第2話 十五の祝い
家へ帰る途中、エリスとティムは工房へ寄ることにした。
ティムの家は代々鍛冶屋を営んでおり、その優れた技術はアークメイア中に知れ渡っていた。近年はエルドリアとの小戦が頻発していることから、軍用武器の需要も高い。工房にはひっきりなしに仕事が舞い込み、たいそうな繁盛ぶりだった。
エリスとティムが工房の入り口を覗くと、仕事がひと段落したのか職人達は椅子に座ってお茶を飲んでいた。奥の方にひときわ肩幅の広い男性がいる。ティムの父親、工房主のダンだ。豊かな黒髪を後ろに縛り、顎には立派な髭を生やしている。少し垂れた優しげな目元は、ティムに似ていた。
「練習場の帰りか?」
二人の姿を見留め、ダンは立ち上がった。
「うん。ライナスじいさんが暗くなるからもう帰れって。いつまでも子供あつかいなんだから」
エリスの言葉に、ダンは吠えるような笑い声をあげた。
「まあな、じいさんの気持ちはわかる」
「なんだ、ダンもまだ私のことを子供扱いしてるの」
「子供扱いはしてないさ。エリスはエリス。立派な人間だ」
「何それ、変なの」
ダンの言葉に、エリスは思わず笑みがこぼれる。ダンはいつもそうだ。相手の心を優しく温める。十年前、母親を亡くしたエリスがこの家に来たときも同じように心を温めてくれた。ダンはエリスの母親の兄であり、エリスにとっては伯父だ。親代わりとしてエリスを引き取って以来、家族の一員として育ててくれた。
「せっかくだし、一緒に帰るか」
「良いの?」
「ああ、もともと今日は早上がりするつもりだった」
ダンはバッグを取り、職人達に戸締りの指示を出してエリス達の元へ行った。
「ティム、また背が伸びたか?」
ティムの頭に手をかざし、ダンは言った。確かに、ティムはここ数年でぐんぐんと背が伸びている。以前はエリスと変わらない身長だったのに、今では彼女より十センチ以上高くなっていた。
「伸びてるとは思うけど、父さんにはまだ及ばないよ。っていうか、そんなに大きくなれる自信はない」
ダンの大きさは、街中に知られるところだった。広い肩幅、筋骨隆々の腕、誰よりも高い身長。歩けば必ず人の目を引く。
一方、ティムはどちらかというと細身のタイプで、肩幅も狭い。髪の毛は母親の系統を継いで茶色く縮れている。
「おまえも鉄を鍛えるようになれば、あっという間に大きくなるさ」
「すぐ筋肉痛になりそうだけど」
ティムは、来年の学校卒業後に工房へ入ることが決まっていた。今も、見習いとして時々工房の手伝いをしている。そのため、エリスの弓の練習に付き合う機会も減っていた。
仕方がないことはわかっていたが、少しずつ自分の知らない世界へと身を投じていくティムの姿をエリスは寂しく感じていた。工房で働き始めたら、ティムと過ごす時間はますます減るだろう。
エリスはダンとティムから一歩下がり、二人の後ろ姿を眺める。体格は違えど、二人の後ろ姿は似ている。頭の形、長い手足、撫で肩。小さな共通点がたくさんあるのは、親子の証だ。エリスには、それがない。たとえ兄弟のように、親子のように接してくれたとしても、本物にはなれない。
ティムが振り返り、不思議そうに後ろ歩くエリスを見た。
「どうした?」
ダンもエリスの方を振り返って、手招きをした。
「並んで歩こう」
ほっとするような、優しい笑顔。エリスは胸の内に広がった不安を打ち消すように、二人の元へ駆け寄った。
「大丈夫。お腹が空いてるだけ」
明るい声でそう言い、ダンとティムに笑顔を向けた。
「エリスは小さいのに大飯食らいだからな」
ダンが大きな声で笑う。
「小さいのに、は余計」
ダンのお腹に軽くパンチを入れ、エリスも笑った。今はただ明るく生きていこう、彼女は心の中でそうつぶやいた。
**********
家に帰ると、食卓には豪勢な食事が並んでいた。湯気のたつ料理の数々に、エリスは思わず歓声をあげた。
「すごい料理!いったいどうしたの?」
台所から新たな料理を持ってきたカレンは、何を言っているの、と笑った。カレンはティムの母親であり、ダンの妻。普段はダンとともに工房へ行き、事務作業を担っているが、今日は早めに帰って食事作りに精を出していた。
「今日はあなたの誕生日でしょう。お祝いの料理よ」
あ、と口元に手を当て、エリスはダンとティム、カレンを交互に見た。
