第8話 母親のこと

領主の馬車に乗り家へ帰ると、ダンとカレンが食卓でエリスを待っていた。カレンは席から立ち上がり、エリスを優しく抱きしめた。


「おかえりなさい」

「……ただいま」


エリスはカレンに肩を抱かれ、食卓の席につく。ダンは落ち着いた声色でエリスに話しかけた。


「ティムは学校へ行っているよ。本当は家に残ってエリスを待つと言っていたけど、授業をサボるわけにはいかないと言って無理に学校へ行かせた」

「二人は、工房の仕事は大丈夫なの?」

「今日は職人達に任せた。今は、エリスとこうして向かい合って話すことが何よりも大切だ」


ダンは深呼吸をして、エリスを見つめた。


「領主様の家臣から、神子の話を聞いた。家臣はエリスも領主様から直々に同様の説明があると言っていたが、そうだったか?」

「うん。神子のこと、力のこと、明日神殿へ行かなければならないことを聞いた」

「そうか……。エリス、明日の出立前に俺から話しておきたいことがある」


 ダンとカレンと目を合わせ、お互いに頷いた。


「君の母親のことだよ」

「……お母さんのこと」

「ああ。君の母親は、俺の妹だということはこの家に来たときに説明したね」

「うん」

「君の母親――ヘレナは、幼い頃からとても活発で人懐っこい子だった。そう、まさにエリスとそっくりだ。誰からも好かれ、ヘレナの周りにはいつも人が集まった。俺にとって本当に自慢の妹だったよ。

 ヘレナは学校を卒業してから工房で働くようになり、俺を含めた職人達の支えとして活躍してくれた。毎日が充実して楽しい日々が過ぎていったよ。

 異変が起きたのは、ヘレナが二十歳になった頃だ。浮かない表情を見せることが多くなり、ぼんやりと考え事をしている姿を頻繁に見るようになった。何かあったのか聞いても、何もないとしか言わない。ヘレナはすっかり心を閉ざしているように見えた。

 原因がわかったのは、ある日の食卓でのできごとだった。その時、俺はすでにカレンと結婚をして家を出ていたから、後で両親から聞いた話にはなるんだけどね。両親とヘレナで朝食を食べている時に、ヘレナが急に立ち上がってトイレに駆け込んだ。驚いた母親がヘレナの後をついて行き、その様子を見てすぐに察知した。ヘレナは妊娠している、と」

「妊娠……」

「そう、エリス。君をみごもっていたんだよ。しかし、父親が誰なのか聞いてもヘレナは『父親はいない』の一点張りで答えようとしない。両親はヘレナが不貞をしたと言ってとても怒っていた。俺はどうすれば良いのかわからず、ただ見守ることしかできなかった。

 あの時のこと、とても後悔しているよ。もっと俺がヘレナと両親の間に立って説得できていれば、あそこまで家族の関係が悪化することもなかっただろう。しかし、あの頃はティムが生まれたばかりだった。小さな子供の世話に追われていて、ヘレナのことを十分にかまってやれなかったんだ。

 父親が誰なのかわからないまま時間だけが経ち、ヘレナのお腹は次第に大きくなっていった。父親のいない妊婦という噂は街中に広まり、ヘレナは悪い意味で注目を集めるようになった。

 そしてある日、ヘレナは家から姿を消した。必要最低限の荷物だけ持ち、たった一人で街を出ていったんだ。ヘレナがいなくなった時の両親の憔悴ぶりはひどいものだった。あれだけヘレナに対して怒りをぶつけてきたのに、いなくなった途端にもっと優しく接すればよかった、と後悔ばかりを口にしていた。もちろん、ヘレナを探す努力はしたが、行き先のあても全くわからず、なかなか見つけることはできなかった。

 ヘレナがいなくなって気落ちした両親は、心だけでなく身体の調子も悪化した。三年の間に、最初は父親が、次に母親が急性の病で旅立った。本当、あっという間のことだったよ。

