八 - 5 願いと終わり

 頂上まで駆け上がると法一が怯えた表情をこちらに向ける。俺たちだと分かると、ほっと息を吐いた。目の下には隈が浮き、青白い顔をしている。


「あなた達、本当にこんなところまで……」


 法一は苦笑いする。俺は適当に返事をしつつ馬を降り、要一をまた背負ってやる。


「なあ、こいつに見せてやってもいいか。邪魔はしねえからよ」


 六鶴上人がまだいたのかと言いたげに息を吐いたが、駄目だとは言わなかった。

 塚の天辺の地べたには、両腕で丸を作ったくらいの穴がぽつんと空いていた。

 その手前に六鶴上人と法一が立つ。そこから数歩離れて八華。俺達は更に数歩離れた辺りで様子を見ることにした。


「さて、とっとと始めようかね。悠長にしているとあの愚か者どもが来てしまう」


 六鶴上人が呟く。愚か者どもとは、大太羅をぶっ殺そうとしている連中のことだろう。やはり協力はしても志は共にしていないらしい。各々がぎこちなく姿勢を正し始めた。肩を掴む要一の手にも力がこもる。いよいよ始まるのかと思うと、なんだか俺まで緊張してくる。


 六鶴上人は穴に向かって一礼すると、二度錫杖を鳴らした。右手を顔の前で構え、何やら呪文めいた言葉を並べ始める。

 聞き覚えのない奇妙な文句だった。不気味な響きを持つ言葉の羅列を六鶴上人は一節一節を丁寧に区切り唱える。間違えぬよう気を付けている様子だった。


 それが終わると再び静寂が訪れた。


 何も起きねえじゃねえか、と喉まで出かかった時。穴の底から白い液体が溢れ出てきた。


 俺の知るどんな白よりも濃い白色をしていた。蛟竜の撒く霧を連想させる、何もかも飲み込んでしまいそうなほどに真っ白な白だった。


 それが音も立てず、まるで白い布でも摘んで持ち上げるかのように穴から真っ直ぐ吹き上がってくる。不思議なことに、液体が穴の縁からこぼれたりはしなかった。


「なんだあ、こりゃあ」


 静かにしろと六鶴上人が振り向きもせず声を飛ばす。

 白い液体は法一の背よりも少し高くまで出てくると、それ以上吹き上がるのを止めた。今度は人間の姿を形どり始めるのだが、それも頭部と衣をまとった大まかな体を作り上げたところで止まる。辛うじて女だと分かる俯き気味の顔には、絶えず溢れ出す白い液がだくだくと伝い、まるで頭から薄絹でも被っているかのように見えた。

 曖昧に微笑むその面相も薄布を被ったような姿も、寺で見た像そのままだった。


「大太羅様、お目にかかれて光栄です。本日は大事なお話があって参りました」


 法一が恭しく頭を下げた。声が震えていた。

 液体の女は身じろぎ一つせず、法一に顔を向けようとすらしなかった。ただじっと誰もいない空間に向かって曖昧に微笑み続けている。その姿はどこか空虚で、人の形をした岩や木片を見ているような気分にさせられた。

 辺りは静まり返っていた。吹き抜ける風の音が喧しいくらいだった。


 結局、こいつが救うのか、と思った。

 骨喰で会った老婆は赤間村の要一の役割がどうだとか言ってたはずなんだがな。

 肩越しに要一の表情を伺う。喜んでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。

 遂に辿り着いたって思いと共に、悔しさや嫉妬に近い思いが渦を巻いているんだろう。


 自分がこの世を救うはずだったのに。臼蟹と洞蟹と約束したのに。自分の為に犠牲になった人達に報いようと頑張って来たのに――。


 気の毒なやつだ。植え付けられた役割が今も胸ん中で燻ってやがる。

 だが、ここで見たものは別の人生を歩むきっかけくらいにはなるだろう。

 安心しろ。ここから先は、お前の気の済むまで付き合ってやるからよ。


「この世に人の体を変容させる病が流行り始めてから数百年が経ちます。その発生源は大太羅様であり、それを治せるのもまた大太羅様だけだと伺いました」

 法一が緊張した様子で言葉を続ける。

「私の体を御覧ください。この世で唯一、全く変容していない人間の体です。私の体には一片の〈変異〉も顕れていないのです」

 六鶴が急かすように咳払いをする。

「大太羅様、お願いです。どうか、私の体を元に、この世から〈変異〉を――」


 いよいよ願いが始まったその時だった。


 法一の頭が、突然、ぽん、と宙を飛んだ。


 いつの間にか法一の傍らに襤褸をまとった男が立っていた。


 八華が金切り声を上げた。六鶴上人がすぐさま大太羅に向き合う。


「大太羅様、お聞きください。この世から――」

「キンキンうるさいよねえ、ホント」


 ぶん、と鋭く風が吹き抜けたかと思うと、六鶴の頭が斜に切断された。長い頭部がべたりと地面に落ちると共に、六鶴上人が膝をつき、前のめりに倒れ伏す。


「君もそう思うでしょ」


 穴の空いた襤褸が引き裂かれ、中から青白い顔が現れた。

 青紫のできものが顔中を埋め尽くしており、その隙間から、ぎょろぎょろした目玉と尖った鼻が覗いている。忘れようとも忘れられない顔だった。


「良清、お前……」


 襤褸の尻からは黒い毛に覆われた尾がだらりと下がる。その先端には見覚えのある大鎌がぶら下がっている。


「ああ、これ? いいでしょ。試しに繋いでみたらくっついたんだ」


 がりがりと地面を引っ掻いてみせる。へらへらと変わりない笑みを浮かべ、俺達を尻目に、当然のように大太羅の前に立った。


「大太羅様、大太羅様。僕たち兄弟に誰よりも強い〈変異〉を授けてください! 何もかも僕らの思うがままになるように、大太羅様の力の全てをお与え下さい!」


 いつか小平寺で言っていた通りの願いだった。


「お前――お前、何言ってんだよ!」


 良清がにやりと笑った瞬間、塚のあちら側から何か朱いものが素早く飛び上がり、大太羅に凄まじい勢いで激突した。


 声を出す間もなく、湿ったはらわたを踏みつけるような音がして、純白の頭部が金砕棒の一撃でべしゃりと潰される。朱枝が勢いそのままに、塚に爪を立て滑り込んでくる。


 ずっと狙っていたんだ。この時を。

 六鶴一行に取り込まれたふりをして――


「あーあ、何してくれんのさ。死んじゃったじゃない、大太羅様。せっかくの僕の願いを叶えてもらおうと思ってたのにさあ」


 良清が鎌を構えた。言葉の軽さとは裏腹に苛立ちで顔が歪んでいる。

 朱枝は見向きもせず大太羅から視線を外さない。

 法一を呼ぶ八華の喚き声が甲高く辺りに響いている。

 もう訳がわからなかった。一度に事が起きすぎていた。


「――嗚呼。やはり、こうなってしまうのですね」


 声がした。


「いいでしょう。今度はこれでおしまいとしましょう」


 不可思議なほどに暖かな、女の声だった。

 頭の潰れた女の体。その白い胴の内側に何か赤い塊が浮かび上がってくる。

 その赤く光る玉のようなものは、穴の底から胸まで上ってくると動きを止めた。

 それは白の中で怪しく輝き、まるで心臓のように伸縮を繰り返していた。


「さあ、また眠りなさい。深く、深く」


 赤い塊が一際大きく膨れ上がり、ぎゅっと収縮した。


「そして――」


 どおん――


 頭がぐらりと揺れる。目の前が真っ暗になった。

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