目一杯の祝福を

第21話 配信しよう

 紗希が無事高校入学と社会復帰を果たしてくれてからしばらく、俺はといえば紗希の送り迎えだけじゃなくバイトにも忙殺されていた。


「……つ、疲れた……だけど明日は貴重な休みだからな……」


 這々の体で帰宅した頃、時刻は当然のように二十時過ぎ。

 飲食店のホールスタッフはキッチンよりいくらかマシだとはいえ、忙しいことには変わりない。

 いい加減バイト先を変えるのも選択肢に入れるべきだろうか──という考えがふと頭をよぎったものの、職場に不満があるわけじゃないから、それを秒で却下する。


 だが、配信者としての活動に若干影響が出ていることは否定できない。

 せっかく知名度が上がってくれたのに、これじゃ宝の持ち腐れだ。

 紗希がテマリとして配信している中、俺のことをよく話題に出してくれるおかげで、世間からは忘れられていないのは幸いなのだが。


「ここ最近配信してないし、今日は配信するか」

「……あっ、お義兄ちゃん……おかえりなさい」

「ただいま、紗希」


 しかし、なんだ。

 こうして風呂上がりの紗希と鉢合わせるのも恒例行事になってきたな。

 髪の毛をタオルでくるんでいるせいで露わになっているうなじに、未だにどぎまぎさせられるのはここだけの秘密だ。


「配信……するんですか?」

「そのつもりではいるかな。紗希がちょくちょく話題に出してくれてるから忘れられてはいないんだろうけど、肝心の本人がだんまりじゃ仕方ないし。そういう意味じゃ、紗希には感謝してるよ」

「……え、えっと。そのぅ……」


 紗希は、顔を真っ赤にしてもじもじと俯いてしまった。

 なんか変なことでも言ったんだろうか。

 少し気になるが、恥ずかしがってる相手から話を聞くのも色々と問題だろう。


「……あっあの、わたし……お義兄ちゃんの配信、見てても……いい、ですか?」

「別にいいけど、大したことするわけじゃないよ?」

「……い、いえっ、そのっ、近くで、見てたいなって……」


 わざわざ俺の配信を近くで見る理由があるんだろうか。

 いや、もしかしたら紗希は同じ配信者として、貪欲に勉強しようとしているのかもしれない。

 だとしたら、俺に見せられるだけのものがあるかどうかはともかくとして、情けない配信はできないな。


「わかった。紗希は勉強熱心で偉いなあ」

「……べ、勉強……?」

「俺の配信がテマリの配信の参考になるかはわからないけど、頑張るよ」

「あっはい……よ、よろしくお願いします……」


 紗希は、イマイチ納得がいかないといったような表情で小さく頷いた。

 他に理由でもあったんだろうか?

 少しは兄妹としての距離が縮まってきたと思っていたが、やっぱり乙女心というものは複雑怪奇な代物なんだな。







「あーあー、繋がってるな……よし。こんばんはリスナー諸君。冬月ナオの深夜放送局、久しぶりに始めていこうと思う」


:冬月生きとったんかワレ

:初見

:お前の単独放送あの放送事故以来?

:姫がちょくちょく話題には出してたけどな

:生存確認

:テマリちゃん受験合格おめでとう


 パソコンと機材のセットを済ませて放送を始めると、同接が四千六百七十二人という、長い間留守にしていた割にはかなりの数字が画面の上に表示される。

 そして、瞬く間にコメント欄が流れていく。

 ちょっと前の俺なら、想像もできなかった光景だ。


「ありがとう諸君、色々と忙しかったけどその分実るものは実ったって感じだったよ。そんなわけで今日は適当にFPSでもやりながら雑談していく感じにしようと思う」


:バトステ2じゃないのか

:FPSやれんの?

:拙者テマリ姫の家での姿が気になるで候

:↑同じく

:そこら辺どうなんですかお兄様


「誰がお兄様だ、妹はやらんぞ……っと、話が逸れたな。FPSはたまに遊ぶぐらいだけどまあなんとかなるだろ」


 ゲームを起動して、ランクマッチを選択する。

 俺のティアーは……ダイヤ帯だな。

 長くサボってたからマスター帯からは落ちてしまったが、当然といえば当然か。


:草

:お前がサボってる間に環境大分変わったぞ

:テマリちゃんはお家でもあんな雅な口調なんですか?

:確かにテマリ姫が御所ではいかなる姿をしているのかは気になるでござるな

:リスナーに臣下がいるな……


「あー……申し訳ないけど、プライバシーの問題もあるからその辺はあまり詳しく答えられない。ただ、家でのテマリはどっちかというと大人しめで優しい子だよ……っと、マッチしたな」


 バトステ2のときは十五分ぐらい待たされたマッチングだったが、人気タイトルというのも手伝ってこのFPSは三分もかからなかった。

 バトルフィールドは渓谷。

 程よく遮蔽物と高低差があるマップだ。


:家だと大人しいのか

:いうて姫の普段も割と落ち着いてる方では?

