第27話 積み上げてきたもの
翌日の放課後、俺は夏帆と屋上で待ち合わせていた。
一足先について黄昏れていると、どこかむすっとした様子で、不機嫌そうな夏帆が少し遅れてやってくる。
まあ、怒ってるんだろうなあ。
夜遅かったとはいえ、生みの親に連絡もなしにテマリの誕生日祝いをやるなんて不遜にもほどがあるからな。
「それで、直貴さん。ちゃんと話してくれるんですよね?」
「もちろん、そのつもりだ。でも、その前に夏帆に聞いておきたいことがいくつかあってさ」
「そうやってはぐらかすつもりですか?」
頬を膨らませて、夏帆はぷい、と明後日の方向に視線を逸らしてしまう。
はぐらかすつもりなんて微塵もないんだが、そう受け取られても仕方ないところはある。
ただ、俺からすると、それを聞いてからじゃないとテマリの誕生日企画に夏帆を巻き込むのには待ったをかけたいところなのだ。
「はぐらかすつもりはないよ。でも、テマリの……紗希のことについて、夏帆がどう思っているのかを聞いておきたかったんだ」
以前聞いた話では、社会復帰のためのきっかけとして夏帆は紗希にVtuberを勧めたんだったか。
別に、そのこと自体を否定するつもりはない。
俺の十万人計画だって、紗希に社会復帰してもらうためにやっている側面はあるのだから。
それでも、夏帆がただ社会復帰をしてほしいというだけで紗希に手を差し伸べているのなら、申し訳ないが今回それは筋違いだ。
「どうって……あたしは、紗希ちゃんにちゃんと学校に通って、お友達を作って、普通に過ごしてほしいなって、そう思ってます」
「なるほど。じゃあ、夏帆と紗希はどんな風に仲良くなったんだ?」
「カウンセリングのつもりですか? 一応答えますけど……紗希ちゃんは、あたしの絵を褒めてくれたんです。それまでは、あたしも……全然明るくなくて、むしろ絵を描いてることが恥ずかしいことみたいに思ってたんです」
──でも、紗希ちゃんはあたしの絵を見て、上手だって、好きだって言ってくれて。
夏帆は、昔を懐かしむような表情でそう言った。
「……それってさ、夏帆にとっては『自分の積み重ね』が認められたことが嬉しかったんじゃないか?」
絵というのは、一朝一夕に描けるものじゃないものだということぐらいは俺も知っている。
紗希がなんらかのきっかけで夏帆の絵を見たそのときに「上手い」と感じたのは、人見知りなのにもかかわらず、「好きだ」という言葉として口に出したのは。
きっと、夏帆が積み重ねてきた努力に対して少なからず敬意を表する意図があったからじゃないのかと、俺はそう思う。
「……直貴さんは、なにが言いたいんですか?」
「申し訳ないけどさ、夏帆。夏帆が善意とか優しさで紗希を現実世界に引き戻そうとしてるのはわかるんだ。でもさ、ちゃんと紗希が……自分の友達が『好き』だって言ってくれた夏帆が描いたアバターで、『月雪テマリ』として頑張ってるところを、蔑ろにしてしまってないか?」
「……っ!」
恐らく夏帆は、紗希にVtuberとして活動するきっかけを、ネットにのめり込むきっかけを自分の手で与えてしまったことを悔やんでいるのかもしれない。
だが、それは違うと、はっきり言っておかなきゃいけなかった。
夏帆が自ら積み重ね続けたものがイラストレーター「夏芽シエル」としてそこにあるのなら、例えバーチャルの世界であったとしても、紗希が自ら積み重ねてきたものが「月雪テマリ」としてそこにあるのは、きっと同じことだから。
「そっか……あたし、現実を気にしてばっかで、自分の絵を愛してくれる紗希ちゃんの気持ちと、バーチャルの世界で紗希ちゃんが積み上げてきたものを、蔑ろにしてたんだ……」
夏帆は、はっとしたような表情で目を見開く。
「現実を気にすることが悪いことだとは言わないし、むしろいいことだと思うけどさ、俺は紗希が紗希として頑張ってるところに、夏帆の描いてくれたテマリを好きだって言ってくれていることに、少しだけでも目を向けてほしかったんだ」
きっとその方が、紗希も喜ぶから。
例えきっかけがどうであったとしても、紗希はテマリとして頑張ってきたからこそ、個人勢でありながらチャンネル登録者十万人という数字を叩き出したのだ。
その頑張りを、生みの親が認めてあげなくてどうするんだよ、と。つまりは、俺が言いたいのはその一言に尽きた。
「そっか……紗希ちゃんは、紗希ちゃんなりにずっと頑張ってきて……それで、そんな頑張りを否定されちゃったら、とっても悲しい気持ちにもなっちゃいますよね」
「ああ。だから、そんな意地の悪い……たった数人の言葉なんて、十万人の『大好き』って声でかき消してやろうぜ、っていうのが、今回の誕生日企画の本当の目的なんだ」
紗希が自分の頑張りをちゃんと認められるように。
ちゃんと紗希のことを「好きだ」と言ってくれる人が、この世界には十万人もいるんだということをちゃんとした形で示す。
そうすれば、紗希も少しは悲しくなくなるはずだと、俺はそう信じたい。
「……あたしも」
「ああ」
「……あたしも、直貴さんの計画に参加していいですか?」
「もちろんだ、きっと夏帆からのメッセージなら紗希は喜んでくれるさ」
大切な友達が自分のことを、「月雪テマリ」のことを好きだと言ってくれたのなら、きっとこんなに嬉しいことはないはずだから。
「メッセージも書きますけど、あたし……テマリの新衣装を描こうと思います。新たな一歩を現実で踏み出そうとしている紗希ちゃんを、これからもバーチャルの世界でも頑張ろうとしてる紗希ちゃんを、心から応援する気持ちを込めて、プレゼントを贈ります!」
夏帆は屈託のない笑みを浮かべてそう言い切った。
「ありがとう。きっと紗希も喜んでくれるよ」
「こうしちゃいられませんね! テマリの誕生日までにメッセージだけじゃなく、ちゃんと差分とかも全部描き切らないと……! 直貴さん、今日は色々とありがとうございました! あたし……紗希ちゃんと、テマリのことが大好きなんだって、もう一度、ちゃんと確かめられました!」
ぶんぶんと大きく手を振って、夏帆は屋上から駆け出していく。
空を見上げれば、まるで夏帆のもう一つの名前の通り、初夏の空に浮かぶ雲の切れ間に、虹の橋がかかっていた。
止まない雨はないより先に傘の一つも用意しろ、って文句をいうのが現代なのかもしれないけどさ。
雨が止んだあとには、こうして綺麗な虹が見られるんだぜ。それまで踊って過ごすのも、悪くないじゃないか。
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