第16話 リフレイン
いつからひとりぼっちになっていたのかは、思い出せない。
ただ、気づいた頃にはもう、わたしは「この指止まれ」って高く掲げられた指を、教室の隅っこから見ていることしかできなかった。
本当はもっと皆と一緒に仲良くしたい。
一緒に遊んだり、一緒にお話したり、一緒にご飯を食べたり。
皆が、当たり前にやっていること。
当たり前にできていることがわたしにはできなくて、だから、ずっと爪弾きにされてきた。
皆みたいに、堂々とお喋りができない。
皆みたいに、早く走ることができない。
皆みたいに、ご飯を早く食べることもできない。
皆から見ればできて当然なことが、わたしにはできなかった。
どんなに頑張って練習したって、二重跳びができなかったり、どんなに頑張って練習したって早く走ることができなかったり。
そうやって、できないことばかりが積み重なっていって、いつしかわたしは、ひとりぼっちになっていた。
『ちっ、使えねー』
『紗希ちゃん、もう少し早く走れないの?』
『相手に紗希いんじゃん、ボーナスゲームだわ』
どんなに頑張っても、教室の皆から褒められたことなんて一度もなかった。
使えない、ボーナスステージ、役立たず。
罵られる言葉ばっかりが増えていって、いつしかわたしの存在そのものが疎まれるようになるまで、そう時間はかからなかった。
最初は、偶然かなって思った。
でも、勇気を出して話しかけても鬱陶しげな目で見られたそのときに……もう、理解しちゃったんだ。
わたしはもう、役立たずやお荷物すら通り越して、邪魔で排除すべき存在なんだって。
そこからだった。
わたしが使っていたお気に入りのラメペンが机を離れている間、真っ二つにへし折られていたり、体育の授業が終わって帰ってきたら、いつの間にか上履きがゴミ箱に捨てられていたり。
ひどいときは、お気に入りの本を破り捨てられたこともあった。
だから、現実はきらい。
どんなに頑張っても、どんなに積み重ねても、なんの見返りもなければ、笑って積み上げてきたものは崩されてしまう。
だけど、バーチャルの世界はこんなわたしでも受け入れてくれた。
夏帆ちゃんはわたしをまた陽の当たる世界に連れ戻したくて、きっと人のあたたかさとか、そういうものに触れてほしくて、「月雪テマリ」をくれたのかもしれない。
でも、陽の当たる世界じゃわたしは「月雪テマリ」でいられない。
影の世界で、演技という皮を被ってようやくわたしは人に認めてもらえる。
それを剥ぎ取ったら、なんにも残らないなんて、夏帆ちゃんだってわかってるはずなのに。
わかってるはずなのに、もう一度わたしを陽の当たる世界に連れ戻そうとしてるのは、いじわるだ。
確かに、「月雪テマリ」はたくさんのものを持っているけど、「天羽紗希」にはなんにもない。
そんなの、わかりきったことのはずなのに。
布団を被って蹲ったまま、わたしは声を抑えて泣き崩れる。
忘れたくても忘れられない痛みが、じくじくと透明な血液になって瞳から溢れ出す。
無理だよ。
無理なんだよ。
わたしなんかがもう一度、学校に行くなんて──
そう思っていたときだった。
こんこんこん、と部屋のドアを三回叩く音が聞こえる。
一瞬、夏帆ちゃんかと思った。でも、夏帆ちゃんはお義兄ちゃんの説得でお家に帰ったから、扉を叩いたのは。
『紗希、大丈夫?』
お義兄ちゃん。
リアルのわたしを知っていても、ダメダメで愚図なわたしを知っていても、それでも「月雪テマリ」を推し続けてくれると言ってくれた人が、手招くように声をかけてくる。
ごめんなさい、お義兄ちゃん。だってわたしは、そっちに行くのが怖くて──
『紗希さえよければだけどさ、今度一緒にゲーム配信やってみない?』
だけど、お義兄ちゃんが口にした言葉は、わたしの予想を遥か斜め上に突き抜けたものだった。
◇
「紗希さえよければだけどさ、今度一緒にゲーム配信やってみない?」
その言葉になにか狙いだとか含みを持たせる意味合いはない。
単純にそうしたいから……っていうのもあるし、テマリと俺が兄妹だって宣言してしまったんだから、身内コラボの一つもしないと不自然だろうと思ったからだ。
夏帆の主張は確かに正しい。
本当なら、俺は義兄として、紗希のことを「正しい」道に連れ戻すべきなのだろう。
このまま引きこもり続けたって、緩やかに腐っていくだけなのは、紗希もわかっているだろうから。
でもさ、正しさっていうのが必ずしも救いになるとは限らないと思うんだよ、俺は。
『えっあっ……その、どうして……』
紗希も身構えていたであろうところから梯子を外されたんだから、困惑するのも仕方ない。
「いや、単純にやってみたいと思ったから」
『……で、でも。わ、わたし……それに、夏帆ちゃんも……』
「夏帆はああ言ってたってだけだろ? だから俺もこう言ってるってだけ。正しいとか正しくないとかじゃなくて、紗希がどうしたいかを聞いてるだけだよ」
兄貴としてダメなことを言ってるなあと、我ながらそう思う。
だけど、親父も千雪さんも触れようとして触れられなかった部分を、たかが高校生の俺がどうにかできるとも思わない。
だったら、お互いにとって少しでも楽しくなるような選択をした方がいいだろう。
『……いい、んですか?』
「なにが?」
『……わ、わたし、高校に行きたくないです……お義兄ちゃんは、それで……』
「いいんじゃないか?」
『……えっ?』
「それとこれとは別の話だからな。俺は紗希とコラボ配信したいってだけで」
どうしても行きたくないっていうなら行かなくてもいいとは思う。
選択肢は無数にある……っていうと綺麗事っぽく聞こえるが、なんとかしたいと思ったときになんとかできるような制度が幸い我が国には備わっている。
それに、途中で気が変わることだってあるからな。
『……わ、わたしで、よければ……』
「ありがとう。配信に使うタイトルは適当に良さげなの見繕っておくよ」
最推しとのコラボ配信。
その裏には紗希を元気づけたいという打算がないかと聞かれて、首を横に振ったら嘘になるのかもしれない。
だが、結局のところやりたいと思ったからやる、という話に尽きる。
正しさとか間違いとか、正義とか悪とか。
そんなものじゃなくて、ただ、俺は。
義兄として、そして最推しのオタクとして。
紗希には、笑っていてほしいだけだった。
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