第2話 義妹と出会った日

「父さんな、再婚しようと思うんだ」


 親父がその話を切り出してきたのは、年の瀬も迫った高一の冬だった。

 職場に行って帰ってきたら風呂に入って寝る、みたいなサイクルで生きている仕事人間が今になって照れくさそうに打ち明けてきたときは、正直どんな顔をすればいいのかわからなかった。

 でも、別に反対する理由はない。


 親父はそれだけ頑張ってきたんだ。

 母さんが病気で倒れてから、ずっと迷子みたいな目で日々を過ごし続けて。

 その裏では歯を食いしばって、ずっと色んなことに耐え続けてきたのだろう。


 そんな親父が、柄にもなく照れた顔で打ち明けてくれたんだ。

 母さんだって、きっと笑って背中を押してくれるさ。

 仏壇に飾ってある遺影に目配せをして、俺は小さく苦笑した。


「いいんじゃないかな、母さんだって笑って許してくれるさ」

「ありがとう、直貴。ただ一つ言っておかなきゃいけないことがある。父さんが再婚する相手だが……いわゆるシングルマザーでな」

「連れ子がいる、ってことか」

「そうなるな。お前より一つ下の女の子だ」


 会ったことはないが、と親父は付け足す。

 この歳になって、義理とはいえ妹ができるっていうのは、なんだかこそばゆい感じがした。

 ずっと一人っ子だったからな。おかげでゲームの類は誰にも負けないってぐらいの自信と腕前はつけられたが。


「わかったよ。なんていうか……よかったな、親父」

「……直貴」

「幸せになれよ」


 そう言ってくるりと踵を返した俺の言葉に、返ってくる答えはなかった。

 俺と親父の仲が悪い……ってわけじゃないけど、お互い今更なにを言えばいいのかよくわかってないんだろうな。

 俺は学校とバイト、親父は仕事で生活リズムが噛み合わなかったのもあるし、その状態が長く続きすぎたから。


 だから、新しく結婚する人には親父を幸せにしてやってほしいと思うし、親父もその人を幸せにしてやってほしいと、そう願うんだ。







「さ、紗希……です。紗希です……佐々木じゃなくて……紗希……」


 思えば家に新しくやってきた我が義妹を一目見たそのときに、俺は脳を焼かれたんだと思う。

 新しい母さん──千雪ちゆきさんの背後に隠れて半分だけ顔を出しながら、紗希はぷるぷると震えていた。

 絹糸のような亜麻色の髪は腰まで届くほど長く、前髪もまた御簾のように大きな瞳を覆い隠さんばかりに伸びていたが、その間から覗く大きくて丸い碧眼は、宝石のように輝いている。


