第3話 藍色の青年
風弓の大会当日。身支度を整えたエリスが部屋から出ると、ダンとカレン、ティムがそろって彼女を出迎えた。出場者は朝八時までに会場へ行く決まりになっており、観戦者の入場は十時から始まるため、エリスは彼らよりひと足先に会場へ行く手筈になっていた。
ダンはエリスの肩に手を置き、大丈夫だ、と大きく頷いた。
「これまでの練習の成果がきっと出る。気負わず、落ち着いて弓をかまえれば良い」
ダンの真面目な言葉に、カレンは吹き出す。
「偉そうなこと言って、あなたは全く弓ができないじゃないの」
ダンはバツの悪い笑顔を浮かべ、気持ちの問題だよ、と言った。カレンはエリスの手を取り、ぎゅっと力をこめた。
「あまり気負わないで。ただ、楽しく風弓ができれば良いのよ」
優しく強いカレンの眼差しに、エリスは緊張が少しほぐれていくのを感じた。
「ありがとう。私なりに頑張ってみる」
ティムはエリスの背中を叩き、頑張れよ、と言った。
「俺たちは会場で応援してるからな」
「うん。大きな声で応援してね」
「もちろんさ」
三人が見守るなか、エリスは家を出た。雲ひとつない晴天。柔らかな春の太陽が彼女を照らす。
「頑張れよ!」
ティムの大きな声がエリスの背中を押した。振り返り、三人に向かって手を振る。
「大丈夫。頑張れる」
自分自身に言い聞かせるようにつぶやき、エリスは一歩を踏み出した。
本選の会場は、乗合馬車で40分ほどの隣街にある。停留所にやってきた馬車に乗り込み、エリスは大きく息をついた。馬車には大荷物を携えた商人らしき男性と小さな子供連れの母親が乗っている。馬車が動き出すと、子供は楽しげに声をあげた。
一定のリズムで揺れる馬車は心地良く、エリスは眠気を感じた。昨晩は眠りが浅かった。三日前のように全く眠れない状態ではなかったが、何度も目を覚ましたせいでしっかり眠れたという感覚はなかった。
(会場へ着く前に眠っておいても良いかもしれない)
まぶたを閉じると、すぐに眠りの靄が意識を包み込んだ。歓声をあげる子供の声も徐々に遠くなり、エリスは夢のなかへと誘われていった。
**********
――誰かに呼ばれている。
私のこと、知らない人が呼んでいる。
だれ?とても優しい声。
私が代わらなければならないと言っている。
いったい、何の代わり?
すぐに会えると、
会えたときが始まりなのだと、
だれかがいっている――
**********
大きな馬車の揺れでエリスは起きた。太陽の眩しさに、目が眩む。辺りを見渡すと、馬車はたくさんの商店が建ち並ぶ通りを進んでいた。歩道には多くの人々が行き交い、忙しげだ。馬車の乗客は先ほどより三人増えていた。
(もう隣街に入ったんだ)
エリスは座り直し、姿勢を正した。
(とても深く眠った気がする。さっきよりずっと体が軽い)
眠りのなかで聞いた声は、すっかりエリスの頭から消え去っていた。
通りの先に目を向けると、会場となる円形競技場の姿が見えた。会場へ近づいていることへの興奮が彼女の胸を満たす。
(とうとう風弓の大会に出られるんだ)
幼い頃から憧れていた大会。その出場者として競技場に入る。これほどまでに心を揺さぶられる経験をエリスはしたことがなかった。
馬車が停留所に停まると、乗客がまとまって降り、残ったのはエリスともう一人だけになった。エリスが何の気なしに残った乗客の方へ目を向けると、藍色の髪をした青年がいた。年齢は、ティムと同じくらいに見える。傍には弓が置いてあった。
(もしかして)
このまま馬車に乗っていれば、競技場に到着する。弓を携えているということは、本選出場者である可能性が高い。エリスは我慢できず彼に話しかけた。
「あの、風弓の大会の出場者ですか?」
青年は俯いていた顔を上げ、エリスを見た。髪と同様に瞳も藍色。光を受けると、海のように澄んだ色になった。
「そうだ」
青年の返事はそっけない。それでもエリスは気にせず言葉を続けた。
