八 - 3 大太羅の塚
丘の稜線に辿り着くまでの間、さっきまでのが嘘みたいに静かだった。
辺りには旅の途中で何があったのか語る俺の声と熊雪の笑い声だけが響いている。
「そうか、そうか。良清には出くわさんかったか。わしが目を覚ました時、あいつの姿が消えているのに気づいてゾッとしてな。急いで追ってきたんだが、それなら良かったわい。あいつは執念深いし、何を考えとるか分からんところがあるからな」
良清、と言われて、一瞬誰のことだか分からなかった。すぐにあのデキモノだらけの面を思い出す。
あの野郎、まだ生きてやがるのか。
「そもそもなんであんな奴と暮らしてたんだよ。野盗崩れなんだろ?」
「――心を取り戻してやらねばと思ったからだ」
熊雪が目を細め遠くを眺めた。
「長兄の
熊雪が重く溜息をつく。
「だが、良清はいつまで経ってもあの調子でな。何度か捻斉が声をかけたのだが、耳を貸さんかったそうだ。兄達の危うい面だけを見て育ったせいだろう。それでもわしはな、いつか心を取り戻せるのだと信じておる」
「あんな奴でもか」
「そうだ。既に例もあるしな」
熊雪が含みを込めた目を俺に向ける。なんだかむず痒くなって下を向いた。
俺達を乗せた首切れ馬がゆっくりと坂を登る。気恥ずかしさから俯いたのが、いつしか本当の沈黙へと変わっていた。倦んだ頭には知らぬ間に庚申の事が巡っていた。
不思議と、助けに来てくれたことや、最期の瞬間じゃあなくて、とっくに忘れていた幼い頃の記憶が次々と浮かんでは消えていった。
財布を素早く掴む技を教えてくれたのは奴だった。
馬の乗り方もそうだ。
走り方もそうだった。
ばれた時に殺されやすくなるから絶対に武器は持つなと言ったのも奴だった。
いざという時には、って石を投げる練習もしたっけ。
思う内、体の内を不可解な感情が流れていることに気がついた。熊雪に言えばまたあのゆるんだ顔で生ぬるいことを言うに決まっているが、それは誓って寂しさだとか悲しさだとかいった類のものじゃなかった。むしろ身にまとわりついていた不愉快な泥が落ちたような爽快感すらあった。
だけどどうしてだか、その泥ですら、いつの間にか俺の体の一部だったような気がしていた。風が吹くたびに剥がれたところが少し寒くて、頼りない心地がした。
丘の頂に着くまで、それはずっと続いた。
坂を登りつめ驚いた。なんとなく頂上は平坦になっているのを想像していたが、予想に反し、反対側は勾配のきつい下り坂になっていた。
巨人がそこだけすくい取ったかのようなすり鉢状の地形だった。丘の稜線がその周囲を円形に縁取る。目印がないから正確には分からないが、骨喰が丸ごと入るほどには広い。
「あれが大太羅の塚だ」熊雪が指し示す。
すり鉢の底に、お椀型の小山が一つあった。それは拍子抜けするほど小さく見えた。
「お前たちがこれからどうするつもりかは知らん。だが二つだけ約束をしてくれ。邪魔にはなるな。それから死ぬな。いいな」
分かったよ、と頷き返す。
要一の顔を覗き込むと、輝く瞳でじっと塚を眺めていた。
尾根の右側に人が集まっているのが見える。間違いなく六鶴上人の一行だろう。ひとまずそちらへ向かうことにした。
「あーあ、見てご覧よ、
「彼ら動物だからね。どうやら自分達がもう詰んでることにすら気付けないらしい」
頭から棒を生やした小坊主が腕組みする。偉そうな口ぶりの割に何も武器を持っていない。
「うるせえ奴らだな。来たいから来たってだけだよ。別に問題ねえだろ」
「――仰る通りです。何も問題はありません」
人を掻き分け、奥から法一が現れた。逆立ち小娘が体を擦り寄せ、権髄が溜息をつく。
「あなた達の自由意志を尊重します。ですが、くれぐれも邪魔だけはしないでください。たとえあなた達が死ぬことになろうとも、この場を乱すようなことだけはしないようお願いします。――
法一はそれだけ言うと二人を連れて奥へと戻っていった。
「上人様、ご無沙汰しております。小平寺の熊雪でございます」
熊雪が六鶴上人のそばに寄って恭しく頭を下げた。六鶴上人は顔をこちらに向けようともせず「小さな寺の者など、いちいち覚えておらん」と、脳みそにしみる声で応えた。
一行の末席に加えて欲しいという頼みに対しても、返事の代わりに息を吐いただけだった。熊雪はそれを了承と解釈したようだった。
六鶴に雇われたあらくれどもは、ほんの一握りしか残っていなかった。毛羽の連れた野槌、蛟竜、そして松鉄を加えても三十いるかどうかという程度。その中でも一際背の高い男達が声を掛けてくる。
「雷獣に食われなくってよかったねえ、鳥吾ちゃん」「あの口だけの能無しと太腕男に感謝しとけよ、畜生」
上機嫌な手花とは対象的に足栄はぶすっとしていた。また俺達で賭けをしていたらしい。
「ひひ。そんな顔するんじゃあないよ。俺達が残しておいた目印のおかげでこうしてここまでこれたんだろう」「俺達にも感謝だなあ。感謝の心がなくなったら人間オシマイだぜ」
二人が顔の前で手を合わせてみせる。
「目印ってのは林にあったアレのことか」
二人が意味ありげに笑う。やはりそうか。
縊鬼との遭遇の翌日。森を進んだ俺達を迎えたのは無残な姿を晒す化け物の死骸だった。毛だらけで大きく人型のようだから狒々だろうと思ったが、実のところは分からない。
なんせ、顔面は削ぎ落とされ、片腕を除いて手足は切断されていたからだ。腹は裂かれ、胸にも穴が空いていた。残された手はわざわざ枝で固定され、林の奥を指差していた。
あの二人の仕業に違いないと恐る恐る進むと、薄く削がれた狒々の顔面が木の枝にぶら下げられていた。更に先には引きずり出された内臓が岩の上に広げられ、その更に先では陰茎と目玉が矢印状に並べられていた。どれも虫がたかり、嫌な臭気を放っていた。そうした印は一定の間隔でとうとう林を抜けるまで続いた。
「無事に林を抜けられただろう」「ああ、他の化け物もビビって寄って来なかったはずだ」
「確かに、強烈な臭いのおかげで見失わずにすんだよ。だが、屍肉を食らう化け物が出たらどうするつもりだったんだ。
「あんなとこに魍魎は出やしないさ」「そうさ、出やしねえ」顔を見合わせ、にやにやと答える。「恐らくな」「ああ、多分、きっとだ」
相変わらずの調子の二人の元を離れると、今度は大きな酒がめを背負った真っ赤な顔の男に出くわした。大きな盃で酒をがぶがぶ飲んでいる。多分、こいつが朱枝だろう。
年老いた猿のような風体をした男だった。見開かれた目、低く上向きの鼻。体全体を栗毛が覆っている。そして驚くべきことに、両のこめかみからは湾曲した角が一本ずつ突き出ていた。
一方は中程でへし折れているが、尋常ならざる力を得るという〈変異〉、角が二本も生えているならば、人間の首を千切り取ったという話にも頷ける。
朱枝は俺達にも塚にも興味がない様子で黙々と酒を飲み続けている。それを邪魔せぬよう気を付けながらそばを通り抜けた。
襤褸切れを纏う者が立っている。顔も体もすっぽり覆う格好で、ご丁寧に縄で縛ってあるせいでその顔も性別すらも伺えない。体型もはっきりしないがどうも痩せ型で、背は俺と変わらない。襤褸にくるんだ腕をだらりと垂らし、ぶつりと一つ空けた穴から気配を探るように頭をこちらに向けてくる。
文字通り骨と皮だけの背の高い老人の脇を抜ける。湯気のように揺れる白髪、しゃんと伸びた背。砕けた形のまま癒合した両手には
その傍らには広場にもいた炭肌の男が立っていた。尖った口から火をちろちろさせながら、大きさの違う左右の目で覗き込むようにして俺達を見た。これが兵徳だろう。
他にも幾人か青白い顔をした男たちが佇んでいた。鼻が長いのも頭がでかいのも体が石で出来てるのも、それぞれ緊張した面持ちで細く息を吐いたり、イライラ歩き回ったり、呪詛の言葉を呟いたりしていた。
