第10話 ツーカウントで立ち上がれ

 ……と、まあ。

 そんなこんながあって今俺は、最推しVtuberの魂が義理の妹であったという事実を噛み締めていた。

 そして、一夜にして個人勢としてはかなりのチャンネル登録とフォロワー数を稼いでしまったわけだ。


「SNSにも大分クソリプが湧いてきたな」

「あ、あわわわ……わ、わたし、なにかお返事とか、謝罪とか、しなくちゃ……!」

「落ち着け、ステイだ、紗希」

「……は、はい……っ」


 こういうとき、企業勢ならマネージャーとかがフォローを的確に入れてくれるのだろうが、俺たちは生憎個人勢だ。

 ただでさえ冷静さを欠いている状態でなにかを呟けば、それが火種になってさらに炎上が広がっていく、という事態は珍しくない。

 沈黙こそが唯一の正解だとは思いたくないが、俺たちのように炎上慣れしていない人間が首を突っ込むには、勢いが強すぎる。


 山火事どころか、もう麓の村まで焼けてるレベルだ。

 紗希は優しいからここでなにかしなければ……と思うのも仕方がないことだが、ここまで燃えてしまったら、もうなにをしても手遅れなんだよな。

 怖いもの見たさでスマホを操作して動画サイトに接続してみれば、もう無数の切り抜きと怪しげな解説動画が出回っていた。


「仕事が早いな……なんだよ、『無名Vtuber冬月ナオは月雪テマリの彼氏なのか!? その真相に迫る!』って、真相どころか表層掬っただけじゃねえか」


 悲しいことに俺はこの一夜で成り上がったとはいえ元が無名だ。

 正確な情報なんて落ちているはずがない。

 大体、兄や弟が彼氏の隠語だなんて、邪推もいいところだろうに。


「か、彼氏……? お義兄ちゃんが、わ、わたしの……?」


 紗希は頬を赤らめてもじもじと俯く。

 なんか凄まじい誤解が生まれているような気がするが、多分気のせいだ。

 そういうことにしておこう。


「つまるところ俺たちが今取るべきポーズは……寝る! 一日経てば流石に勢いも削がれるはずだからな」

「寝る……」

「紗希の方は配信切っちゃった分、ちょっと苦しいかもしれないけど、配信に疲れて寝落ちしたとでも言っておけば言い訳もつく。釈明は勢いが落ち着いてからだ」


 炎上マーケティングなんかしたくもないが、残念なことに、炎上というのは「マイナス方向のバズ」と言い換えてもいい。

 上手く扱うことができれば、勢いに乗って人々の話題を独占することも可能だと、インターネットの歴史が証明している。

 現に、今俺と紗希の関係を邪推する連中の中にも「本当の兄妹なのでは?」という声が上がり始めているし、検証のためか、俺が配信した過去のアーカイブも再生数が鰻登りだ。


 そこで、俺たちは本当に兄妹だという「正しい認識」が生まれ始めたところでそいつらの力を借りる……という、なんとも姑息な作戦に打って出ることにしたのだ。


「少しでも味方がいないと始まらないだろ? 数の暴力には勝てない。バトステ2と同じだよ」

「た、確かに……っ……!」


 紗希は納得したように首を縦に振る。

 バトステ2で負けそうだからって回線引っこ抜くやつにはゲーム機が水没する呪いをかけたい。味方がいなければ大体の局面で不利をより背負わされる羽目になるからな。

 それはともかく、要するに俺たちが「正しい情報」を飛ばしたときに援護射撃してくれる勢力が必要だということだ。


 それはともかく、だ。

 まさか、最推しが……「月雪テマリ」の魂が義妹だったなんて、俺も想像してなかったよ。

 紗希の声をよくよく聞いてみれば確かにテマリの波長を感じるが、言われなければわからない。


 普段の落ち着いていて雅なテマリの振る舞いからは、紗希のそれがかけ離れているというのも手伝って、余計にそう感じてしまう。

 俺たちは義理とはいえ兄妹だ。

 だとしても、最推しと一つ屋根の下で暮らしているという事実に変わりはない。


 そう考えると、なんだか少し気恥ずかしいというか気まずいというか、そういう気持ちが拭えないのだ。

 それは紗希も同じなのか、何度もこっちを見ては、視線を宙に泳がせることを繰り返している。

 いや、純粋に最推しと一つ屋根の下で暮らしているのに最推し語りをしたりとか最推しに赤スパ送ったり愛を叫んだりとか……純粋に考えて大分気持ち悪いな、俺。


 美南に打ち明けたら「元からでしょ?」とか言われるのが関の山かもしれないが、俺にだってそれなりの矜持というか体裁というか……とにかく、そういうものがあったりするんだよ。

 しかし、紗希がテマリかぁ。

 最推しと一つ屋根の下で同居生活なんて、ファンボーイの思い描くような絵空事が現実になってしまっているのに、喜びよりもなんだか申し訳なさが勝るのが現実だ。


「ごめんな、紗希」


 すっかり気まずい空気の中で黙り込んでいたが、そうしていても埒が明かない。

 俺はただただ申し訳ない一心で、紗希へと謝罪の言葉を口に出していた。

 自分のファンボーイなんて純粋な存在ならともかく、限界オタクが兄貴だなんて、紗希からすれば相当気持ち悪いだろうに。


「あっえっ、その、どういう」

「いや、なんかよくよく考えたら俺が凄い気持ち悪くてさ、自己嫌悪してる」

「……そ、それは……その……」


 俺の言葉にもごもごと言葉に詰まった様子を見せる紗希だったが、当然だろう。

 せっかく俺たちの間に存在していた薄い氷の膜をぶち破ったと思ったら、今度はそれが分厚くなって帰ってきやがった。

 人生というのは、こんなにもままならないものなのか。


「……き、きもちわるいとか。迷惑をかけてるっていうなら、その。わたしも……同じですから……」


 紗希は御簾のように覆い被さった前髪の隙間から覗く瞳を潤ませて、ぼそりと呟く。

 そんなことないんだけどな。

 いや、今の俺からじゃ、なにを言っても説得力が薄いか。


「……それはともかく、今はこの炎上をチャンスに変えることだけ考えよう」

「炎上を、チャンスに……」

「俺は別にどうなってもいいけど、紗希は違うだろ? テマリのことを、ちゃんと自分の半身として愛してる。だったら続けていこうぜ、配信」

「……で、でも。わたし……」

「安心してくれ、ヘイトは俺が引き受ける。今日のバトステ2と同じだ。紗希はいつも通り『月雪テマリ』として振る舞ってくれればいいんだ」


 個人勢のVtuberは、企業勢よりも注目されづらい。

 無論、企業勢だからといって収益化で人生安泰……なんてのは一握りなのはわかっている。

 今、俺たちの兄妹バレがリーチしているのはどっちかというと「なんとなくVtuberが嫌いな層」だ。


 そういう連中のことはぶっちゃけどうでもいい。

 月雪テマリという存在に求められるのは、いつも雅で優雅たることだ。

 心の奥では傷ついていても、「ですが、それがどうかしましたか?」と涼しい顔で言ってのける──キャラクターを完遂すれば、それは「テマリのことが好きな層」や「Vtuberが好きな層」の心へ確かに届く。


「誰だって失敗はあるんだ。そこで倒れてやるんじゃなくて……傷ついてもいいから、泣いてもいいから、ツーカウントで立ち上がっていこうぜ、紗希」

「……は、はい……」


 反省会なんてこんなもんで十分だろう。

 俺は紗希の弱々しくも確かな返事を受け取って、部屋を出る。

 確かに騒動に対する結論は出た。そこに疑いの余地はない。


 ──だが。


「……これからどうやって紗希と接していこうな本当」


 目の前にあるこの大きすぎる問題に対しては、ヒントさえわからない状態なのに、変わりはなかった。

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