第18話 逃げ出すよりも進むことを
「なんていうか……ごめんな、紗希」
ぐすぐすと洟を啜っていた紗希に俺は平身低頭、頭を打ちつけて全力で謝罪する。
いやまさかここまで難しいゲームだと思ってなかったんだよ……なんて、言い訳にもならないか。
配信自体は同接二万人を超えて好調だったが、結果よければ全てよしというわけにもいくまい。
「……い、いえ……その、わたし、嬉しくて」
「嬉しい?」
予想外の答えに困惑する。
あの苦行を心の底から楽しんでいたとでもいうのだろうか、紗希は?
思えば確かに、テマリの配信は難しいゲームやホラーゲームになると紗希の「素」が滲み出ていたが、どれも諦めずにクリアしていたからそういう素養はあると思うが。
「……だ、誰かと一緒に、困難を乗り越えるって……経験、なくて」
「紗希……」
「……徒競走も、ビリでした。玉入れも、一つも入れられませんでした。リレーなんか、出られないですし……大縄跳びでは、必ずわたしが引っかかって、やり直しでした」
本当は、上手くやりたいのに。
本当は、もっと頑張って、皆と一緒に楽しみたいのに。
紗希はぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら、過去を俺に打ち明ける。
「……『紗希ちゃんは、なにもしなくていいよ』って。そう言われるのが、とっても嫌で、でも、返せる言葉なんか、なんにもなくて」
「紗希」
「……でも、お義兄ちゃんは、見捨てないでくれました。わ、わたしがどんなに下手っぴでも、足を引っ張っていても……この手を、引いて……くれました……」
紗希ははらはらと落涙しながらも、一生懸命に形作った笑みを浮かべた。
二人でクリアしないと意味がない配信だったから、という体裁がないかといわれて首を横に振ればそれは嘘になるのだろう。
それでも、俺は紗希と一緒にゴールの景色を見たかった。そう願う心に、嘘はない。
「……わたしを見捨てないでくれたひと……人生で……初めて、出会いました」
ずっと腫れ物を触るように、そうでなければもっと直球に疎まれていたのであろう紗希の心に、どれほどの傷跡が残されていて、どれだけ膿み続けていることか。
たかがゲームのことかもしれない。
俺にとっては当たり前で他愛もないようなことも、紗希にとってはきっと貴重で、かけがえのないものなのだろう。
「当たり前だよ、俺は……紗希を見捨てたりなんかしない。紗希が頑張ってきたところをバーチャルの世界でずっと見てきたんだ。そして、ずっと応援してきたんだ。これだけは言わせてほしい、俺は紗希を、これからもずっと応援し続けるって」
「……お義兄、ちゃん……」
どんな困難だって乗り越えられたらいいのかもしれないが、実際はそうじゃないことの方が多い。
時には不安になって立ち止まってしまうこともある。時には、立ちはだかる壁に心が折れてしまうこともある。
そしてまたあるときは、絶望に身を灼かれることだってあるだろう。
でも、そんな苦しみの中でも、一緒に手を取ってくれる存在がいるなら、スリーカウントを前に倒れそうになった手を引いてくれる人がいるなら。
人は、立ち上がれるんだ。
俺はそれを、テマリに教えてもらったんだ。
「俺さ、昔テマリのマロにいわゆるお悩みを投稿したことがあるんだ」
「……そう、だったんですか……?」
「うん、なんていうかな。中学校までの俺って今とは全然正反対の陰キャだったんだ」
懐かしいな。
黒歴史を掘り返して紗希に語って聞かせるのは気恥ずかしいところはあったけど、これを言っておかないと、フェアじゃない気がしたから。
紗希が自分の傷を一つ俺に見せてくれたなら、俺も一つ、傷を見せなきゃいけない。それで初めて、対等といえるんだ。
「なんていうか、リア充爆発しろ! って本気で言ってるタイプの斜に構えた陰キャ。嫌だろ?」
「……それ、は」
「俺は嫌だった。だから、なんか……自分を変えるきっかけが欲しくて、たまたま目についたテマリに匿名でメッセージを出したんだ。そしたらさ」
──変わりたいと願うその心に、従うのです。
そう言ってくれたのを、覚えている。
誰を見るのではなく、誰かに見られていると思うのではなく、自分だけを見て、真っ直ぐに。
その言葉があったから、俺はテマリに救われたって気持ちが強いんだよな。配信始めたのだって、テマリに少しでも近づきたいと思ったからだし。
そんな俺の呟きに、紗希は目を白黒させていた。
無理もないだろう。
今までずっと、誰にも言ったことのない話を聞かされたんだから、混乱の一つもしない方がおかしい。
でも、これは嘘じゃない。
たまたま目についたのがテマリだっただけかもしれない。
テマリ……いや、紗希だって、どこかから用意してきた言葉を投げただけなのかもしれない。
それでも巡り巡ってその言葉は、月雪テマリの、天羽紗希の言葉は、俺という一人の人間の人生を変えるに至っているんだ。
バタフライエフェクトみたいなものかな。
現実世界の裏側で投げかけた呟きが表返って、現実の誰かを変える。
そういう意味じゃ、紗希はもう既に凄いことをしてるんだよな。
「……お義兄、ちゃん」
「言っておくけど、嘘じゃないからな。俺はテマリに『頑張れ』って背中を押してもらえたから、今の俺になれたんだ」
「……」
変わることに痛みを伴わなかったかと聞かれて、首を横に振るならそれは嘘になる。
それでも、「変わってよかった」と思えるだけのなにかを、ちゃんと手にできたから。
だからなにってわけじゃあないが、俺は多分、幸せ者なんだろうな。
そんな感慨に浸っていた、そのときだった。
「……お、義兄ちゃんは」
「紗希?」
「……お義兄ちゃん、は、わたしがもし……もし、頑張りたい、って思ったら……さ、最後まで……応援、してくれますか……?」
縋るように、救いを求めるように紗希は上目遣いで俺を見つめてそう言った。
応援、か。
それならもう、答えは決まっている。
「当たり前だよ、紗希」
「……ぁ、ありがとうございます……っ、その……わ、わたし……頑張って、高校、行ってみようかなって……」
全身全霊の勇気を振り絞ったのか、顔を真っ赤にして紗希はそう呟く。
「本当に? 無理はしてない?」
「……は、はい……っ、お義兄ちゃんが、夏帆ちゃんが……応援、して、くれるなら……」
「なら任せとけ、勉強でわかんないところがあったら遠慮なく聞いてくれよな。それに、夏帆だってきっと喜んでくれるさ」
ぐっ、と親指を立ててサムズアップ。
俺は紗希が迷いながらも逃げ出さずに差し伸べてきた心の手を取るように、断言した。
夏帆もきっと、喜んでいるだろう。
「……ぁ、ありがとう、ございます……お義兄ちゃん……えへ」
泣き笑いする紗希に、いつかの自分が重なって見えた。
あのとき手を取ってもらったからってわけじゃないけどさ。
今度はきっと俺が手を取る番だから。
握ったその手を、決して離さないようにしないとな。
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