それらの間を抜けるとようやく毛羽と呼ばれていた黒毛虫の元に辿り着いた。それぞれが野槌、蛟竜、松鉄の上に乗っている。
三人が首切れ馬に惹きつけられ寄ってくる。その内に馬を降り、そっと松鉄に近づいた。
松鉄は口の端からあぶく混じりのよだれを垂らし、血走った目で虚空を睨んでいた。
耳元でそっと名を呼んでみたが、期待していたような反応は何もなかった。
どうしたって、理性が残っているようには見えなかった。
要一が馬から身を乗り出して頭に触れようとすると、それに気づいた毛羽達が針のような毛を逆立て怒り始めた。俺達は追い立てられるようにしてその場を離れた。
庚申の言っていた通り、毛針で操られているんだろうか。それが本当なのであれば、針を抜いてやれば正気に戻るかもしれない。だが、片時もそばを離れない毛羽達の目を盗んでそれをやるのは難しそうだった。
仕方なく、一旦熊雪の元に戻る事にした。
「休憩はもうおしまいだそうだ。わしらで六鶴上人様と法一殿を囲んで塚まで向かう」
「俺達も行く」
「いいや、こればかりは駄目だ。危険すぎる。ここで待っておれ」
「危険なもんかよ。天辺まで行くだけだろ」
熊雪がやれやれと首を振り、まだ気づかんのか、と顎をしゃくった。
塚に目を向け、首筋が粟立った。
塚が蠢いていた。
塚の表面を無数の人間が覆い尽くしていた。いや、人間だったもの、だと表現するのが正しいだろう。そこにいる者は誰一人として例外なく、全身が溶け、割れ、癒合し、履き落とした痰唾のような格好をしていた。
それでも形のない両手を掲げ、何かを乞い、或いは賛美するかのようにひしめき合っている。その瞳は虚ろだが、どこか歓びに満ちている。
「塚に惹かれる亡者だ。どこからどうして集まったのか。化け物にもなりそこね、許容量を越えた〈変異〉で体が崩れておる。塚に近づくだけで襲いかかってくるそうだ」
だからお前達は留守番なのだ、と睨む熊雪。要一が頷くのを見て、俺も頷く。
熊雪は俺達の反応を疑った様子で、何度も振り返りながら一行に加わった。
この辺りの斜面は勾配が緩やかで、危険無く塚まで下りることができそうだった。
その広い斜面に六鶴一行が集まり、何やら陣形を組み始めていた。
朱枝を先頭とした三角形の布陣だった。前方と各頂点を松鉄や表徳のような力の強そうなものが押さえ、中央には六鶴上人と法一。八華と権髄、熊雪は後列に並ぶ。比較的安全そうな陣の内側を、見るからに弱そうな連中が血眼で奪い合っていた。
「――あと少し。あの頂上で願いさえすれば、すべてが終わる……」
法一が呟いた。
「こんなところまで付き合わせてすみません」
骨喰で見たときより幾分やつれた横顔だった。
「今更何言ってんの。子供の頃からの付き合いじゃない。今度だって、あたしたちが助けてやるから安心しな。あんなひしゃげた奴ら楽勝だよ」
「ああ、俺達に任せろ。〈変異〉も蝗も化け物どもも消して、全部元通りにしてもらおう。なあに、あんな塚、三手ありゃ詰みだ。見たところ化け物もいないしな」
二人の言葉に法一が微笑み、頷いた。
「二人共、ありがとう」
法一の薄汚れた白の衣を、俺はなんとも言えない気持ちで眺めた。
どう言葉にするべきなのかわからないが、そこには確かに一つの正しさがあるように思えた。法一には法一の苦労や葛藤があり、その末の到達点がここで。その正当さの延長線をたぐっていけば、間違いなくこの世の救済に繋がるだろうという予感があった。
ふと、知らずのうちに、自分も法一のことを信じてかけていることに気がついた。
脳裏にそっと影が差す。
改めて自分に何の価値もないことを突きつけられた気がした。
要一の顔が見れなくなった。きっと、俺と同じことを考えているに違いないから。
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