第9話 放送事故に至るまで
「えへ、えへへへ……」
ベッドに飛び込んで、枕に顔を埋めながら両脚をぱたぱたさせる。
誰かに面と向かって「可愛い」って言ってもらえたのは、いつぐらい昔でどれくらいの人からだっただろう。
いつぐらい昔かは、覚えていない。
でも、どれくらいの人からかは片手の指で数えられる。
お母さんと、
たった二人だけ。
たった二人だけに言ってもらえたその言葉を、今日はお義兄ちゃんが言ってくれた。
愚図で、鈍臭くて、どうしようもないわたしなんかを、ちゃんと妹として認めて、迎えてくれた。
それだけで、本当はもっと感謝し続けるべきなんだと思う。
だって、わたしはずっと不安だったから。
お母さんがもう一度結婚すると聞かされたときは、本当の話をするなら、怖くて怖くて仕方がなかった。
また、ひどい目に遭うんじゃないかって。
新しいお父さんになる人が連れている男の人に、またわたしは爪弾きにされちゃうんじゃないかって。
そう思うと、夜も眠れなかった。
それでも、お母さんに幸せになってほしかったから。わたしなんかを養い続けている負担を少しでも軽くしたかったから。
だから、平気なフリを頑張ってしてたけど、そんな必要なんてないぐらい、新しいお父さんとお義兄ちゃんは、わたしを迎えてくれて。
『お義兄ちゃんは、どんな配信をするんだろう』
配信が趣味だと聞いたときは、嬉しかったなあ。
だって、その話をできるのは、わたしに「月雪テマリ」としてのバーチャルな体を用意してくれた、夏帆ちゃんだけだったから。
お義兄ちゃんと家族になって一ヶ月。
部屋の扉を閉め忘れる癖があるお義兄ちゃんがゲームをしている姿を、こっそり眺めていたことがある。
とっても上手かった。
わたしなんか、比べるのも烏滸がましいくらいに。そして、なにより、格好よかった。
なにかに夢中になれることが。
なにかを一生懸命やり通せることが。
学校に行って、アルバイトに行って、わたしの配信を見てくれて……そんな、やりたいこととやるべきことを、誰にも文句を言わせずに両立している姿は、とっても眩しかった。
今日だって、そう。
本当は勝つのが絶望的だった試合を、陽動に徹して、自分の腕前でひっくり返してみせたのだから。
その分相手にキルスコアを献上することにはなっていたけど、おかげでわたしはとっても、動きやすくて。
本当の話をするなら、初めて会ったときも、昨日までも、お義兄ちゃんがちょっとだけ……ううん。
──とっても、怖かった。
だって、お義兄ちゃんと比べたら、わたしなんて、なにもできていないから。
陽の光が当たる場所にいる人たちにそう言われ続けてきたように、「学校に行け」って、また言われるんじゃないかって、不安だった。
でも、お義兄ちゃんは言ってくれた。
『だからさ、変に自分を下に見たりとか、遠慮したりとかしなくていいよ。アイスの件だってそうだ。俺たち、まだ出会って日が浅いとはいえ……兄妹、だろ?』
「きょう、だい……えへ、えへへへ……」
思い出すだけで、嬉しくて涙が滲む。
その言葉に嘘もてらいもなかったことが。
ちゃんと、真剣な目でわたしのことを見て、真正面から「可愛い妹」と呼んでくれたのが。
「お義兄ちゃんは、優しい……優しくて、優しすぎて、泣いちゃいそう……はぁ、すき……」
ほとんど使わないまま、机にしまい込んでいた手鏡を覗き込む。
そこに映るわたしは、とっても気が緩んだ表情をしていて、可愛いなんてお世辞にもいえそうになかったけど。
こんなわたしでも、お義兄ちゃんは「可愛い」って言ってくれるのかな。気になるけど、この顔を見せるのは恥ずかしいな……って、そんなことを考えていたときだった。
ぴろりんぴろりんぴろりん。
マナーモードにするのを忘れていたスマートフォンが、怒涛の勢いで通知音を吐き出し始める。
音量にびくり、と肩を震わせつつ、待機画面に表示されている通知を眺めれば。
『お兄ちゃん:紗希、配信切り忘れてる!!!!』
『お兄ちゃん:声が全部ダダ漏れになってる!!!!』
『お兄ちゃん:事故になる前に早く放送切って!!!!』
『お兄ちゃん:紗希、早く!!!!』
「……えっ?」
その通知と、パソコンのモニターを交互に眺めてわたしは目を丸くする。
切ったと思った配信は未だに継続されていて、モニター上では、お義兄ちゃんが言う通り、テマリのアバターが待機モーションのまま棒立ちになっていた。
そして、押し寄せる波濤のようにコメントが流れている。
「──っ!?」
困惑、疑念、いろんな感情が、大きな渦を巻いていた。
ぱたぱたとベッドから飛び出して転んで、一回ごつん、と頭を床に打ちつけながらも、わたしはなんとか配信を切った。
でも、時既に遅しっていうのは、多分こういう状況のことをいうのだと思う。
「あ、あわわわわ……」
どうしよう。
やってしまった。
Vtuberとして絶対に避けないといけないって、夏帆ちゃんからも言い含められていた切り忘れからの放送事故。
わたしのスマートフォンも連動するようにいろんなSNSからくる通知がすごいことになっていて、どうすればいいのかわからなかった。
ああ、なんで。
なんでわたしは、いつも鈍臭くて抜けているんだろう。
──わたしがこんなだから、いつも。
じわり、と涙が滲み出てきた、瞬間。
『紗希、大丈夫?』
こんこんこん、とドアを叩く音と、あたたかい声が聞こえた。
大丈夫じゃない。怖くて。
もしかしたらお義兄ちゃんにも愛想を尽かされてしまったと思うと、心臓がきゅーっと強く締め付けられるような痛みを覚える。
でも、せめて一言いわないと。
思ってるだけじゃ、伝わらないから。
ちゃんと……ごめんなさい、を伝えなきゃ。
きゅっ、と拳を固めて、わたしは立ち上がった。
そして恐る恐る部屋のドアを開ける。
すると、そこに立っていたお義兄ちゃんは。
「よかった……いや、よくはないのか? まあいいけど、少し話さないか?」
「あっその、あっ、あ……はい……」
怒ってるんじゃなくて、わたしと同じように、困った顔をしていた。
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