 母親の葬式の後、俺はどうしてもヘレナを見つけなければならないと思った。ヘレナを見つけ出し、もう一度家族としてやり直したいと強く感じたんだ。片っ端から思いつく限りのつてをあたり、ヘレナの消息をたどった。そして二年後、ついにヘレナの居場所を突き止めた。

 『ここから馬車で四時間ほどの街にある宿に、住み込みで働く子持ちの女性がいる』『とても朗らかで客からの評判が良い』『子どもの年齢は四〜五歳くらい』という話を聞いてヘレナに間違いないと思った。俺は、すぐさま宿に向かい、宿の主人にヘレナがいるか聞いた。しかし、全ては遅すぎたんだ。確かに子持ちの女性は宿に住み込みで働いていたが、流行病にかかって休んでいる、と言われた。すぐさま宿の寮に案内してもらい、ヘレナと会ったが体調はかなり悪いようだった。あの頃流行していた病は致死率が高く、特効薬もないことから罹ったら終わりと言われていた。

 俺はヘレナに謝ったよ。あのとき味方になってやれなくて申し訳ない、もっとヘレナに寄り添っていたらこんなことにはならなかった、とね。でも、ヘレナは俺を責めることなく、家を出ていったのは自分自身の意思だから俺が気に病むことは何もない、と言ってくれた。ただ一つ、頼み事がある。自分がもし亡くなったら、娘のエリスの世話を頼みたい、と。俺は二つ返事で承諾した。俺にできることならなんでもする、とヘレナに誓ったんだ。ヘレナは俺の答えを聞いて安心したようだった。――このとき、エリスと初めて会ったんだよな。覚えているか?」


 ダンの問いかけにエリスは頷いた。母親と暮らしていた部屋にとても大きな男性がやってきたこと、それが母親の兄であると言われたこと、涙ながらに何か話し込んでいたこと、朧げではあるが記憶に残っている。


「ヘレナが息を引き取ったのは、再会から三日後のことだった。息を引き取る少し前、俺は思い切ってヘレナに聞いてみた。本当のところ父親は誰だったんだ、と。そうしたらヘレナは笑みを浮かべてこう答えたんだ。『本当に父親はいない。私、子供を授かる夢を見たの。そうしたら、この子が私の中にやってきた。ただ、それだけ』それが真実なのか、どうしても父親を隠したいからついた嘘なのか、俺にはわからなかった。

 しかし、風弓の大会前、ティムから聞いた話で全ての謎が解けたような気がしたんだ。エリスの右目が金色に染まった、という話をね」


 やはり、ティムはダンにエリスの右目のことを話していたのだ。ダンは水を一口飲み、話を続けた。


「俺は昔、祖母ばあさんから聞いた神子の話を思い出した。神子が力を発揮するとき、瞳が金色に染まる、とね。神子なんて俺達からしたら遠い話で、伝説上の存在みたいに思っていてが、ティムの話を聞いて一気に現実なのだと実感できるようになった。父親のいない子、神子の力――本来ならばあり得ないことが目の前で起きている。このことは、カレンともよく話し合った。もしかしたら近々エリスに何か起きるかもしれない、と。そして今日という日が訪れた」


 ダンのつぶらな瞳には、少しずつ涙の色が見え始めた。


「エリス、君は俺達にとって本当の娘と同じ存在だ。何があっても、何が起きても、俺達はエリスのことを思い続ける。それだけはずっと信じ続けてくれ」


 ダンの悲痛な思いに、エリスは胸が締め付けられるような思いがした。カレンがエリスの手を取り、力強く握る。


「そうよ。あなたの家族はここにいる。私達、家族なんだから」


 エリスは何度も頷き、カレンに抱きついた。喉元から熱い思いが吹き出し、大粒の涙がこぼれ落ちる。本当は怖い、神殿になんて行きたくない、ずっとここで暮らしていたい。そう言いたかったが、できなかった。ただ、二人の優しい思いを胸いっぱいに受け止める。それだけが、エリスにできる唯一のことだった。

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2024年12月31日 06:25
2025年1月2日 06:25
2025年1月4日 06:25

金色の少女〜エリスと神子の力〜 ゆきのちず @yukinotizu

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