:むしろ冬月が家で限界化するのかどうか気になる


「いや、テマリのことは俺にとっての太陽で、世界一、いや地球一可愛い美少女だと思ってるけど家で限界化してたら流石にヤバいだろ……っと、スナイパーライフル拾った」


:中途半端に理性を残すな

:かつてのお前はもっと限界オタクだったはずだ

:今でも大分キショいのに?

:↑新参か、全盛期の冬月は今の五割増ぐらいキショかったぞ

:しれっとスナイパーライフル引いてて草生えますよ


「人のことをキショいだのなんだのと失礼だな、俺がテマリに向けてる気持ちは純愛だから、そこ勘違いするなよおっとそんなとこから頭出してるのはいただけないなあ」


:いつもの冬月が戻ってきたな

:自分を一般臣下だと思い込んでいる異常者

:てかしれっと射程限界からヘッショ決めてるのなに?

:雑談しながらしれっと神エイム披露せんでもろて

:えっ上手……姫の配信から流れてきたけどお兄様こんなにFPS上手かったん?

:↑冬月にスナイパー系の武器持たせると大体こうだぞ


 とりあえずスナイパーライフルが狙える射程の限界辺りに隠れていた相手をヘッショしただけで、コメント欄がなぜか沸き上がる。

 相手もダイヤ帯で迂闊だったし、別に大した芸当じゃないと思うんだけどな。

 それと何度もいうが、俺は自分を勇者ロボと思い込んでいる不審者の親戚ではない。これだけははっきりと真実を伝えたかった。


:てかテマリ姫のこと好きって言ってるけど割と発言がふわっとしてない?

:言われてみればそうだな、冬月お前テマリのどこが具体的に好きなん?

:「全部」はなしだぞ


「えっ、普通に全部好きだけど……」


:草

:当然の権利のようにヘッショしながら答えるのやめろ

:雑談の裏で戦場が阿鼻叫喚になってんだよなあお前のせいでよお!

:全部ったってなんか一つぐらい飛び抜けて好きなとこあるだろ、ないの?


 なにか一つ、か。

 困ったな、テマリに関しては全部が全部飛び抜けて好きだからどれか一つ選べと言われると非常にもどかしい。

 隠れられそうなスポットから、通りかかった相手の頭を適当に撃ち抜きつつ、俺は考える。


「強いて挙げるなら……そうだな、声かな」


:声

:あーね

:まあVとしちゃ妥当な答えではある


「だろ? テマリのあのウィスパーボイスは声の透明感や綺麗さもだけど、長時間聞いてても飽きないってところが一番の強みだと俺は思うんだよな。甘い声ってだけならごまんといるけど、聞いててこう……胃もたれしないですっと脳に溶け込んでいく感じがもう最高でさあ。あとは純粋に可愛い、可愛いって言葉を声にしたらこんな声だって確信を持って言えるね俺は」


:怒涛の早口で草

:冬月配信してるときあんま喋らんのにテマリのことになると早口になるよな

:なんでお前らそんな冷静なんだよ、雑談しながら砂でドン勝取ってるとかおかしいだろ!?

:えー……つっよ……

:テマリ姫もゲーム上手いけどこいつも相当ヤバいぞ


「ああ、なんかドン勝してたみたいだな……いや、正直作業だったからあんま意識してなかった」


 画面に堂々と表示されているVICTORYの文字と、視聴者のコメントを見てようやく俺がライバルを全員ヘッショしたことに気づいた程度には意識の外だった。

 とはいえ、マスター帯から一段落ちるダイヤ帯だしなあ。

 申し訳ないが、スマーフみたいなものだ。あんまり自慢できるものじゃない。


「それじゃドン勝したことだし、今夜の放送はここらで終わりにしておこう。それじゃあリスナー諸君、いつかの深夜にまた会おう」


:乙

:お疲れ〜

:ちょっと待て、まだ聞きたいこと山ほどあるんだが!?

:俺たちはとんでもないやつを見つけちまったのかもしれん

:冬月の中の人ってもしかしてプロゲーマー?

:↑学生らしいぞ、テマリ曰く

:流石に嘘松と言いたいけどテマリ姫がソースかぁ……


 なんか配信を切ろうとした途端にコメント欄がやかましくなってきたな。

 まあいい、放送主の俺がやめるといったんだから、コメントに関してはあとから読んで今度コメ返し配信のネタにでもすればいい。

 今度こそ放送を切って、俺は床に三角座りしていた紗希へと向き直った。


「こんな感じだったけど、なんか参考になった?」

「……え、えへ、えへえへ……か、可愛い……声……えへ……」

「……紗希?」


 知らないうちによくわからない世界に入り込んでいた紗希を引っ張り上げるようにひらひらと目の前で手を振る。


「……はっ! な、なんでも……なんでも、ないです……っ!」

「ならよかったけど……顔赤いぞ?」

「あ、ぁ、えっと……その……とっても参考になりました、ありがとうございましゅっ……!」


 噛み噛みになった末に顔を真っ赤にして、弾かれたように紗希は俺の部屋を飛び出していく。

 うーん、年頃の女の子は複雑怪奇だな。

 それとも俺がなにか知らないうちに失礼なことを言ってしまったのか。


 その可能性も否定できないし、明日は紗希にアイスを買ってきて詫びるとしよう。

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