第20話 ローファーの踵を高らかに

 ぼんやりと過ごしている間もなく、バイトと配信とテマリの推し活だけで春休みは過ぎ去っていった。

 そしていよいよ新年度を迎えた俺は、ただ二年生に上がっただけではない。

 一つ下の後輩として、紗希が我が高校にやってくる。


 義妹で最推しで後輩って、なんだか属性の欲張りセットみたいになってるな。

 と、そんな話は一旦置いておこう。

 とにもかくにも、今日が紗希にとっては初めての登校日ということになる。


「……お、お待たせしましたっ」


 玄関前で待機していた俺に、真新しいブレザーに身を包んだ紗希がぱたぱたと駆け寄ってくる。

 中学時代の緑基調のそれとは打って変わって、紺色の上着に色調を合わせたプリーツスカートが、大人っぽさを引き立てている気がしないでもない。

 俺の貧弱な語彙力では表現しきれないが、見慣れた制服でも、着る人間によっては全然印象が違って見えるんだな、と思ったのは確かだった。


「……変、ですか?」

「全然。めちゃくちゃ似合ってるよ、紗希」

「……あ、ありがとうございます……えへ」


 頬を赤く染めて、紗希は楚々と笑った。

 あの「ハンクリ」配信が一つ、紗希の中でなにか吹っ切れる契機になったのか、俺たちの間には出会ったばかりのときよりも遠慮がなくなってきたように思う。

 多分それは、いい変化なのかもしれない。


「……お義兄ちゃんと夏帆ちゃんが、一緒に高校に行ってくれるから、わたしも、その……がんばり、ます」

「その意気だ。気休めかもしれないけど、高校に上がると人間関係も色々変わったりするし。夏帆とは同じクラスなんだっけ?」


 俺の問いかけを、紗希は無言で首肯する。

 夏帆も同じクラスなら、色々と心配も少ないだろう。

 願わくば、紗希には順風満帆な高校生活を送ってほしいものだ。今までの分まで、目一杯に幸せな。


 そんなことを心の内で願いながら、俺たちは呼び鈴を聞いて家を出る。

 案の定、玄関口には初々しいブレザー姿の夏帆が立っていた。

 夏帆に手を引かれて駆け出していく紗希の背中を追いかけながら、俺はその光景を、写真に撮るかのように脳裏へと刻みつけていた。


 ローファーの踵を、高らかに打ち鳴らして。








「……と、まあ色々あるのがうちの高校なんだが、中でもこいつは特別なんだ」


 授業諸々が終わった昼休み、俺は紗希と夏帆を連れて屋上への入り口に屯していた。

 逆さにされた植木鉢の中に隠してある、先輩のそのまた先輩の……とにかくずっと昔の卒業生が残していった遺産である秘密の合鍵を取り出して、俺は紗希たちに掲げてみせる。


「これがあれば事実上屋上は入り放題なんだけど、見つかるとめちゃくちゃ怒られるから、屋上に来るならタイミングとかは考えておいた方がいいよ」

「うっわー、直貴さんもワルですね」

「俺なんかまだ可愛い方だよ、昼休みぐらいしかここに来ないし」


 呆れたような夏帆の言葉に、そう返す。

 中には堂々と授業をサボるために屋上を利用している札付きのワルもいるんだ。

 恐らくそのワルは今頃屋上で弁当を食べている頃合いなのだろうが。


 俺は鍵を再び植木鉢の中に隠して、屋上に通じる扉を開ける。

 吹き抜ける春の風に乗って、桜吹雪が舞い散る中で、そいつ──美南は今日もぼんやりと落下防止のフェンス越しに遠くを見つめていた。

 どうやら、もう弁当は食べ終わったらしい。


「よう、美南。今日も俺が遅刻だな」

「……別に待ち合わせしてるわけじゃない」

「それもそうか」

「……後ろの二人は?」


 美南の隣にもたれかかって、学食で買ってきたオールドファッションドーナツの袋を開けていると、じとっとした目を向けられる。

 バチバチにピアスを開けている威圧感からか、先に視線を向けられていた紗希と夏帆は、揃って萎縮していた。

 そんなに怖がることないんだけどな。


「一人は俺の義妹。もう一人は義妹の友達」

「……ああ。紗希って子と、その金髪の子が『夏芽シエル』ってイラストレーターね」

「あたしのこと、知ってるんですか!?」


 気怠げにそう呟いた美南に、驚いた様子で夏帆が問い返す。


「直貴から色々とね」

「色々と、ですかー……先輩と直貴さんって付き合い長いんですか?」

「別に? 一年ぐらいじゃない?」


 美南は無感動に言った。

 気づけば屋上を勝手に使う者同士での連帯感が生まれていた、ってところではあるな。

 まあ俺が一方的に話しかけてたところはあるんだが。確か、きっかけはキーホルダーのゆるキャラについてだったかな。


 こんな見た目でも、「かわいいもの」がなによりも大好きなのが芝浦美南という女なのだ。


「……それより」

「あ、あわわ……お、お義兄ちゃん……」


 じっ、と向けられた視線に耐えられなかったのか、紗希はじわりと大きな瞳に涙を滲ませて、俺に助けを求めてくる。


「心配ないよ、美南はこう見えて結構優しい子だから」

「……別に優しくない」

「優しくなかったら今頃紗希と夏帆を追い出してるだろ?」

「……っ、うるさい」


 照れ隠しにしては過激な、腰の入った回し蹴りが尻に直撃した。痛え。


「……紗希、っていうんだね」

「……は、はい……紗希、です。天羽、紗希……」

「……直貴が可愛いって言ってたの、なんとなくわかった気がする」


 ふっ、と目元を緩めて美南は笑う。

 この短時間でなにを理解したのかはわからないが、少なくとも小動物的で庇護欲をそそる性格と、それを後押しする童顔については見て取れることだ。

 そこがきっと、美南の中にある「可愛い」のフォルダに収まったのだろう。


「……義妹を大事にしてよ、直貴」

「言われなくても」

「……そ。じゃあ私、教室戻るから」


 そう言って、美南はひらひらと手を振りながら屋上を後にする。


「直貴さん、どうしてあたしたちを?」

「ああ、美南はあんな感じで不器用だけど、俺の友達だからさ。紗希と夏帆にも紹介しておきたかったんだ」

「……な、なんとなく……わかり、ます」


 人を遠ざけるような外見をしているのに、その実、他人との繋がりに飢えているのが芝浦美南という女の子に対する俺の総括だった。


「困ったときは、美南を頼りにしてもいいんじゃないかな。同じ女子で先輩だし」

「あはは……ちょっと勇気いりますね」

「……そ、そうだね……夏帆ちゃん……」


 第一印象で怖がられてはいたが、話自体は合うだろうから、二人ともそのうちわかり合えることだろう。

 どこまでも楽観的なことを考えながら、俺は袋から出したオールドファッションドーナツにかぶり付く。

 舌の上で解けていくジャンクな甘さに、どことなく春の訪れを感じながら。

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