第15話 必要な痛み

 とりあえずは夏帆をリビングまで招いて、俺と紗希は三者面談のような形で相対する。

 向かい側のソファに腰掛けている夏帆は緊張したような面持ちではあったが、真っ直ぐに俺たちを見据えて、視線を離さない。

 自分を曲げるつもりは一ミリもない、という確かな意志がそこにはあった。


「ええと、だな。夏帆が『夏芽シエル』先生って認識はまず合ってるよな?」

「はい、証拠にこれ、あたしのSNSです」


 認識合わせも兼ねた問いに夏帆は溌剌と答えて、自分のアカウントじゃなければ表示されないUIが映ったスマホを見せてくる。


「わかった。その節は大変お世話になった、ありがとう。でも俺から一つだけ聞かせてもらってもいいか?」

「なんですか?」


 怯えるように俯いたまま、かたかたと震えている紗希を横目に、俺は夏帆に話を持ちかけた。

 陽の輝きを宿したその瞳は、今も悪意なくきらきらと輝いている。


「どうして夏帆は紗希に『月雪テマリ』を描いたんだ?」


 だから、気になった。

 高校という日の当たる場所に友達を連れ戻そうとしている夏帆が、どうして、Vtuberという世界に紗希を誘ったのかが。

 俺の場合は色々省くが、月雪テマリへの「憧れ」という動機があった。


 しかし、引っ込み思案な紗希が自ら配信をやりたい、と願い出るビジョンが申し訳ないが俺には浮かばない。

 だからこそ、余計にその違和感が目について仕方ないのだ。

 俺からの問いかけに、夏帆は困ったような表情を浮かべつつも、隠し立てする必要もないと判断したのか、その真相を語り出す。


「えっと……あたしは、紗希ちゃんに本当は社会復帰してほしかったんです」

「社会復帰?」

「はい。紗希ちゃん、ずっと学校でいじめられてて、あたしも頑張ったんですけど庇いきれない場面もあって……それが続いて引きこもっちゃったから、少しでも人との接点ができればいいなって思って、Vtuberを勧めたんです」


 その結果、見事に大ハマりして才能を開花させたというわけか。

 そして、どんどんのめり込んでいった結果、インターネット上でのリスナーとの繋がりに依存して、紗希の引きこもりは加速する羽目になったと。

 俺は紗希をちらりと横目で見遣る。


「どうりで親父も千雪さんも言葉を濁すわけだ」

「聞かされてなかったんですか?」

「ああ。かといって俺が積極的に聞きに行くような話題でもないからな」


 心の傷に触れるのには資格がいる。

 相応にわかり合った人間ですら、ときには仲を違えてしまう話をまさか俺がするわけにもいくまい。

 言葉を遮ることなくちゃんと聞いているから、紗希は夏帆のことを信頼しているみたいだが。


「……あたしは、もう一度紗希ちゃんに学校に来てほしくて。高校なら、環境も変わりますし……紗希ちゃんは嫌かもしれないってわかってます、でも」

「……やめて……!」


 配信を通してコミュニケーション力が鍛えられれば、きっといじめられることもなくなる。

 そんな子供らしい未来絵図を、夏帆は描いていたのだろう。

 しかし、紗希はぽろぽろと涙をこぼしながら、夏帆の言葉を遮った。


「……もう、やだよ……なにもしてないのに、も、物を隠されたり、上履きを捨てられたり……お気に入りのペンだって、す、捨てられちゃった……! お気に入りの本は破られちゃった……! ぐすっ、もうたくさんだよぉ……! しょ、小学校の頃も……中学校だって、お、おんなじだったんだから、高校に行っても、変わらない、よ……!」


 嗚咽と共に紗希は胸の内に溜め込んでいたのであろうその言葉を、夏帆に向けてぶちまけた。

 小学校から中学校まで通して、そこまでひどいことをされていたのか。

 だとしたら、紗希が現実に絶望するには十分すぎる。


「……夏帆」

「なんですか、直貴さん」

「俺は……すぐに答えは出せないよ」


 かといって、夏帆の想いを絵空事だと切り捨てることも俺にはできなかった。

 高校に進学すれば確かに環境は変わる。

 だが、紗希が引っ込み思案である以上、同じことを繰り返さない保証はどこにもない。


「紗希」

「……ぐすっ……」

「俺は紗希のもう学校なんかに行きたくないって気持ちもわかる……って言ったら、多分傲慢なんだろうけどさ。でも、夏帆だってただ紗希に嫌がらせをしたくてこう言ってるわけじゃないのは、わかるだろ?」

「……は、はい……」

「だから、紗希。少しでいいから考えてみてくれ。夏帆も……今日のところはこれで切り上げてくれないか」


 俺はそれだけ言うのが精一杯だった。

 夏帆の言っていることは正しいし、正しさをぶつけたくてそう言っているわけじゃないのもわかる。

 だが、最終的に選択肢を決めるのは紗希自身の意思じゃなければいけない。


 ここで俺が「学校に行こう」と促すことは簡単だ。

 でも、紗希には俺に言われたからでもなく、夏帆に言われたからでもなく、自分で考えて、悩み抜いてほしかった。

 そうして出てきた答えじゃなければ、なにより自分自身が納得できないからな。


 どんな選択にも相応に責任は伴う。

 だからこそ、自分で選んでほしい。

 紗希を苦しめたいとかじゃなく、そうしないと、きっと後悔するだろうから。


「……わ、わかり……ました……」

「あたしも、わかりました。でも、紗希ちゃん。もし高校に行きたいって思ったら、そのときはまたあたしを頼ってね」

「……はい……」


 紗希の弱々しくも確かな返事を聞き届けて満足したのか、夏帆はソファの脇に置いていたリュックサックを背負って、玄関まで引き返していく。

 これでよかったんだろうか。

 俺にはわからない。


 ただ問題を先送りにしただけだといわれてしまえばそれまでだし、実際その通りだからな。

 それでも。

 それでも、紗希がどんな選択肢であれ前に進めるのなら、これは必要な痛みだったのかもしれなかった。


「なあ、紗希」

「……ぐすっ。なんですか、お義兄ちゃん……?」

「あんまり夏帆のことを責めないでやってほしいんだ」

「……はい……」

「いい友達がいたんだな」

「……はい。夏帆ちゃんは……ずっと、ドジで、鈍臭くて、ダメダメなわたしのこと……友達だって言ってくれて……」


 嬉しかったんです、と紗希は呟く。

 その言葉に、嘘はなかった。

 夏帆には多少強引で向こう見ずなところがあるが、俺もそう思う。


「俺は別に紗希がダメダメだと思ってないけどな」

「……そ、そんなこと……ない、です……」

「だって紗希は『月雪テマリ』なんだろ? それだけで十分すごいさ」


 それは紗希が間違いなく、自分の力で積み上げてきたものなのだから。

 最推しとか身内とか、そういう贔屓目を抜いても十分にそれはすごいことだと思う。

 個人勢でチャンネル登録者数十万人なんて、トップ層もトップ層だ。


「前も言ったけど、紗希は頑張ってるよ。俺はちゃんと見てるから」

「……ぁ、ありがとう、ございます……」


 それを聞いた瞬間、ぷしゅー、と頭から白煙を立ち上らせんばかりに顔を真っ赤にして、紗希は自室へと戻っていく。

 うーん、なにかまずいことでも言ってしまったのだろうか。

 リビングに一人取り残される形になった俺は、小さく苦笑することしかできなかった。

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