第10話 側にいてくれた人


 眠れない。


 正確には、一度は眠りについたものの、妙に風の音が耳について、怖くて眠れなくなったのだ。


 現代っ子のは、ピッタリとサッシを閉めると外の音もそんなには聞こえなくなるし風なんて吹きこまないし、伯爵令嬢のクラウディアも、領地の本宅でも王都の街屋敷タウンハウスでも、すきま風なんて言葉も聞かないくらい快適な生活だったので、ヒューとかピュウゥゥウとか、聞いたこともない音が変に耳に残るのだ。


 貴族の子女は、早い段階から親と離れて過ごす。

 離乳すると個室を与えられ、親と共に眠るのはもちろん、子守歌を歌ってもらうなんてこともなく。

 ある程度自分でものを考える歳になっても、夜は一人では心細くなって「お母さまはどこ?」などと、侍女やメイド達を困らせたものだ。

 でも、決まって、「大旦那様や若旦那様、お母上を困らせてはなりませんよ」と窘められて、一人で眠るよう強要される。


 淋しくて怖くて眠れなくて、独り寝するのが嫌で、こっそり窓からエイナルを呼び込んで、眠るまで手を握っててもらった。アルベリータが私付きになってからは、王立貴族学校パブリック・スクールに通うようになるまでアルベリータがその役目を果たして来た。




「エイナル……」


 あの頃は、まだ3つや4つだったから出来たこと。


 今は、平民を希望して爵位返還請願中の令嬢(17)とその従者だが男性で男爵家の三男坊(24)なので、深夜に部屋に呼ぶなんてもってのほかだ。


 だから、私から会いに行った。


 ふふふ 鳩が豆鉄砲喰らった表情かおってこんなのかしら?

 呼びかけられて、振り返って驚いてる。のかな? 目を見開いて、口が少し開いて、ポカーンとこっち見上げてる。


「お嬢? 寝ていたのでは?」


 エイナルは、腕を組んで、小屋のそばの木に凭れて遠くを見ていた。どうやら、騎士達と交代で見張る役目のようで、向こうの天幕の下で騎士が仮眠をとっているのが見える。


「なんか、風の音が耳について寝そびれちゃったの」

「ああ、お嬢は、夜、ベッドの中では繊細になるんでしたね。眠れないんですか。明日も馬車での移動ですし、無理矢理横になるだけでもいいから、眠れなくても身体だけでも休めた方がいいですよ?」

「それは理解わかってるんだけど、やっぱり風の音が気になって眠れなくて⋯⋯ て、ベッドの中ではって何? 普段はどうだと言いたいのかしら?」


 エイナルは答えずに、管理小屋の入り口の階段に座り、仮眠用に持っていたのだろう毛布を敷く。

 毛布の上をポンポンと叩くので、座れという意味だろう。

 素直に座ると、エイナルの重たいコートを頭から被せられる。

 貴族男性のコートは、ウールやカシミアを使った防水綾織り(敢えて毛糸の油分を残して撥水性を出し、蒸気を当てて縮絨させ保温と防風、強度もあり、水分が染みにくくする)の厚くて重くて、現代で言うウインドブレイカーやレインコートの代わりにもなる。マントのように全身を覆い、肩から腕にかけてケープのような羽織りもついている。エイナルのコートは、馬上の雨具も兼ねているのだろう、ゆったり目のフードもついていた。傘は、高貴な身分の男性や婦人が日傘として使うもので、現代のように雨傘としては利用されないのだ。


「一応風も通さないし、ないよりかはマシだろ」


 エイナルの体温ぬくもりが残っていて、暖かい。

 小屋から出てそんなに経ってないのに私の手は冷たくなりつつあったのに、隣に座って階段に置いた私の手を覆ってくれるエイナルの手は温かい。

 もう私は子供じゃないのに。小さくない私の手に重ねられたその手は大きくて、私の護衛従者として騎士に剣を習っているからか、関節や指の付け根は硬くゴツゴツしていた。


 エイナルはただ、横に座って、手添えてくれているだけで、何も話さない。

 周りの人達が眠るのを妨げないためなのか、私に気をつかっているのか。


「まあ、お屋敷ではすきま風なんて吹きこまないし、風致林や防風林と建物とは離して建てられているから風の音も聞こえにくいし、お嬢さまには慣れないだろうな」

「貶してる?」

「なんでそうなる。単純に、聞き慣れないだろうな、って思っただけだ。考えすぎだよ」

「……うん。ごめん」


 エイナルの肩や腕から伝わる体温が、火鉢に当たるよりもよほど温かくて、少し、少しだけ、頭の芯がボーッとしてくる。


「久し振りにエイナルの温もりで、眠気が来るかも」

「なんだ、やっぱり『お子様』かよ」

「条件反射って言うか、もう十年前のことだけどあの頃はまだひとり寝が出来なくて、よくこっそりエイナルのお世話になったよね」

「あれ、バレてたら俺、伯爵に殺されてたかもな」


 自嘲気味に笑うエイナルだけど。実はバレてます。


 当然でしょ? 貴族子女だからひとり寝を推奨するとは言え、不審者の侵入や暖炉の不始末事故(一酸化炭素中毒や火事)など何があるかわからない子供部屋に、子供を独り切りにする訳がない。

 護衛騎士の巡回や乳母めのとの定期的な眠る私の様子の確認があったので、エイナルが私の手を握って寄り添っている姿は確認されている。父へ、その様子を彼らが見た主観での報告も。


 子供同士で、エイナルは私が深く眠るまで手を握って寄り添っているだけで、深夜には自室へ戻っている事も、エイナルが進んで私の部屋に来ている訳ではなく私が呼び付けている事もあって、問題なしと見做されたのだろう。

 そして、エイナルの為人ひととなりが信頼されていたことも大きい。


 いつの間にか寝落ちするまで、エイナルは私のたわいもなくとりとめもない話を、一言二言のコメントや相槌を交えて聞いてくれた。


 後から思えば、悪いことしたな、と反省。

 だって、エイナルの肩を枕に船を漕ぎ、明け方目覚めたら、エイナルの膝枕で、管理小屋の玄関ポーチのウッドデッキに横になって寝ていたのだから。

 林や森の湿気を避けるため、小動物の侵入を防ぐため、ねずみ返し付きの高床式に建てられた管理小屋の正面は、玄関ポーチが一部階段状になったウッドデッキで、明け方は相当冷えるはずだけど、防水布の上に毛布を敷き、エイナルのコートを掛布代わりに眠ったわりに、寝起きはスッキリしていた。


 その代わりに、エイナルは、騎士達との見張りの交代が出来なかったのだ。


「迷惑をおかけしました」

「大丈夫ですよ。我々も、チラッと一瞬ですが、姫さまの愛らしいご尊顔を拝ませて貰いましたし」

「いやぁ、ありがたくて寿命が延びましたなぁ」

「エイナル殿にサッと隠されてしまって、ほんの少ししか見ることは叶いませんでしたが、眼福でした」


 私が居るとは知らずに交代に来た騎士に、一瞬だけ私の寝顔を見られてしまったらしい。

 二度目以降は、しっかり隠したらしいけれど。


「エイナルはわたくしにとっては兄のようなもので、幼い頃からの馴染みとは言え、わたくしも軽挙妄動で(※軽はずみな行動)したわ」

「これに懲りたら、次からは令嬢らしい振る舞いを心掛けるんだな」

「申し開きようもございません」


 当然、カロリーネやアルベリータにもしこたま怒られました。


 夜中に外に出たこと、警備の意味が薄くなる行為、夜着のまま外に出るはしたなさとそれを一部の人に見られたこと、夜の冷え込みと山裾の林間由来の湿気とで病を得る可能性や、兄のように慕っているとはいえ従者で男性のエイナルに対して警戒心もなくまた失礼であること、今回の騎士達はみな人が善いから問題にはならなかったものの私についてふしだらだとか常識がないとか悪い噂が立つ可能性などに加えて、二人が心配したことを、エイナルが作る朝食が準備出来るまで悃々と説かれたのだった。


 

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