第17話 苦行の果て
「ごきげんようリスナー諸君、そんなわけで今日は記念すべき兄妹コラボ配信ってことで『ハングリークライマーズ』をやっていこうと思う」
翌日、俺はコラボ配信に必要なセッティングを済ませた上で紗希を部屋に招いて、配信に使うタイトルを読み上げる。
もちろん、紗希には知らせていない。
だからどういう方向性のサプライズにしようか迷ったんだけど、無難に高難度の協力ゲーがいいかな、と思って俺は「ハンクリ」をチョイスしたのだ。
「正気ですか、お兄様」
テマリとリアルで表情を連動させて、紗希は驚愕に目を見開く。
そりゃそうだ。
でも、せっかくのコラボ配信なんだから配信映えするゲームを選びたいよなあ?
:壺おじの後継者を選ぶ兄
:正気かよ
:冬月の頭がアレなのはいつものことだけどこれコラボ回ぞ
:妹にも容赦しない男、冬月
:いうて姫もゲーム上手いからいけるのでは?
「そうそう、正気を疑われてるのには遺憾の意しかないんだが、俺はテマリと一緒なら絶対にクリアできると確信した上でこのタイトルをチョイスしてるわけなんですよ」
「このテマリに対する信頼が天元突破しておりませんか? テマリはお兄様ほど芸が達者ではないのですよ?」
「そこを補い合えるのが協力ゲーのいいところなんだよ、テマリ」
現実の俺は腕を組んで頷いていたが、「冬月ナオ」のアバターは笑っているからなんかギャップが凄いんだよな。
笑顔で妹を鬼畜ゲーの沼に落とす兄と見られてもある種仕方ないような気さえしてくる。
とはいえ、さっきも言った通り、俺はテマリを──紗希を信じているからこそ、この鬼畜ゲーを選んだのだ。
勝算なしの特攻ではないことだけは、この際はっきりと明言しておきたい。
:初見だからハンクリがどういうゲームかわからない件
:↑簡単にいえば壺おじとアイスクライ◯ーの合体版
:二人で協力してゴールを目指すこともできるし足引っ張ったり裏切ったりすることもできる壺おじかな
:クソゲーじゃないですかやだー!
「嗚呼、このようにコメント欄も阿鼻叫喚でございます……テマリも手が震えてまいりました」
:がんばえー
:姫ならやれる!
:これ終わったら冬月のこと殴っていいぞ
「最推しに人を殴らせるんじゃないよ、ったく……いやでも、テマリに殴ってもらえるならそれはそれで役得なのか……?」
「断じて違います」
:い つ も の
:お通しテマリ語り
:横にいる本人がドン引きしてて草なんだ
「ええい、お前らだって推しのスチルを見て怪文書を生成したりするだろうが! それと同じだ同じ!」
「恐れながらお兄様、怪文書、とは……?」
「テマリは知らなくてもいいことかな」
「あっはい……」
若干素が出てるぞ、紗希。
だが、怪文書の文化なんて知らない方がいいに決まっている。
簡単にいえば推しのファンアートやスチルから連想されるシチュエーション、そこから設定を起こして小説チックな短文を書く……というアングラな文化なのだが、当然欲望が多種多様に入り混じっているので、本人がエゴサで見つけられないようなところで行われている。
単純にいえばSS版のファンアートといったところだろう。
大体が推しに対しての色々な欲望が入り混じってるから「怪文書」と呼ばれているだけで。
……考えれば考えるほど、本当に知らなくていい文化だな。
「それはともかく、『ハンクリ』そろそろやっていこうと思うんだが、準備は大丈夫か?」
「はい……このテマリ、お兄様の足を引っ張らぬように鋭意努力いたします」
「オッケー、それじゃ始めていこうか!」
テマリからの同意も得られたことだし、始めていこうじゃないか。
このひたすら二人で壁を登るだけという、シンプルな設計に反して難易度がバグっていることに定評があるこのゲームを。
クリアしても得られるものはただ一つ、「達成感」だけという神ゲーをな!
◇
『汝の敵には軽蔑すべき敵を選ぶな。汝の敵について誇りを感じなければならない──フリードリヒ・ニーチェ』
「この当たり判定がクッソ小さい壁のどこに誇りを持てっていうんだよお前よぉ!」
何度滑落したか数えたくなくなるぐらいにはスタート地点に戻されて、俺たちは壺おじリスペクトであろう偉人の格言を拝む羽目になっているのだが、これがまた煽りにしか聞こえないんだ。
「このニーチェという方にも是非この遊戯を心より堪能していただきたいと……テマリはただただそう思います」
楚々と微笑んでるけど、テマリも大分キレてるじゃないか。
選んだのは俺の責任だけど、このゲームを作った開発者は相当性格が悪い。
元々のコンセプト同士の掛け合わせが悪すぎるといえばそれはそうだが、まさかここまで極悪難易度だとは思わなんだ。
まず、壁や障害物に引っ掛けるためのピッケルの……というか、全般的にオブジェクトの当たり判定が小さい。
引っ掛けようとしても、見た目よりも小さい判定がどこにあるのかを見極めてしっかりとエイムしなきゃいけない。FPSかな?
その上悪辣なのは、縦スクロール要素を継承しているから、事実上制限時間内にオブジェクトの配置と当たり判定を記憶しておかないと強制的に滑落する仕様だ。
「いやまあ、残機とかないから死に覚えゲーってことだろうけどさぁ」
「制限時間がついた壺のおじさまと考えると、悪辣極まっておりますね」
「世の中にはあのゲームでRTAしてる猛者もいるらしいぜ」
「まあ、なんという……正気の沙汰ではございませんね」
:いやまだ壺おじの方が当たり判定しっかりしてる分マシだよ
:ハンクリのクソ面倒なところは当たり判定がマジで仕事してないところ
:俺金壺までやり込んだけどそれでも結構死んだぞハンクリ
:姫が怒りで荒ぶっていらっしゃる
:ここまで感情表に出してる姫って珍しいな
「このテマリ、『過ぎたるは及ばざるが如し』ということわざの意味をこの身で体感しておりますゆえ……」
「なんというか、本当に申し訳ない」
「いえ……お兄様は悪くありません。全てはこの遊戯の仕様と開発者が悪いのです。このテマリ、久方ぶりに遊戯というものにささくれ立った感情を抱いております」
口元を覆って楚々と笑うテマリだったが、どう考えてもブチ切れている。
そりゃそうだ。俺だって配信じゃなければ、一応一通りクリアした上でストアのレビューに「クソゲー」の一言を書き込んでやりたい。
別に高難度なのはいいんだ、だが、難しさと理不尽を履き違えたゲームというのは往々にしてクソゲーの誹りを受けることを免れないのだ。
「さて、何周目だったかなこれ」
「三十八周目だと記憶しております」
「サンキュー、テマリ。それじゃ当たり判定は大体覚えたし今度こそ登頂行こう!」
「ええ、お兄様。テマリはこの遊戯をクリアするまでいつまでもお供する所存です」
:事実上クリアするまで寝かせない宣言で草
:もういい……休めっ……!
:ゴールしてもええんやで
「お気遣いに感謝いたします、ですがこのテマリ、一度決めたことはやり通さねば気が済まないのです」
:姫が珍しく荒ぶっておられるぞ
:半泣きになってるけど大丈夫?
:冬月もなんか喋れ
:というか姫に謝れ
:俺もこの配信終わるまで飯食えないんだからさ
「……」
いやまあ、なんか喋ろうにも集中力を研ぎ澄まさないと中腹はエイムが上手くいかないんだよ。
これを雑談しながらクリアできる猛者も世の中にはいるんだから恐ろしい。
ただ最後のコメント、それに関してはお前の自業自得だろうが。夜飯ぐらい食ってから配信を見ろ。
「お兄様のロープにこうして引っ掛ける当たり判定すら、とても……小癪にも矮小なのですね」
:矮小
:姫に蔑んだ目で見られながら言われてみたい
:わ、わ、矮小ちゃうわ!
ゲームの盤面は、大体俺がルートを策定して、あとからテマリが追いついてくる構図ができあがっていた。
その分口数が少なくなった俺の代わりにテマリが喋ってくれるといったところか。分業でチームワークが出来上がってていいじゃないか。
ついでに三番目のコメントに関してはなんだ、その、がんばれ。
そんなやり取りを繰り返しているうちに、俺たちはとうとう頂上が見える最上層まで到達していた。
「こちらの平面に見える氷塊は微妙な傾斜がついていて、着地したり、ピッケルを引っ掛けますと滑落してスタート地点に戻される……一番安定していそうなところを選ぶとそれまでの苦労が無に帰す仕様とは、全くもって無礼千万ですね」
「わかる、プレイヤー舐めてるよな」
「ええ、テマリも同意いたします。この遊戯を選んだのはお兄様ですが」
「本当に申し訳ない」
心からの謝罪を口にしつつ、俺はピッケルをわずかな氷壁の割れ目に引っ掛ける。
クソだとは聞いてたけどここまでのクソゲーだと思わなかったんだよ。
おまけに上層まで登ってくるとスクロール速度も上がるから、一瞬で正解のルートを見極めて登らないとまた滑落だ。
「……っ!」
「嗚呼、嗚呼……!」
:うおおおおおお!!!!
:登頂おめ!!!!
:これでようやく夜飯が食える
:何時間だ?
:三時間三十四分
:な阪関無
山頂に辿り着いた俺が垂らしたロープをテマリがキャッチして、エンドロールという名の戦犯リストが流れ始める。
勝った。
勝ったのだ、俺たちは。
この悪意とクソ仕様を下水で煮込んだようなゲームに。
ああ──でも、こうしてみると全てを許せるような気がするから不思議な気分だった。
一番のご褒美は「達成感」とはよくいったものだ。
でも、誤魔化されたりしないからな。
いくら達成感があろうとクソゲーはクソゲーだ。
テマリ……もとい、紗希が苦行から解き放たれた喜びに涙をこぼす姿にただただ申し訳なさを感じながら、俺はリスナーに締めの挨拶をして、配信を切るのだった。
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