「私も本選に出場するんだ。お互いに頑張りましょうね」
何がおかしいのか、青年は皮肉な笑顔を浮かべた。
「頑張りましょうね、か」
含みを持った言い方に、エリスは少し気分を害した。
(変な人だ。あまり話しかけない方が良さそう)
そのまま会話を終わろうとしたところ、今度は青年の方から話しかけてきた。
「どこから来た?」
「え?」
「だから、どの街から来た?」
「隣のリンデンから」
「リンデンか。農地が広くて作物がよくとれる」
「リンデンに来たことがあるの?」
「何回か滞在したことがある。長閑で暮らしやすい街だ。それから有能な鍛冶屋もあったな」
「それ、たぶんダンの工房のことだ」
「知ってるのか?」
「うん、今は工房主のところで暮らしている」
青年はエリスのことをまじまじと見つめ、そうか、とつぶやいた。
「見たところだいぶ若いようだが、年齢は?」
「十五歳。つい三日前に十五歳になった」
「なるほど」
何かを考えるように上を向き、青年は言った。
「その年齢で風弓の大会に出られるなら、相当な腕なんだろうな」
「自信は、ある」
「いつから風弓を始めた?」
「五歳から。一緒に住んでる家族の息子が風弓をやっていたから、私も始めたんだ。女の子が風弓なんて、てよく言われたけど、好きだからずっと続けてようやく本選に出られた」
「風弓をやるのに女も男も関係ない。腕が良ければ認められる。それだけの話だ」
そう言い切った青年の言葉に、エリスは驚いた。女も男も関係ないと言われたのは初めてのことだった。
「私も、ずっと風弓をやるのに性別は関係ないと思った。そう言ってくれるのは、とても嬉しい」
「当たり前のことだろ」
青年の言葉は相変わらずそっけなかったが、そう悪い人ではないように見えた。
「私の名前はエリス。あなたの名前は?」
「……レオだ」
「レオ。本選でもよろしく」
エリスは握手のために手を差し伸べた。レオはその手を一瞥し、首を振る。
「握手はしない」
意外な返答に、なぜ、とエリスは首を傾げた。
「私と君はこれから戦う。戦う相手とは握手をしない主義だ。融和は必要ない。戦って、打ち負かす。それだけだ」
エリスは差し伸べた手を戻しながら、やっぱり変な人だ、と思った。
馬車は、まもなく競技場付近の停留所に到着するところだった。エリスは荷物を持ち、下車の準備を整えた。
「私は絶対に優勝したいから、あなたに打ち負かされることはないと思う」
エリスの強気な発言に、レオは笑みを浮かべる。
「良いな、それ」
何が良いのかわからず、肩透かしを食らった気分でエリスはレオを見た。彼は特に気にする様子もなく、弓を肩に担ぐ。馬車が停留所に停まり、レオは降りていった。エリスもあとに続く。
目の前に建つ競技場は、遠くから見るより迫力があり、威厳に満ち溢れていた。ここで、幾度となく風弓の名勝負が繰り広げられてきた。その歴史の一部になれるかと思うと、エリスは身震いするような興奮を覚えた。
レオは競技場に対して特に感慨を感じている様子もなく、慣れた足取りで進んでいく。エリスは、レオの後ろを歩いた。
(彼についていけば受付まで迷わず行けそうだ)
そう思っていたのも束の間、レオは突然足を止め、振り返った。
「受付はどこだ?」
「え、受付の場所を知ってるんだと思った」
「いや、知らない」
「あんなに自信満々で歩いていたのに……」
「何か言ったか?」
「いえ、別に。おそらく裏手の方にあるんじゃないかな。事前の通告で選手は裏手の入り口から入るように言われてたから」
「わかった。裏手に行こう」
レオは再び迷いのない足取りで進んでいく。
(しっかりしているようで、どこか抜けている人なんだな)
今まで出会ってきた人とは違う独特な雰囲気に、エリスは好奇心を感じた。
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