第29話 目一杯の祝福を君へ

「わかっちゃいたけど、我ながら極道入稿だな」


 翌々日、十万人分の寄せ書きが集まったこともあって、大きめの印刷会社にプリントを依頼してきたまではよかったが、無茶なオーダーと日程なのもあって結構嫌な顔されてたな。

 それでも、引き受けてもらっただけありがたいと思う。

 一枚当たり五百人分の寄せ書きを計二百枚。最初は集まるかどうか、一か八かの賭けみたいなものだったが、無事に十万人分のメッセージが集まってくれた。


「これも夏帆のおかげだな」

「なに言ってるんですか。直貴さんが立ち上げた企画なんですから、直貴さんの成果です!」

「そうかな」

「そうですよー!」


 紗希へプレゼントを贈るために、夏帆にも印刷会社に一緒に来てもらっていた。

 デカめの色紙を二百枚も持って帰らなきゃいけないおかげで大分腕が痛い。

 それが、テマリに対する愛の重さだと思えばこの苦労もなんのその、と意気込みたいところだったが、体は正直に悲鳴を上げている。


「直貴さん、手伝いますか?」

「いや大丈夫……家まであと少しだから」

「もー、痩せ我慢しないでタクシー使いましょうよ!」

「テマリの……紗希のためを思えば、直接運んでった方が気持ちがこもる気がするだろ?」

「で、本音はどうなんですか」

「じとっとした目で見ないでくれ……いや、正直印刷費で結構な額が飛んでったからさ……」


 夏帆に睨まれて、思わず本音を吐き出してしまう。

 必要だったし納得もしているが、学生には重たすぎる出費だった。

 推し活にも支障が出そうだし、今度店長に掛け合って、シフトを増やしてもらうことにしよう。


 その分配信頻度が落ちるであろうこともまた、必要経費だと割り切る他にない。

 テマリの、紗希のためなら俺の時間を切り売りすることなんて、どうということはないからな。

 とにもかくにも、今はタクシーなんて贅沢な手段を使っている余裕なんてものはないのだ。


「着きましたよ、直貴さん」

「ありがとう、夏帆。あとは紗希をどう説得するかだよな」


 一旦玄関先に色紙を下ろして、俺は腕を組んで考える。

 正直俺は、紗希がもう二度と学校に行きたくないと言ったらそれを尊重するつもりだ。

 社会復帰してほしいという思いも当然あるが、本人が本心から嫌だと思ったことを強要するつもりは毛頭ない。


 それでも。

 それでも、この寄せ書きを見て、夏帆が改めて向き合ってくれた想いを受けて、「リアルも少しは捨てたもんじゃない」と思ってくれるなら、それが一番だ。

 義理とはいえ、兄としてそれはどうなんだと詰られればそれはその通りなんだが。


 苦笑と共にもう一度色紙を抱えて、俺は夏帆と一緒に二階へ上がる。

 紗希の部屋は今日も閉ざされていて、「入らないでください」と丸文字で書かれた壁掛けがぶら下がっていた。

 入るな、と記されているのに入ろうとするのはなんだかなあ、と思いつつも、俺は部屋の扉を三回ノックして、紗希に呼びかける。


「紗希、いるか?」


 返ってきたのは沈黙だった。

 それもそうだろう。

 ここ数日間、今日がテマリの誕生日なことも忘れて引きこもっていたぐらいに傷心なのだから。


「紗希、別にドアは開けなくてもいいよ。ただ、俺と……夏帆の話を、少しだけ聞いてくれないか」

『……』

「きっと紗希はネット断ちしてただろうからわかんないし、忘れてると思うけど、今日は紗希が……『月雪テマリ』が配信を始めた日なんだ」


 最初は辿々しかった配信も、回を追うごとにそれらしくなっていったのを覚えている。

 テマリの魂が紗希だということを知らなかったあの頃も、きっとこの子は上がってくるという確信が、精一杯頑張っている姿から浮かんできたのを、覚えている。

 俺にとって、月雪テマリは太陽のようなものだ。


 振り返るのも馬鹿馬鹿しくなるほどつまらない人生を歩んでいた俺のことを、一生懸命になにかを成し遂げようとする姿で照らしてくれた。

 その恩は、返しきれるようなものじゃないのかもしれない。

 それでも、俺と同じくらいに、あるいはそれ以上に紗希が──テマリが道を照らしてくれたおかげで日々を生きることができているやつらがいる。


 そんなやつらが十万人も集まって、紗希のことを大好きだとメッセージを送ってくれているんだ。


「紗希、紗希がまた引きこもったことについて、俺は怒ってるわけじゃない。それは夏帆も同じだ。無理にまた学校に行け、なんて言うつもりもない。だとしても、聞いてほしいことと受け取ってほしいものがあるんだ」

