第2章 逃げ出すよりも進むことを

第11話 新しい朝が来た

 翌日、特に希望の類はないが新しい朝が来た。

 昨日起きた出来事を考えれば、喜びに胸を開くべきなのかそうでないのか絶妙に迷うラインなんだよな。

 とはいえ、炎上に近いとはいえバズってバズり散らかした挙げ句に同居している相手が最推しの魂でした、なんて、我ながらどこのラノベだと思わざるを得ない。


「トレンドは……あー、まだ残ってるのか」


 SNSのトレンドをチェックすると、「月雪テマリ」はまだ五位ぐらいに居座っている。

 関連するワードに昨日は彼氏だとか炎上だとかが入り込んでいたが、今は「兄妹」、「謎」などがメインになっている。

 いい傾向だ。


「『冬月ナオ』は六位か……関連ワードが『誰』とか『正体』とかなのが悲しいけどそんなもんだよな」


 一夜で数字の上じゃあ成り上がったとはいえ、元が無名だからな。

 一応、俺が真っ当にゲームをプレイしている切り抜きもSNSや動画サイトに上がっていて、そっちについては比較的高評価が多いのは嬉しいところだった。

 とはいえ配信中って大体テマリのことを喋ってるか、黙ってるかの二択みたいなとこあるから、実況としては面白みがないんだろうが……


 でも、ゲームに目をつけてくれる人が現れたのはいいことだ。

 前向きに捉えよう。

 そうでもしないと、正直この現実離れした数字と、最推しが義妹という現実のダブルパンチに耐えられそうにない。


「しかし、紗希がテマリなんだよな……テマリが、紗希……」


 もちろんVのアバターと魂を同一視するのはある種のタブーだとわかっている。

 だが、Vtuberというコンテンツそのものがアバターと魂の融和を売りの一つにしている以上、「月雪テマリの素」、「リアルでの月雪テマリ」を知ってしまった事実はあまりにも大きい。

 ネット上では強気に、少数の罵声をかき消すように大きな態度でいるぐらいがちょうどいいが、リアルで「はいそうですか」と割り切るのもハードモードなんだよな。


 それは、どうやら俺だけじゃなくて、紗希も同じようだった。


「……あっ、あの……おはよう、ございます……お義兄ちゃん……」

「お、おう。おはよう、紗希」

「……あっその、あっあっ、えっと、あぅ」


 部屋の扉を開けた途端にエンカウントした紗希が、言葉を探すのに必死な様子は、あまりにもいたたまれない。

 ──放送事故なんて気にするなよ、俺たちは義理とはいえ兄妹だろ?

 なんて言うには、少しばかり一緒に過ごした時間と俺の度胸が足りていない。


 気まずい。

 あまりにも。

 どうコミュニケーションを取るのが正解なのやら、知っているやつがいたら教えてほしいぐらいだ。


「……ぁ、あの……」

「どうかしたの、紗希」

「……い、いってらっしゃい……です。そ、それだけ……」


 笑顔の出来損ないみたいに表情を歪めて、パジャマ姿の紗希は小さく手を振った。


「ええと……行ってきます」


 ぎこちない挨拶へ更にぎこちない挨拶で返して、俺は早足で階段を駆け降りる。

 まだ朝飯も食べてないんだけど、言った以上は行くしかない。

 我ながら、自分が情けない限りだ。







「本当にね」


 と、いう話をいつもの屋上で美南へ赤裸々に打ち明けたところ、返ってきたのは辛辣な正論だった。

 いくらなんでも言葉のナイフが鋭すぎやしないですかね美南さん。

 溜息をついて物憂げな表情をしている美南からすれば、確かにどうでもいいことなんだろうけどさ。


「いや、だって……最推しだぞ? 最推しの魂が義理の妹だったんだぞ? これから俺はどういう目で紗希を見ればいいんだよ」


 もう、「月雪テマリ」と「天羽紗希」は切っても切り離せない存在になってしまったのだ。

 俺の中で。

 そう問い返せば、美南は既にじとっとしている目を三割増ぐらいで濁らせて、再び溜息をつく。


「はぁ……直貴って、本当に月雪テマリが絡むと途端に気持ち悪くなるよね」

「お前な、正論でも言っていいことと悪いことがあるんだぞ」


 確かに限界オタクモードの俺は気持ち悪い。

 それを理解しているからこそ今までは美南相手にしか打ち明けず、リアルでは慎ましく生きてきたのだ。

 だが、拡散されてしまった。


 俺個人の特定には至っていないが、「テマリの兄はテマリ語りが気持ち悪い」という認識はもはや一つのミームになりかけている。

 ギャグとして笑えるならまだマシな方だけどもさ。

 真面目にネット上の俺が勇者ロボを自称する不審者に置き換えられて語られるのは結構ダメージ来るもんだぞ。


「いいじゃん、面白いし」

「なにもよくないんだよなあ」

「この際アバターもロボに変えたら?」


 どこまでも他人事のように美南は問いかけてくる。実際他人事だが。


「いやいや、『冬月ナオ』は夏芽シエル先生に大枚叩いて描いてもらったアバターなんだ、俺だってそこそこ愛着は持ってるんだよ」

「夏芽シエル……月雪テマリの絵師だったっけ」

「そう、めっちゃ有名な人。神絵師。実質テマリの生みの親……つまりママだな、俺とテマリの」

「きっしょ」


 目を光らせる俺に対して浴びせかけられたのは、一言でも十分鋭い一撃だった。

 こいつは優しさとかいたわりとかいう言葉を母親の胎内に置き忘れてきたのだろうか。

 可愛いものには目がないくせに、言動がいちいち可愛くないんだよなあ、こいつ。


「……なんか今失礼なこと考えてたでしょ」

「いや、別に? ははっ」

「……むかつく」


 記憶にございませんね、とばかりに両肩をわざとらしく竦めてやれば、美南の喉から本日三度目の溜息が吐き出された。


「でも、引っ込み思案なんでしょ。紗希って子」

「ああ、めちゃくちゃ引っ込み思案だな」

「じゃあ直貴がなんとかする他にないんじゃないの。どうすればいいかはわかんないけど」

「そこが知りたくて困ってんだよな」

「……時間が解決してくれるんじゃない?」


 お手上げだ、とでも言いたそうに、美南は意趣返しのつもりか、肩を竦めてみせる。

 時間かー、時間なぁ。

 確かに時間をおけば少しはお互いの距離感みたいなものも掴めてくるんだろうが……


「あとは直貴がどうしたいかだと思うけど」

「……さっきも言ったが俺はどうすればいいのかわからないから困ってるんだよ」

「じゃあ、紗希って子に聞いてみればいい。少なくとも、それで紗希がどうしたいのかはわかる」


 つまんないこと聞くなよ、というオーラを全身から滲ませて、美南は言った。

 確かに、辛辣ではあるがその通りだ。

 自分とテマリの境界線をどういう風に捉えてほしいのかについては、紗希以外わからない。


 そして、わからないことがあるなら、聞けばいい。

 単純なロジックだ。

 行動を起こす勇気が俺に備わっていることが前提の話ではあるが。


「サンキュー、なんか吹っ切れた気がする」

「ふーん……なら、よかったんじゃないの」

「ああ。ところで美南お前、ミスド好きだったっけ?」

「……なんで、ミスド?」

「いや、普段から世話になってるしなんか奢らせてもらおうかなと」

「……そう。なら、多分好き」

「なんだそりゃ」

「行ったことないから」


 じゃあね、と短く挨拶を残して、美南は屋上を去っていった。

 相変わらず、よくわからないやつだ。

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