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2024年12月11日 12:26
米太郎様、コメント失礼致します。 リサさん、バズろうとしすぎて見境がなくなっているような。 マナさんがダメ出しするから引き戻せているけど、このままだとまた削除されるのは確実。 恭介くん、自分で線引きできるようにならないと、無駄が増えてしまう気が……。 誤字報告等です。>スタイルの良さからして、小さい頃からバレーをやっていたと言われても信じると思う。>〜(中略)〜> 脚の先までピンと伸ばされているところを見ると、やはりバレー経験者なのだろうことが分かった。⇒日本の表記だと「バレエ」ですね。「バレー」と書くと「バレーボール」を指します。>それを後ろから見たことがある人がいるだろうか。⇒主語の助詞「が」が二回出てきて少し厄介です。「見たことが」は「ある」にかかり受けし、「ある」は「人」の連体修飾であり、「人が」は「いる」に係り受けします。つまり助詞「が」が二段階で関係しているのでわかりづらくなります。 ここは、>それを後ろから見たことがある人はいるだろうか。⇒と「人はいるだろうか。」にすると一読してわかりやすくなります。 ただし、助詞「が」をつなげることでリズムを刻みたいときは、原文ママでもかまいません。
米太郎様、コメント失礼致します。
リサさん、バズろうとしすぎて見境がなくなっているような。
マナさんがダメ出しするから引き戻せているけど、このままだとまた削除されるのは確実。
恭介くん、自分で線引きできるようにならないと、無駄が増えてしまう気が……。
誤字報告等です。
>スタイルの良さからして、小さい頃からバレーをやっていたと言われても信じると思う。
>〜(中略)〜
> 脚の先までピンと伸ばされているところを見ると、やはりバレー経験者なのだろうことが分かった。
⇒日本の表記だと「バレエ」ですね。「バレー」と書くと「バレーボール」を指します。
>それを後ろから見たことがある人がいるだろうか。
⇒主語の助詞「が」が二回出てきて少し厄介です。「見たことが」は「ある」にかかり受けし、「ある」は「人」の連体修飾であり、「人が」は「いる」に係り受けします。つまり助詞「が」が二段階で関係しているのでわかりづらくなります。
ここは、
>それを後ろから見たことがある人はいるだろうか。
⇒と「人はいるだろうか。」にすると一読してわかりやすくなります。
ただし、助詞「が」をつなげることでリズムを刻みたいときは、原文ママでもかまいません。