れるように語り出す。「あの世界の中では、私が求めている何かが感じられる気がするの」
「それが、あのゲームの中に?」山吹が問いかけた。
「ええ」時雨は頷いた。「AIによって作られたゲームの世界。だけど、そこには作り手たちの想いが込められていると思う。あの世界にいると、誰かが私を理解してくれる、そんな気がするの」
山吹は、時雨の言葉に耳を傾けながら、少しだけ驚いた表情を見せた。
「AIによって作られた世界が?」山吹は、小さくため息をつきながら言った。「それでも、どうして制作者たちの想いが伝わるんだろう?」
時雨はしばし考え込むように黙り、それから静かに言葉を紡いだ。
「それが分からない。でも、感じるの。ゲームの中で繰り広げられる物語やキャラクターたちの存在。それが私に語りかけてくるような気がするの。AIはただのツールだけど、そこには製作者たちが見せたかった世界、彼らの感じたものが詰まっている。それが私には伝わるんだ」
山吹はその言葉を受け止め、しばらく沈黙のまま考え込む。
「時雨がゲームの中でそれを感じ取れるって、すごいことだと思う」
山吹は言葉を選びながら続けた。「でも、時雨が本当に求めているのは、きっとその想いだけじゃないんじゃない?」
「うん」時雨は静かに頷いた。「あのゲームには、私が探しているものがある気がする。あの世界の中でなら、現実では得られない何かが私に語りかけてくれる。だから……」
山吹は少し考え込みながら言った。
「じゃあ、まずはそのゲームを手に入れて、もう一度その世界に触れてみよう。私も理解できるかもしれないから。」山吹は時雨の肩を優しく叩いて励ますように言った。
「ありがとう」時雨は、ほんの少しだけ顔を上げ、静かに微笑んだ。
「それと確認なんだけど、ゲームをすると失踪すると言う話は?」
「それは、前にも話したけど、匿名掲示板の中にあったって。ピンときたのよ。あのゲームならあり得るって」
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