第24話 にじり寄る悪意

 リアルがずっと怖くて仕方がなかった。

 お義兄ちゃんと別れて、教室に引き返すまでの道中でわたしは、そんな過去を振り返る。

 だって、リアルはいつだってわたしを傷つけてきたから。


 いい思い出なんてなんにもなかった……っていったら、多分嘘になってしまうんだろうけど、夏帆ちゃんが仲良くしてくれたことと、お義兄ちゃんと一緒に受験を乗り越えたこと。

 それ以外にも片手で足りるくらいしか、リアルがわたしにもたらしてくれた幸せはない。

 不幸だったら、両足の指まで使ったって足りないぐらいたくさんあるのに。


 だから、わたしは一度、自分の殻に閉じこもることを、バーチャルの世界でだけ生きていくことを選んだ。

 最初に夏帆ちゃんからVtuberになることを勧められたときは、怖くて仕方なかった。

 だけど、それでも勇気を出してバーチャルの海に漕ぎ出してみれば、思っていたよりもあたたかく、非現実の世界は私を出迎えてくれたことを、覚えている。


 初めての配信なんか、緊張して声が震えて、実況なんて全然できなかったけど。

 それでも、名前も顔も知らない誰かが、あのとき「頑張って!」とコメントを残してくれたから。

 だから、わたしはVtuberを今でも続けられているのかもしれない。


 それから、月並みな言葉だけど、数えきれないくらいにいろんなことがあって。

 数えきれないくらいの幸せをもらって、わたしは今の「月雪テマリ」になった。

 それがリアルで誰かに二回も「好き」って言葉をもらえるまでに芽を出すなんて、過去のわたしに言ったって、多分信じてもらえないと思う。


 でも、受け取った。

 顔と名前がわかる相手からの好意を。

 それだけで、リアルも悪くないんじゃないかって勘違いしそうになるほど嬉しくて。


「えへ……えへへ……」


 ついつい、頬が緩んでしまう。

 お義兄ちゃんと美南さん。

 二人もわたしのことを、「月雪テマリ」のことを好きだって言ってくれた人がいるという事実に──


「なあ、この月雪テマリってV、正直ウザくね?」

「わかるー、ランキング載ってるから上手いのかと思ってプレイ動画見たけど姫プで介護されてるだけじゃん」

「今話題の冬月ナオが推してるからどんぐらいゲーム上手いのかって思ったけどさ、正直期待外れだよな」

「てか姫プでちやほやされてるだけなのに登録者数十万人もいんのかよ、こいつのリスナー頭おかしいんじゃねえの?」


 その声は、階段下の空きスペースから聞こえてきた。

 今、なんて。

 わたしが、テマリが。


「冬月ナオと兄妹でてぇてぇってコメントしてる層もキモいんだよなー」

「わかる、この前のハンクリ配信のアーカイブ見てたけど、こいつ冬月ナオの足引っ張ってただけじゃん」

「バトステ2も大して上手いわけじゃないしな。なんでこんなのがチヤホヤされてんだよ、やっぱVの信者ってキモいわ」


 ──あ、ぁ。


 声が、出ない。

 足が、震える。

 そうだ、わたしは。


 浮かれていた、だけ。

 忘れていた、だけ。

 悪罵をぶつけて盛り上がる男子たちはその後もテマリを──わたしを悪く言い続けていた。


 そして、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴って、ようやく階段下から出て行った。

 階段で蹲っているわたしを省みることもなく、ただゴミをゴミ箱に捨て終わったかのような調子で、次の授業について喋りながら。

 心の瘡蓋が剥がれて、忘れていた痛みがじくじくと溢れ出してくる。


「……ひどい……っ……」


 確かにわたしはゲームがお義兄ちゃんほど上手じゃない。

 でも、一生懸命プレイして、リスナーの皆に喜んでもらえるように頑張ってきたつもりだ。

 それなのに。それなのに、なんで。


 どうして、そんなに悪く言われなければいけないんだろう。

 わたしだけじゃない。

 わたしを応援してくれている人のことまでそんな風に傷つけて、なにが楽しいんだろう。


 わからないし、わかりたくなかった。

 でも、これもきっとわたしが悪いんだ。

 だって、リアルはいつだってこんな風に誰かを傷つけて平気な顔をしている人たちで溢れていることが普通なのに、それを忘れていたから。


 ただ、浮かれていただけで。

 勘違いをしていただけで。

 最初から、光の当たるような場所なんて、わたしには似合わなかったんだ。







「紗希ー、夜ご飯できてるぞー?」


 家に帰ってみると、紗希の部屋は再び閉ざされていた。

 原因は全くもってわからない。

 ただ、俺の呼びかけにも反応しないし、夕食の話を出してもうんともすんとも言わない辺り、重症だということだけはわかる。


 せっかく頑張って高校に通うことを決めたのに、夏帆と一緒のクラスにもなれたのに、一体なにがあったというのか。

 腕を組んで扉の前で唸っていると、ポケットの中に捩じ込んでいたスマートフォンに、突然着信が入った。

 画面には夏帆の名前が表示されている。もしかしたら、なにか知っているんだろうか。


 望みを託すような気持ちで、通話のアイコンをタップする。


『もしもし、直貴さんですか!?』

「ああ、俺だけど……どうしたんだ、夏帆?」

『えっと……その、紗希ちゃん、また引きこもってたりしないかって、心配で電話しました!』


 その心配は、最悪なことに的中しているんだよなあ。

 だが、口ぶりからするに、夏帆は紗希が再び引きこもってしまった事情を知っているようだ。


「まずは落ち着いて話を聞かせてくれないか? 紗希になにがあったんだ?」

『えっと、紗希ちゃん……直で「月雪テマリ」のアンチ発言を聞いちゃったみたいで。あたしも詳しいことはよくわからないんですけど、昼休みが終わったら紗希ちゃんが教室にいなくて、それでクラスの男子の話を聞いてたら、たまたまそういう話題で……もしかしたら、って思ったんです』


 ふむ。

 夏帆の話が本当だとすると、まだ社会復帰したての紗希が誰かの悪意の直撃弾をくらってしまった、というのが一番ありそうな線か。

 俺の配信アーカイブについているコメントにも、逐一削除こそしているけど「テマリが俺の足を引っ張っている」みたいなのが散見されるからな。


「ありがとう、夏帆」

『いえ……あたしにできることなんて、これぐらいで』

「いやいや、十分だよ。それじゃあ一旦切るよ」


 一旦夏帆との通話を切って、ポケットにスマホをねじ込みながら首を捻る。

 どうするべきかは決まっている、紗希をもう一度リアルに連れ戻すことだ。

 問題はその方法なんだが──残念なことに、今の俺一人では思い浮かびそうにない。


 それでも、三人寄れば文殊の知恵だと人は言う。

 俺一人の力で足りないのなら、力を貸してもらおう。

 そのためなら、頭でもなんでも下げ倒してやるさ。

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