『……お義兄、ちゃん……』


 微かな声が聞こえてくる。

 よかった、ちゃんと聞こえていたんだな。

 そろそろ頃合いだと、俺は夏帆に目配せでのバトンタッチをする。


「……紗希ちゃん!」

『……夏帆、ちゃん……』

「ごめん! あたし、紗希ちゃんにずっとリアルに戻ってきてほしい、って思ってたけど……その分、紗希ちゃんがテマリとして頑張ってることを、あたしの絵を好きでいてくれたことを、ずっと蔑ろにしてた!」

『……』

「直貴さんに言われて、気づいたんだ。だから……ごめんなさい! でも、これだけは本当だから、聞いてほしいの! あたしは……また、紗希ちゃんと一緒に遊びたい! 紗希ちゃんは頑張ってるんだって、応援したい! だから、テマリの誕生日に合わせて、新衣装を描いてきたの!」


 扉の向こうで、紗希が息を呑んだ気がした。


「それだけじゃない。紗希のことを悪く言ってたのは、たった数人のアンチだろ? だからさ、そいつらの数万倍の人数……十万人分の寄せ書きを、紗希のことが、テマリのことが好きだってメッセージを集めてきたんだ!」


 閉ざされた世界へ届くように、俺もまた声を張り上げる。


「紗希はちゃんと愛されてる! テマリのことを好きだって思ってるファンはちゃんと……十万人もいるんだ!」


 たった数人の「嫌い」がなんだ。

 俺も、夏帆も、美南も。名前と顔こそわからなくても確かに言葉を残してくれた十万人のリスナーたちも。

 皆が皆、紗希のことを、テマリのことを「大好き」で仕方がないと叫んでいるんだ。待っているんだ、紗希のことを。


「だから、もう一度だけ勇気を出してみないか!? 絶対に大丈夫だとは言えないかもしれないけど! 紗希には俺たちと十万人がついてるんだ!」

『……っく、えくっ……ぐすっ……で、でも……わたし……ダメダメで……』

「そのダメダメなところも含めて好きだって話なんだよ!!!!」


 声が枯れてもいい。

 近所迷惑になってもいい。

 俺はありったけの思いをぶちまけるように、確かな形として口に出す。


 思ってるだけの思いが伝わらないのなら、言葉にして伝えてやる。

 紗希は。


「紗希は、俺の大事な妹なんだ! 血が繋がってなかろうと、家族になって日が浅かろうと! 俺は! なにがあっても紗希の味方でいるって約束するから!」


 だから、もう一度。

 もう一度だけ、勇気を出してくれないか。

 それでも嫌だと言うのなら止めはしない。でも、俺は信じているんだ。


 紗希が、本当は立ち上がれる強さを持っている子だってことを。


「……おにい、ちゃん」


 がちゃり、と音を立てて、閉ざされていた部屋のドアが開く。

 その隙間から顔を出してこっちを覗き込んでいる紗希は、いつものようにおどおどとしていた。

 だが、安心した。


 久しぶりに紗希の顔を見られたことに。

 そして、紗希が勇気を出してくれたことに。

 俺は、夏帆と顔を見合わせて小さく頷く。


「紗希ちゃん……テマリのお誕生日、おめでとう。ごめんね」


 持っていたノートパソコンの画面に月雪テマリの新衣装を表示しながら、夏帆は眦に涙を浮かべながら、震える声でそう言った。


「……ううん、いいの……夏帆ちゃんは、わたしの……ぐすっ、お友達、だから……わたしこそ、いつも大事に思ってくれて、ありがとう……」

「紗希ちゃん……っ!」


 ひし、と紗希のことを抱きしめて、夏帆はぽろぽろとその瞳から大粒の涙をこぼす。


「また一緒に学校行こうね、いっぱいお話ししようね……!」

「……夏帆、ちゃ……!」


 今までの後悔や、ずっと言えずにいたことを透明な血液に変えて、瞳から流し続ける夏帆と紗希は、互いのぬくもりを確かめるように固く抱き合っていた。

 全てを清算できたわけじゃない。

 過去が消えるわけじゃない。それでも、前に進んでいくことはできる。


 逃げ出すことを選ばなかった、紗希の勇気が尽きない限りは。

 だから、俺たちにできるのは、まだか細く頼りないその勇気を支えてあげることだ。

 紗希がいつか、自分のことをちゃんと自分で愛せるように。


「紗希」

「……おにいちゃん」

「よく、頑張ったね。そして、よく頑張ってる。俺や、夏帆……ここにはいないけど、美南と、メッセージをくれた十万人が紗希の味方なんだ。それだけは、なにがあっても忘れないで」


 俺から言えるのは、ただそれだけだった。

 それでも、それだけでも十分だとばかりに紗希は大きく首を縦に振って、にへら、と緩んだ笑みを浮かべる。


「……はいっ!」


 その笑顔へ目一杯の祝福を授けるように、俺たちは「月雪テマリ」の、もう一人の紗希の誕生日プレゼントを贈るのだった。

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