第28話 運命の時

 夏帆が俺との企画コラボでテマリの新衣装を描くとSNSで発表してからは、十万人の寄せ書きの進捗率も鰻登りで跳ね上がってきた。


「今現在で八万六千七百二十三人、か」


 俺は寄せ書きサイトに書き込まれたコメントを逐一チェックする。

 数が数だが、絶対にいたずら書きや誹謗中傷の類がないように目を光らせているし、サイト側である程度そういうのは弾いてくれるから、今のところは順調といえた。

 残りの約二万人については恐らく、上手くいけば今日か、最悪明日ぐらいにはなんとかなるんじゃなかろうか。


 エナジードリンクのプルタブを開けて、縦読みやアナグラムでの中傷メッセージがないかを改めて確認しつつ、小さく息をつく。


「ねこ大好きみたいな縦読みなら可愛いんだけどな……っと、電話か」


 今は失われて久しい──というかそもそも世代じゃないが──古のインターネットミームに思いを馳せていると、夏帆からの着信が飛び込んできた。


『もしもし、直貴さんですか?』

「ああ、俺だけど」

『声でわかるからいいんですけど、その出方だと人によっては詐欺とか疑われますよ』


 うっ。

 ついつい癖で言ってしまうんだよな。

 夏帆からも釘を刺されたことだし、次からはちゃんと知り合い相手でも名乗るようにしよう。


「わかった、次から気をつける。それで、夏帆の方は俺になんか用事かな」

『用事というか……テマリの新衣装の下書きが終わって、あとは色塗るだけなんですけど、カラーパターンをいくつか用意したから選んでもらいたくて。今メール送りました』


 夏帆が言うや否や、起動させているパソコンの画面に小さくメールを受信した旨のポップアップが浮かび上がってくる。


「パスワードは?」

『「tkyktmr_newedition02」です』


 月雪テマリニューエディションゼロツー。

 わかりやすいが、アナグラムを使っているし文字種混在のパスワードだから、外部に漏れる心配も少ないだろう。

 俺は言われた通りにパスワードを打ち込んで、添付されていたファイルをデスクトップ上に解凍する。


 フォルダを開いたそのとき、そこに広がっていたのは、圧巻の光景だった。


「お、おおおおっ……! これがテマリの新衣装……! しかも和ゴス! 和ゴスじゃないか! テマリのミステリアスで清楚な雰囲気と最高に噛み合ってて……ああ、どのカラーパターンも捨て難いな。えっ、これタダで拝んでいいの? 大丈夫? 依頼料とか払った方がいいやつじゃない?」


 フォルダに展開されていた夏帆の新衣装案は、フリルをあしらった、丈の短い和服。

 絶対領域は見えているのに、袖はぶかぶかの萌え袖になっているところが最高にポイントが高い。

 カラーパターンもいくつか考えられていて、雪のような白を基調としたパターンと、和ゴスとしては王道な黒を基調にしたパターン、そして少し変則的だが、淡めのスカイブルーを基調としたパターンがパッと見では印象に残ったかな。


『直貴さんって本当にテマリのことになると節操なくなるんですね』

「いや、ごめん」


 だが、推しの新衣装を前にして限界化するなという方が無理筋だろう。

 まだ世にお披露目されていない最推しの新衣装を絵師から直々に見せてもらえるなんてイベント、オタクであれば夢に見ないはずがあるだろうか。いや、ない。

 そんな夢のようなシチュエーションを堪能させてもらっているのだから、本当に依頼料なしのロハで描いてもらったのがだんだん申し訳なくなってくるぐらいなのだ。


『それはともかく、どのカラーパターンが一番テマリらしいと思いますか?』

「んー……そうだな。俺が選んでもいいんだけど、夏帆は選ばなくていいのか?」


 夏帆が自ら手がけた新衣装なのだから、自分の意見を優先した方がきっといいはずだと思って、俺はそう問いかける。


『それでもよかったんですけど、せっかくの新衣装ってこともあって、あたしと直貴さんの二人で意見のすり合わせした方が多分納得いくかなって』

「なるほどな。そういうことなら全力で選ばせてもらうが……うーん、個人的にはこの淡いスカイブルーのカラーパターンが、テマリの銀髪ともシナジーがあってかつ新衣装感出てると思う」


 テマリといえば雪のような白、というのは今までの衣装から受ける印象で、手堅く攻めるのであればそれを選ぶ方が「らしい」のだろう。

 だが、変わり映えするかどうかという点で考えると、露出が増えたとはいえややパンチが弱い。

 なら黒の方が劇的に印象が変わるかもしれないが、せっかく「新しいテマリ」をお披露目するのに、暗い色を選んでしまったのでは幸先が悪い気がする。


 消去法ってわけじゃないが、白と黒の二択を除いて、かつ新鮮で鮮やかに目を引いたのが淡いスカイブルーのカラーパターンだったから、選ばせてもらった。


『ふむふむ……直貴さんに頼んで正解だったかもしれないですね。あたしもこの色がいいなって思ってたんです』

「奇遇だな。テマリの新たな門出を祝うって意味じゃ青空にも似たこの色をチョイスするのは絶対に間違ってないはずだ」

『白地に赤とかも捨て難いんですけど……やっぱり、こっちの方が心機一転! って感じしますよね。ありがとうございました! 仕上げに入らせてもらいますね!』

「こちらこそありがとう、頑張って!」


 通話を切って、デスクトップ上に一時保存していた新衣装案を削除する。

 本当なら没案も含めて永久保存版として飾っておきたいところだったが、今の時代、なにがきっかけで情報事故が起こるかわからない。

 新衣装がお披露目前に流出となったら、冷めること請け合いだろう。だから俺は、泣く泣くゴミ箱に入れた新衣装案を完全に削除するボタンで抹消したのだ。


@natsume_ciel 明後日の企画に合わせて準備してます! #月雪テマリに十万人の大好きを


 寄せ書きの方は、テマリの誕生日である明後日で十万人を達成できるかと思っていたが、夏帆が夏芽シエル先生のアカウントでテマリの新衣装をチラ見せしてくれたおかげで、今日中に達成できそうだった。

 嬉しい誤算だ。

 その分目を通さなきゃいけないメッセージも多くて大変だし、十万人分の寄せ書きを印刷できるだけの色紙の準備と、それを印刷してくれる業者への連絡もしなきゃいけないが。


 それでも、やるしかないだろう。

 これは俺が始めたことなのだから。

 紗希に喜んでもらうために、たった数人のデカい声なんてもっとデカい十万人の声でかき消して、自分はそれだけの人から愛されているんだと、知ってもらうために。

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