「今年もお祝いしてくれてありがとう」
彼女は、心からの気持ちでそう言った。この家に来てから十年、誕生日のお祝いは欠かさずしてくれる。まるで本物の家族のように接してくれることに、エリスはとても感謝していた。
「仰々しい言葉はなし。ほら、今日はタンデムの肉が手に入ったからローストにしたのよ」
カレンは、大きな肉の塊を乗せた皿をテーブルの中央に置いた。タンデムは森に住む草食系の動物で、赤身肉の味は一級品と言われている。こんがりとした焼き色に、エリスは目を輝かせた。
「おいしそう!さすがカレン、料理上手」
カレンはにっこりと笑顔を浮かべ、両手を叩いた。
「さ、席について。食事を楽しみましょう」
食事の時間は和やかに過ぎていった。すべての皿が空になり、食後のデザートが出る頃になると、エリスはすっかり満腹になっていた。それでも甘いものは別腹で、真っ白なクリームをたっぷり塗ったケーキを大きな口で頬張った。
「三日後には風弓の大会か。準備は整っているか?」
葡萄酒を飲んだダンは顔がすっかり赤くなり、ご機嫌な様子だ。
「うん。今日は特に良かったと思う」
エリスは、身体中に湧き上がった不思議な力を思い出す。今はもうあのような感覚はなく、いつも通りの身体に戻っていた。
(そういえば、ティムは私の瞳が金色になったと騒いでいたな)
ティムの方へ顔を向けると、彼もエリスの方を見つめていた。エリスと目が合うと、ティムは少し気まずそうに笑みを浮かべた。
「俺も見ていたけど、かなり調子が良かった。大会でも良い成績を出せるんじゃないかな」
ティムは、瞳の色が変わったことについて話す気はないようだった。
(やっぱり、ティムの勘違いだったんだろう)
ケーキの残りをたいらげ、エリスは席を立った。そして、ダン、ティム、カレンに強い眼差しを向ける。
「良い成績、じゃなくて優勝する!絶対に」
決意のこもった声色に、ダンは大きな拍手を送った。
「素晴らしい。負けん気の強さは大事なことだ。エリスはきっと優勝する。俺もそう信じてる」
「そうね。エリスには風弓の才能がある。きっと優勝できるわ」
エリスは力強く頷き、再び席についた。
「でも今はお腹がパンパンで弓を持つのも無理だな」
大きく膨らんだお腹をさするエリスの姿に、みんなは笑った。
温かな料理に温かな食卓。エリスはとても幸せだ、と感じた。しかし一方で、いつまでこの温かさの中にいて良いのだろうか、と頭の片隅で考えてしまう。幸せであればあるほど、不安の影は濃さを増していった。
**********
その日の夜、エリスはなかなか寝付けず何度も寝返りを打った。まぶたを閉じても頭が冴えて眠りの気配が訪れない。時間だけが過ぎていくことに辟易とし、エリスは布団から出た。ショールを肩にかけ、寝巻きのまま庭へ出た。
今夜は満月。月明かりが外を照らしている。昼間はすっかり暖かくなったが、夜の風はまだ冬の名残を感じさせた。
月を見上げ、エリスはつぶやく。
「お母さん、十五歳になったよ」
おぼろげになりつつある母親の姿を懸命によみがえらせながら、エリスは言葉を続けた。
「ダンもカレンもティムも、みんな良い人。私のことを受け入れて、家族みたいに接してくれている。私、みんなのためにも風弓の大会で優勝したい。私からみんなにあげられるものなんてほとんどないから、せめて優勝の栄誉だけでもあげられたら、と思うんだ」
月は何も返さない。ただ、青い光をエリスに注ぐ。
「私、ずっとこの家にいたい。けど、それで良いのか迷う時もある。いつか、自分からこの家を出ていくべきなんじゃないかって」
胸が詰まり、エリスは言葉を続けられなかった。これから自分がどう生きていくべきか、まだ答えが見つからない。未来は靄に包まれたままで、はっきりと見通すことはできなかった。
弱気な心を振り払うように、エリスは首を振った。
(とにかく今は、目の前のことを頑張るしかない。風弓の大会で優勝する)
再び月を見上げ、エリスは自分を奮い立たせた。握った拳に力が入る。
この時、右目がかすかに金色に光ったことを彼女は知る由もなかった。
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