 目の前にいるのにもかかわらず、存在を疑ってしまうぐらいに、新しくできた義妹──紗希は飛び抜けた容姿の持ち主だった。


「ごめんなさいね、直貴くん。この子、とっても人見知りで……」


 千雪さんもまた、紗希の母親らしく非常に整った顔立ちをしている。

 困ったように楚々とした笑みを浮かべるその姿だけで、その囁くような声だけで、何人の男が恋に落ちたことやら。

 そんな高嶺の花を射止めたのかよ、親父は。


 正直驚かずにはいられなかった。

 だが、ここでビビっていたら兄貴なんてやってられないだろう。

 俺もまたバイトで鍛えた営業スマイルを浮かべて、千雪さんの影に隠れている紗希へと言葉を投げかける。


「初めまして。俺は直貴。一応君の兄貴になるのかな」

「……」

「えっと……好きに呼んでくれていいよ」

「……ごめんなさい……」


 差し伸べた手を拒絶するように紗希はふい、と視線を逸らして、千雪さんの背後にまた隠れてしまう。

 なんか俺、紗希に嫌われる要素があったんだろうか。

 気まずい。ひたすらに気まずい。


 重苦しい空気から目を背けるように俺は、引っ越し業者がデリバリーしてきた、やたらとデカい段ボールに視線を移す。


「あのデカい段ボールって、紗希の私物?」

「……はい。邪魔ですよね。ごめんなさい、捨てます……」

「いやいや全然。ちょうど俺が使ってるスタンドマイクと同じぐらいの高さだからさ、気になって」

「……スタンド、マイク……?」

「一応俺も配信っていうか、Vtuberやってるから」


 まあ、吹けば飛ぶぐらいの弱小個人勢なんだけどさ。

 と、冗談混じりに肩を竦めてみせる。

 すると、紗希は途端に目をうるうると潤ませて、さっきまでとは別人のように、俺が着ている服の裾を小さく引いてきた。


「紗希?」

「あっその……えっと、わたしも、配信……その……」

「紗希も配信してるんだ」

「あっ、はい……少し、だけ……」


 紗希は遠慮がちにそう呟きながらも、綺麗な碧眼を光らせていた。

 多分、仲間を見つけたのが嬉しかったのだろう。

 俺も気が合いそうな話題を見つけられてほっとしている。紗希は中々コミュニケーションが苦手なタイプだと見たからな。


「紗希には推しとかいるの? 俺は……『月雪テマリ』かな」


 俺は腕を組んで静かに頷く。

 月雪テマリ。個人勢にしてチャンネル登録者数が実に十万人を誇るビッグネームで、リスナーからの通称は姫。

 銀髪に赤い瞳が映える、十二単をモチーフにした和装のVtuber、それが「月雪テマリ」だった。


 思えばこのとき、紗希がびくりと肩を跳ねさせた時点で、気づいておけばよかったのかもしれない。


「月雪、テマリ……」

「紗希も知ってるのか?」

「は、はい。有名な人、ですよね」

「そうなんだよ! でもさ、最初の頃は結構登録者数が伸び悩んでて……苦手なホラーゲームの実況でバズってから一気に有名になったんだよな」


 だが、俺は推しが話題に上ったことに浮かれていて、そんなことは欠片も考えやしなかったのだ。

 過去に戻れるなら己をぶん殴りたい気分だよ。

 そんな話はともかくとして、月雪テマリが無名から有名人になったのはその独特な言葉選びとセンスがゆえだ。


「『リスナーの皆様方がお勧めになるものだから、このテマリもできるのだと傲り高ぶり……今、省みることのなかった己の惰弱さにただただ打ち震えております……』ってあれ、どう考えても一発撮りで出てくる語彙と言葉選びじゃないよね」

「そ、そうですね……」

「個人勢だから台本とか疑わなくていいし、やっぱりテマリは『持ってる』側だと信じて推し続けた甲斐があったよ」


 うむ、と俺は頷く。

 自慢じゃないが、俺は月雪テマリのチャンネル登録者の十二人目だ。

 赤スパを送ったことも数知れない。というかほぼそのためにバイトしているようなものだ。


「……え、えへ……」

「どうした、紗希?」

「あっいえ、その……わたしも、テマリが好きなので、嬉しくて」

「俺もテマリを推してくれる子が妹になってくれたなんて、こんなに嬉しいことはないよ。実は、まともに推し語りを聞いてくれたのも紗希が初めてなんだ……」

「そ、そうだったん……です、ね。その、わ、わたしも……嬉しい、です。えへ。ありがとうございます」


 紗希はぺこり、と頭を下げる。


「そ、その……」

「どうした、紗希?」

「……ぁ、あの。お、お義兄にいちゃんって、呼んでも」

「もちろんさ! よろしくな、紗希」

「は、はい……っ……!」


 今度は差し伸べた手を拒絶されることなく、恐る恐るといった調子で、紗希は俺の手をそっと小さな手のひらで包み込んだ。

 俺はこのとき、正直完全に浮かれていた。

 テマリ推しの同志とリアルで会えたこと、新しく義妹ができたこと、そして推し語りができる相手が増えたことに。


 目の前にいる紗希がそのテマリ本人だと、気づくこともなく。

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