第3話 夢と最推し

「あー、疲れた……」


 親父が再婚してから一ヶ月。

 新年早々、俺はバイト漬けの日々を送っていた。

 労働は憎むべき悪だが、働かなければ賃金は得られない。給料のために、そして最推しに捧ぐ赤スパのために、今日も身を粉にして働くのだ。


 そんなこんなで家に帰ってきたのは大体夜の二十時前後。

 本当ならもっと残業して推し活の資金を貯めたいところではあったのだが、法律がそれを許してくれないのだから仕方ない。

 それに、働きすぎて余暇時間を削ってしまうのも本末転倒だ。


「健康に悪いのは自覚してるんだけどなぁ」


 だが、こうしてくたくたになるまで働いてから見るテマリのアーカイブ配信は、五臓六腑に染み渡る格別の癒しだった。

 本当なら、生放送という筋書きのないドラマをリアルタイムで見ることが一番望ましいんだけどな。

 それでも、労働しなければ推しに捧げる対価が得られない。剣を握ったままではお前を抱きしめられない。


「痛し痒しってやつだな」

「……ど、どこか、痛いんですか……?」

「うわびっくりした!」

「きゃっ……!」


 コートをシューズクロークにかけて、コンビニのビニール袋を片手に家へ上がると、俺は階段から降りてきた紗希と鉢合わせた。

 俺の声に驚いたのか、紗希はささっと半分だけ壁に隠れるようにこっちの様子を窺ってくる。

  

「なんだ、紗希か……驚かせてごめんよ。いや、痛し痒しってのは単にものの例えで。ところで紗希は、こんな時間にどうしたんだ?」

「……そう、ですか……えっと、その。わたしは、ゲームが一区切りついたので……」

「そっか」

「はい……」


 どうやらまだ、少し警戒されてらしい。


「ああ、そうだ。紗希、アイス食べるか?」


 話題の転換も兼ねて、バイトの帰りにコンビニで、夜食と一緒に買ってきた棒付きのチョコレートアイスを紗希へと差し出す。


「えっ……」

「二つあるからさ、一つは紗希にあげようと思って」


 物で釣る……ってわけじゃないけど、元からこれは紗希になにかしてあげられないかと思って買ってきたものだ。

 いらない、と言われたら、悲しいけど自分で二つ食べればいいだけだからな。

 紗希は差し出されたアイスの袋と俺へ、交互に視線を向けながら困惑した様子で小首を傾げた。


「えっあっ……その、わたし……」

「嫌だった?」

「い、いえっ……あの、わたし、本当にもらっていいのかなって……」


 遠慮がちにもじもじと指先を合わせて、俯きながら紗希は呟く。

 別に遠慮なんてしなくていいさ、なんて言えるほどまだ深い仲じゃないのはわかっている。

 それでも。


「いいんだよ。俺、ずっと一人っ子だったからさ。こうやって兄妹で一緒のお菓子を食べるとか、憧れてたんだ」


 この歳になって妹ができるなんて思ってもいなかったから、色々とまだぎくしゃくしてるけどさ。

 だとして、子供の頃の憧れがなくなったわけじゃない。

 片親で、ずっと一人で過ごしてた時間が長かった俺には、そういう何気ない繋がりが眩しく見えて仕方なかったのだから。


「ぇ、えっと……なら、い、いただいても……」

「もちろん」

「……ぁ、ありがとう、ございます……」


 アイスを受け取ってくれた紗希はもたもたと不器用な仕草で袋を開けると、ひんやりと冷気を放っているそれを両手で持つ。

 そして、小鳥のようにちまちまと口をつけて、啄んでいく。

 当たり前といえばそうなんだろうけど、女の子だからか一口が小さい。


 一気にかじりついてる俺とは大違いで、そんな小動物じみた仕草が可愛らしかった。


「あっその、わたし、変ですか……?」


 若干不躾な視線をぶつけてしまったからか、紗希はあわあわと顔を真っ赤にしながらそう問いかけてくる。


「いや、変っていうか……可愛いなって思って」

「かっ、かわ……あわわわ……」


 俺がそう答えると、紗希は顔を真っ赤にしたままそっぽを向いてアイスを啄むペースを上げた。

 素直に褒めただけなんだけどな。

 乙女心というやつは難しい。


「……あの、お、お義兄ちゃん……」

「ん? どうした、紗希?」

「……そ、その……スマホのアクキー……」


 紗希はちまちまとアイスを啄みつつ、ポケットからはみ出していた俺のスマホにぶら下がっていたアクキーに視線を向ける。


「ああ、これ? これなら夏芽なつめシエル先生描き下ろし、十個限定で頒布されたテマリのアクキーだよ」


 このアクキーはテマリの活動が始まった、本当に初期も初期に頒布されていたものだから、持っているやつは俺含めてたった十人という激レア最推しグッズだ。

 本当なら部屋に作ってあるテマリの祭壇に飾っておくべきなんだろうけど、せっかくアクキーとして、持ち歩くために作られたものを使わないで飾っておくのはもったいない。

 なにより、これをつけていればテマリをより身近に感じられるんだから、つけない理由がないんだよなあ。


「……すき、なんですね」


 やや早口気味に捲し立てた俺の言葉に対して、紗希は少しだけ頬を赤らめながらそう返す。

 好き、か。

 確かに好き嫌いの二元論で語るなら、俺はテマリのことが好きだ。


 だが、その感情はそんなに単純化できるものじゃない。

 一口に好きといっても世の中には多種多様な言葉や概念が溢れているわけで、例えば俺と同じ臣下──テマリのリスナーであっても、テマリと結婚したいと思ってるタイプもいる。

 だが、俺はどちらかというとテマリの世界の片隅にいるモブでありたいのだ。


 例えるなら、アイドルに対して認知されることもなく、ただ観客席でサイリウムを振り続けている小さな光の一つ。

 あるいは、今日も推しが生きて配信をしてくれていることに捧ぐ感謝。

 俺の推しに対するスタンスは、そういう細やかなものでありたいのだ──と、気づけば早口で捲し立ててしまった。


 そんな俺のマシンガントークを受けた紗希は面食らったように目を丸くして、頬を赤く染めていた。


「あ、あの。やっぱり……お義兄ちゃんは、とっても……テマリのことが、すき……なんですね」

「ああ。好きだし、感謝してる。なんていうか、テマリは俺にとっては、最推しで……太陽みたいなものだから」


 売れないVtuberを趣味でやってるのも、テマリに憧れてのことだ。

 俺の生活はテマリから始まりテマリに終わる。

 最推しという言葉ですら足りないぐらい大切な、かけがえのない存在なのだ。月雪テマリは。


「……っ……!!!!」


 そんな風に、推しを語ると早口になってしまうのが、限界オタクの悪い癖だ。

 気づけば、紗希は顔を真っ赤にしてぱたぱたと廊下を駆け出していく。

 風呂だろうか。いや、単純に俺の早口が気持ち悪かっただけか。


「……やっちまったな。少しは自重しないと」


 ぽつりと俺は呟いて、溜息をつく。

 つい、推し語りができる相手ができるとこうだ。

 親友からも早口が気持ち悪いと嗜められていることだし、気をつけていかないとな。

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