第30話 きゅうくらりん
「……それで、戻ってきたんだ」
翌日の昼休み。
いつものように屋上に集まっていた俺と紗希、そして夏帆は美南にことの顛末を報告していた。
美南も紗希がいない日々は退屈だったのか、まるで家出から戻ってきたペットを迎えるかのようにわしゃわしゃと髪を撫で回している。
「……あっ、はい。ご心配をおかけしました」
「……意地の悪いことを言うやつが悪い。紗希は悪くないよ」
「ひゃう……っ、ありがとうございます……」
髪の毛を撫で回されることにくすぐったさを覚えているのか、紗希は身じろぎしていたが、それでもスキンシップをやめない辺り、程度の深さが伺えるというものだ。
「よっぽど心配だったんだな」
「……別に……ちょっとは、心配してたけど」
「美南さんって、不器用なんですね」
ここでめんどくさいやつ、と言わなかった辺り、夏帆の優しさには感謝すべきだろう。
美南の捻くれ方は筋金入りだからな。
不良みたいな……というか実際不良そのものな見た目こそしているが、心の内側はピュアもピュアな乙女心を搭載しているのが、芝浦美南という女だった。
「……」
「……ひゃっ……そんなに、わしゃわしゃしないで……ください……」
反論できなかった悔しさからか、美南は紗希の髪をより強く撫で回す。
後輩に言い返せないのは先輩としてどうなんだ。
まあ事実だから仕方ないんだけどさ。
「……」
「痛ってえ!?」
「……そのにやけ顔は絶対にろくでもないことを考えてる顔」
「だからって人の脛を予告もなく蹴るんじゃないよ」
「……蹴るね」
「事後報告じゃねえか!」
脛を蹴飛ばされこそしたものの、美南もいつもの調子を取り戻したようでなによりだった。
いや、いつもの調子で紗希を愛玩動物だとかぬいぐるみみたいな扱いをしているのがいいことなのかどうかはわからないが。
紗希は本気で嫌がっているというより、恥ずかしさの方が勝っているのだろう。
美南のわしゃわしゃ地獄から解放されるや否や、紗希は俺の後ろに隠れて、警戒するように半分だけ顔を出す。
「……うぅ、お嫁にいけません……」
「……いけなかったら私が貰うよ。だから大丈夫」
「いや、俺の妹をやるつもりはないが?」
なに一つ大丈夫ではないのに、自信満々に親指を立てている美南はどういう神経をしているのか。
心臓に毛が生えているだとか、メンタルが鋼だとか色々と形容する言葉は浮かんでくるが、こいつの場合、面の皮が厚いといった方がいいのだろう。
人を寄せ付けない見た目で他人を遠ざけているくせに、他人からのぬくもりがないと生きられない難儀な生き物ゆえに距離感もバグっているのだ、美南は。
「……じゃあ、直貴がもらってあげれば」
「俺? いや、妹と結婚って……」
「……義理ならできるよ。そしたら私を養子にもらってくれれば全てが平和に収まる」
「さりげなくとんでもないこと考えてんなお前」
なにも平和じゃないが。
数日紗希と会えなかっただけでこれなのだから、本格的に引きこもる道を選んだらどうなっていたことやら。
考えるだけで背筋が粟立つよ。
「直貴さんと紗希ちゃんが結婚かー、あたしは似合ってると思いますよ!」
「……か、夏帆ちゃん……!?」
「だっていつも紗希ちゃんのことを考えて、尊重してるのが直貴さんですし」
しれっと真顔で夏帆が言う。
いや、確かに紗希とテマリのことに関しては他人より考えを巡らせているつもりだけどさ。
「それは紗希が家族と最推しだからであってだな……大体、義理の兄とくっつくなんて紗希も嫌だろ」
「そうなの、紗希ちゃん?」
きょとん、と純粋な目で夏帆が紗希を見つめて小首を傾げる。
「……け、けけけけ結婚……わ、わたしと、おにいちゃんが……? あわわわ……」
「ダメだ、完全にキャパオーバーを起こしてる……おーい、紗希。冗談だから。冗談だから戻っておいでー」
空想なのか妄想なのかはわからないが、思考の檻に囚われている紗希を現実へと引き戻すように、俺は目の前でひらひらと手を振った。
「……はっ、わたし、なにを……」
「よかった、戻ってこれたみたいで」
「……あ、その……っ、はい……」
紗希は戻ってきたと思ったら、顔を真っ赤にして俯き、俺から少し距離をとってしまった。
情緒があまりにも不安定すぎる。
紗希が挙動不審なのは割といつものことかもしれないが、変なことを考えてしまうような話題を振った美南の罪はあまりにも重い。
「……なんにしても、戻ってきてくれてよかった。おかえり、紗希」
「……ぁ、ありがとう、ございます……っ」
「いいこと言った風にして誤魔化そうとしても無駄だぞ」
「……」
「痛ってえ!?」
再び、抉るようなローキックが飛んできた。
なんでこいつはいつも弁慶ですら泣くところを的確に蹴り付けてくるのか、これがわからない。
そのまま蹲る俺をスルーして、もう一度紗希の髪を軽く撫でると、上機嫌そうな様子で美南は屋上を去っていった。
静かな嵐のような女だ、相も変わらず。
◇
「──簡単ではありますが、このテマリの誕生日祝いをいただけたことへの感謝及び、新衣装のお披露目配信を終わろうと思います。リスナーの皆様方、誠にありがとうございます……それでは、よしなに」
目の前の機材に話しかけると同時に、紗希は手元でパソコンを操作して配信を切る。
なんでそんな光景を俺が見ているのかといえば、今日の放課後に突然「配信するところを見てほしい」というお願いをされたからだ。
画面と向き合っている紗希は、いつものおどおどした感じが全くなく、凛とした表情を浮かべていた。プロ意識、というやつだろうか。
「……ど、どう……でしたか?」
「うん、良かったと思う。テマリの新衣装もめちゃくちゃ可愛かったし、一枚絵で見るのもういけど、やっぱりVtuberは魂が宿って声を吹き込んでこそだな」
テマリの、紗希の声は前も言った通り、透き通るようなトーンでいつまでも聞いていられるような至宝のそれだ。
いや、お世辞抜きに国民栄誉賞を授けてもいいんじゃないだろうか。
テマリ、お前が人間国宝だ。
「……こ、声……」
「うん。俺は紗希の声、好きだよ」
「……す、好き……っ……!?」
ぼふん、と音を立てて紗希の顔が真っ赤に染まる。
漫画だったら頭から煙でも吹き出していそうな勢いだった。
今日の紗希はなんだか一段と情緒不安定だな。見ていて心配になる。
「紗希、大丈夫? 熱とかない?」
「……だ、だだだだ大丈夫です……っ……!」
「本当に? 無理とかしてるんじゃ……」
「ひゃ……っ……!?」
紗希の前髪をめくって、額に手を当てようとした瞬間だった。
「きゅぅ……」
紗希は、どういうわけか目を回して、くらりと倒れ込んでしまう。
一体なにがどうしたのか。
俺には、さっぱりわからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます